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Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

慟 哭

2020年09月11日 10時04分25秒 | 思い出の記
世には笑い、喜びと同じほどに、心ちぎれるような切なさ、悲しさが隠されている。
平成が終わろうとしていた時だから、もう2年以上前のことになる。
NHKテレビの「平成万葉集」という番組を、漫然と見ていた。
「平成の31年間、日本人は何を笑い、涙し、怒ってきたのか」を課題に、
視聴者から寄せられた短歌のうち、選りすぐりの作品を紹介するものだった。
見たいと思ってチャンネルを合わせたわけでなく、
電源を入れたら、たまたまこの番組だったというのに過ぎなかった。
だが、ある一首が詠み上げられると、
たちまち涙がこぼれ落ちるほどに引き込まれてしまった。
77歳の男性が、こんなに詠んでいた。

  介護から 逃れて深夜の 磯に釣る 大魚よ我を 海に引き込め

    この人には47歳になる息子がいる。
    その子は統合失調症で、懸命に介護を続けてきたのだが、
    年を重ねるにつれ手に余るようになったのだろう、
    ついには病院に委ねざるを得なくなった。
    この作は入院させて2週間後に詠んだものだという。
    そんな病を得た我が子を不憫に思い、
    それなのに「介護から逃れた」自分を激しく責め、
    「海に引き込め」とまで慟哭するこの歌は、
    傍からはとうてい入り込めない悲しみに満ちている。
 
実は2つ違いの僕の兄も同じ病だった。
言動が看過できぬ状態となり、兄や姉が皆で、
「医者に診てもらえ」と説得するのだが、
「俺はどこも悪くない」と言い張るばかりだった。
ついに長兄が「いちばん仲が良かったお前が話をしろ」と言った。
兄の気性は、やはり僕がいちばん分かっていたと思う。
    
    2人だけになり、小さい頃一緒に遊んだ思い出話ばかりした。
    少しずつ兄の表情は和らいでいった。頃合いを見計らい、
    「俺と一緒に病院に行ってみよう」と話しかけると、
    黙って小さく頷いたのだった。

医師の診断は「このまま入院してもらい、すぐに治療を始めます」というものだった。
兄の様子から、ある程度の覚悟はしていたのだが、やはり心は重く沈んだ。
病室までは僕が付き添った。それも鉄格子の入り口まで。
その先の病室へは付き添えず、看護師に伴われ病室へ向かう兄を見送るしかなかった。
兄は何かを観念したふうにうなだれ、こちらを振り向くこともなかった。
鉄格子越しのその後ろ姿を、溢れ出る涙が隠していく。

    入院・治療の甲斐あって、兄の症状は見違えるほど軽減、
    以後は通院治療に切り替わり、僕らの気持ちをわずかながらも軽くした。
    だが……自傷行為。一命はとりとめたものの
    体のあちこちにひどい損傷を負った。
    それらの治療中に意識を失くし、植物人間の状態となってしまったのである。

病室を訪れ、声をかけても無論返事はない。
「起きろ」と足の指をくすぐれば、わずかに動かし生きていることを示すだけで、
それ以上のことは何も起こらない。意識を戻さない。
そして、平成4年の年明け早々、静かに息を引き取った。51歳だった。
自らの行く末に絶望したのか、それとも老いた母に
これ以上の負担をかけまいとの優しさだったのか……。
「何故」と問うても答えず、手帳に挟んだ写真のあなたは薄く笑っている。