ゆっくり行こう

日々のこと徒然なるままに

母との最期

2023-09-14 05:36:00 | 日記
母は火曜日に私の家に遊びにきてくれました。

その時母は私に

「もうここには来られないからね。」

と少し口調を強めて決意したように話してきました。

その口調にただびっくりして頷きました。


記憶には残っていませんが、水曜日も木曜日も会ったと思います。

最期に会った金曜日、私達はドライブをしていました。

何か食べたりしながらドライブしてたように記憶しています。

夕方5時半頃…実家の前で母を降ろしました。

車の窓越しに

「あんたには今までいっぱい迷惑かけたね。ごめんね。」

と言い

「何言ってるの。これからだってもっと迷惑かけるくせに」

「そうだね」

と微笑んでいました。

それが母の最期の姿になってしまいました。

土曜日も会うつもりだったのですが、

夫と出掛けることになり母には会いませんでした。

その日夕方、私は疲れたのか急激な眠気に襲われ寝てしまいました。

その日の夜、私が寝ている間に母は心室細動で亡くなりました。


後で聞くと前日に孫に会いに行っていたり、

亡くなる1週間前から親戚に電話かけまくっていたり…

みんなにお別れの挨拶をしていたようです。

亡くなった日の朝は、早起きして得意なカップケーキを作って

近所の人にも配っていたようでした。

私と夫は私に残してくれてあったカップケーキを

母が亡くなってから半分こして食べました。

涙が出ました。

この世にいない母が作った物を食べるなんて複雑でした。


突然すぎて亡くなった実感がなかなか湧かない日々、、

居るのか居ないのか…みたいな感覚の数年でした。

勝手な思い込みですが、急激な眠気も直感的にこれから直面する母の死への現実逃避、、

だったのかな、と思っています。


私は病院へ行くまで父に何かあったんだと思って

出ることのない母の携帯へ何度も電話をかけていました。

顔を見て姿を見て初めて頭の中で理解が追いついた…感じでした。



私は共依存から解放され、病気を良くしたいと強く思い動き始めます。

少しずつ減薬して、禁煙外来にも通い…

不妊治療を始めて間もなく妊娠し子供を授かることができました。

40歳のことでした。

母と強制的に会えなくされ、おかげでやっと自立することができ、

病気は随分良くなりました。

夫はいつも言います。

「お母さんがいなかったから息子を産むことができたんだよ」

スーパーポジティブな夫です^ ^

でも、私もそう感じています。

亡くなってから変わろうと必死で努力しました。

減薬しなくては子供を妊娠することはできない。

母との別れで学んだ物は大きかったと思っています。


ただ…母はさらさらそんな気はなくて、

天国で自分が天国に居ることを一番びっくりしていたんじゃないかな。

もう15年経とうとしています。


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