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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




競馬史上で桁違いの生涯成績と言えば、ハンガリーのキンチェム (Kincsem、牝、栗毛、1874~1887、父 Cambuscan 母 Waternymph) の54戦54勝だろう。
2歳から5歳まで、ハンガリーのみでなくドイツのバーデン大賞やフランスのドーヴィル大賞典などの大レースも含めて生涯連勝を続けた。この中には6回の単走があり、10戦以上で10馬身差を超える大差勝ちを記録している。4歳時のバーデン大賞はPrince Gilesと同着で、その後決勝を行い6馬身差で下している。従って55戦55勝とも言える。
出走レースは選手権距離の2400mが中心だが、最短で947m、最長で21F (約4200m) とスプリンターでもありステイヤーでもあった。19世紀なので競走体系や生産・調教の環境は現在とは全く異なるが、歴史上燦然と輝く大記録である。
繁殖牝馬としては5頭の産駒を残し、その中のブタジェンジェ (牝、Budagyöngye、父Buccaneer) が独ダービーを制するなど、繁殖成績も偉大であった。
生誕100年となる1974年に、ブダペストの競馬場は「キンチェム競馬場」に改称されている。

<マジャール語> キンチェム
https://hu.wikipedia.org/wiki/Kincsem_(versenyl%C3%B3)



さて、このキンチェムの大記録を部分的には凌駕している競走馬がいる。デビューからの54連勝を超えて56連勝を記録したのはプエルトリコのカマレロ (Camarero、牡、黒鹿毛、1951~1956、父 Thirteen 母 Flint Maid)だ。

カマレロ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%AD

1953-1956年の4年間に77戦73勝の記録を残した。その中にはプエルトリコの三冠競走(Copa Gobernador、Clásico José de Diego、Clásico Primavera)も含まれ、デビューから56連勝というキンチェムの記録を破る大記録を打ち立てている。プエルトリコ競馬のレベルは世界的には高くなく、カマレロの生涯獲得賞金も43,552.95ドル程度であるが、ポニーのように小さな馬体でここまで走ったのは特筆される。
現役中であった1956年、使い詰めが影響したのか病気になり、キンタナ競馬場で死亡したとされる。





哀しい最期ではあったが、国民的な人気を博した。プエルトリコのエル・コマンダンテ競馬場が「カマレロ競馬場」と改称されたり、「カマレロ大賞」というレースが設立されたりと功績がたたえられている。

またキンチェムの勝利数を上回る記録も存在する。しかし競走馬の最多勝利はソースによってまちまちである。一部ではアメリカのキングストン (Kingston、牡、青鹿毛、1884~1912、父 Spendthrift 母 Grandsire) の89勝 (138戦) とされているが、プエルトリコのガルゴジュニア (Galgo Jr.、牡、鹿毛、1928~1936、父 Galgo 母 War Relief) の137勝 (159戦) が世界記録ともされている。

Nativos Galgo Jr.
http://www.famahipismopr.org/nativos/GALGOJR.htm



しかし、さらに上回る197勝を挙げた競走馬がいる。プエルトリコのコリスバール (Chorisbar、牝、鹿毛、1935~?、父 My Reverie 母 Campo Alegre) だ。

Nativos Chorisbar
http://famahipismopr.org/nativos/chorisbar-nativos.htm

うみねこ博物館 コリスバール―Chorisbar―〝真・奇跡の名馬〟
http://umineko-world.jugem.jp/?eid=493

私はこれまで、『奇跡の名馬』というタイトルを掲げ、世界中のありとあらゆる馬を紹介してきた。その中でも今回紹介するコリスバールは特別中の特別な馬である。何しろ、賞金額が低い競馬後進国の離島に生まれながらも懸命に走り続け、どんな名馬も辿り着くことのできない永遠の金字塔を打ち立てたのだから…。
コリスバールはプエル・ト・リコで施行されている全ての距離において勝ち鞍を、それも殆ど毎回トップハンデを背負いながら掲げ続けていた。130ポンド(約59kg)の酷量を載せ快勝したことも3度あったという。第二次大戦前に生まれた、しかも小柄な牝馬に課せられる斤量としては破格のものであった。
☆1937年 (2歳) 11戦6勝
☆1938年 (3歳) 16戦12勝
☆1939年 (4歳) 14戦13勝
☆1940年 (5歳) 44戦28勝
☆1941年 (6歳) 51戦37勝
☆1942年 (7歳) 53戦28勝
☆1943年 (8歳) 20戦7勝
☆1944年 (9歳) 13戦4勝
☆1945年 (10歳) 39戦23勝
☆1946年 (11歳) 35戦23勝
☆1947年 (12歳) 28戦16勝
生涯成績:324戦197勝 [197-86-31-6-1-3]




このように連勝や最多勝にまつわる様々な記録が生まれたプエルトリコの競馬だが、歴史は古く16世紀にスペインから来た征服者達により伝えられたのが最初と言われており、現在も国民的スポーツとして親しまれている。国際セリ名簿基準委員会 (International Cataloguing Standard Committee : ICSC) ではパートIIにカテゴリーされている。(日本も2006年まではパートIIだった)
カリブ競馬連盟に加盟しており、馬産も行われているが規模は大きくない。しかしアメリカの自由連合州であるという経済的恩恵があり、カリブ競馬連盟で毎年12月に行われる国際レースの「カリブ国際クラシック (Clásico del Caribe)」もプエルトリコで開催されることが多い。
プエルトリコ出身の米クラシックホースもいる。1975年にプエルトルコでデビューしたボールドフォーブス (Bold Forbes、牡、鹿毛、1973~2000、父 Irish Castle 母 Comely Nell) は、2歳時に5戦5勝という成績を残し、その後アメリカに移籍してケンタッキーダービーとベルモントSを制した。鞍上もプエルトリコ出身のアンヘル・コルデロ・ジュニア (Angel Cordero Jr.) だった。

コリスバールの最多勝記録が明確に定義されていないことには疑問を感じる。競馬は他の競技同様或いはそれ以上に時代や国によって体系や環境が異なるが、その時代その国において突出した成績を挙げた功績は同等に評価すべきである。
そしてカマレロやコリスバールの記録によりスポットが当たるよう、カリブ諸国の競馬が発展することを望む。


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