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Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

昭和からのはがき

2020年03月29日 16時48分50秒 | 思い出の記
新型コロナウィルスの脅威が日増しに強まっていく。
先が容易に見えない。不安が募る。
2人の娘、3人の孫たち。
コロナウィルスを蹴散らして生きていけ──。


「これ、見て」妻が差し出したのは、薄茶色にくすんでしまった1枚のはがきだった。
消印は『昭和63年9月15日』となっているから
昭和も終わりに近い、はがき1枚40円の頃のものだ。
「どうした」とそれを受け取り、表書きを見るなり、その奇妙さにすぐに気づいた。
〝奇妙〟といっても緊張させられるようなものではなく
思わずニヤリとしそうな、そんな和やかさを誘う〝奇妙〟さだった。

   このはがきはいったい誰に宛てたものか分からない。
   郵便には宛名を書かなければならないが、それがないのである。
   宛先の住所を見れば我が家宛であるのは間違いない。
   郵便番号もあっている。
   だが、家族の誰に宛てた便りなのか、それが分からないはがきなのだ。
   本来なら、宛名が書かれているはずの真ん中あたりを見て
   その〝奇妙〟さに、どうやら合点がいった。
   そこに差出人の住所、それに妻の母、義母の名が
   宛名と見まがうほど大きな字で書かれていたのだ。

裏返すと、文面には黒のボールペンの字が
大きかったり小さかったり
あるいは右に寄り左に寄りしながら
それでも案外と列はきちっと保ってぎっしりと並んでいた。
この年の敬老の日、私たちの2人の娘、
言うまでもなく義母にとっては孫娘が
77歳のおばあちゃんに何か贈り物をしたらしい。娘たちは
「何だったか、よく覚えていない」と言うのだが、
文面には「これを着れば、ばあちゃんも5歳くらい若くなります。
それで、これを病院に着て行ったら、先生がハイカラですねって……。
おまけに、おばあちゃんもハイカラですものねとか言われたので
大笑いしてしまいました」と書かれているから
何かシャツみたいなものだったのだろう。
娘たちは当時まだ中・高校生で、そんな孫からのプレゼントとあれば
それほどのものではなかったはずだが
「ありがとう、ありがとう」と、何度も繰り返している。

   また、「お正月には帰っておいで。
   お年玉貯めておくからね。待っているよ」と添え
   さらに「お父さん、お母さん元気にして居ますか。
   2人ともしごとから帰ると、つかれて居るので
   出来るだけお手つだいして上なさい。
   お母さん、少しはらくになるように」とも言い
   「べんきょうも、がんばってね。元気でね。気を付けてね」と
    孫に対する祖母の思いのたけを書き連ねているのである。

数えてみると文面いっぱいに16行あった。
最後の方は、行が重なるようになってしまっている。
そう言えば、表書きの義母の名前の下にも小さな字で
追伸みたいに40字ほどあった。
裏の文面だけでは書き足らず、表書きの方にまで書き及んだらしい。
まさに義母の思いが、はがきいっぱいに溢れているのである。

   そんな文面なのだから宛名は当然、孫娘になるはずだと思うのだが
   妻は「手紙なんか書くような人ではなかったから
   きっと書き忘れたのでしょう」と言う。
   あるいは、孫への気持ちがはやり、宛名を書かなければならないことにまで
   気が回らなかったのかもしれない。
   おそらく、そうであろう。

宛名のないはがき、これでよく届いたものだ。
文面を読まれたのかどうか知りようもないが、
郵便局の方が義母のこれほどの喜びように
「この便りはぜひ届けてあげよう」と思われたのかもしれない。

   やがて義母はがんに倒れ、私たちが住む福岡の病院に入院、
   妻は毎日のように通いながら看病をした。
   そして、孫にあれほどの情を見せた義母は
   あのはがきが届いた2年後に他界したのである。

妻はこのはがきを31年間も書棚の中に大事にしまっていた。
そこには孫への思いとは別に、義母の自分の末娘=妻に対する
いたわりがこめられているようにも思え
妻はそれを感じ取って大事にしまっていたのであろう。

   平成の30余年で通信手段は大きく変わった。
   今はメールやLINEで時を置かず自分の意を伝えることができる。
   だが、わずか100×148ミリのスペースの中にぎっしりと並べた
   大小の字、蛇行する行、とつとつとした言い方等
   これらが義母の思いの強さを切々と伝えるのである。
   同じ文面をスマホの画面に打ち込んでみても
   義母のこれほどの情感を果たして伝えることができるであろうか。

いずれも昭和生まれの私たち家族4人は
昭和の何年かを、そして平成の30余年を生き
さらにこれから令和の中で年を重ねていく。
この義母からのはがきは、私たち夫婦、
それにささやかなプレゼントで祖母を喜ばせた2人の娘
この4人の心の中に静かに埋め込まれ、消えることのない『昭和』なのである。

   はがきを書いた時の義母と同じ77歳になって迎えた令和。
   2人の娘には、合わせて3人の、私たちの孫がいる。
   孫に対する思いは、あの時の義母と少しも変わらない。
   令和は、娘と3人の孫たちにはどんな時代になるのであろうか。
   ただ、ただ平穏であってほしい。
           (3月13日にアップしたものを少し手直しし再掲しました)

ときめき

2020年03月29日 05時59分23秒 | エッセイ
幾つになっても、〝ときめき〟をなくしてはいけませんね。
むしろ、年を取るほどに〝ときめき〟が必要かもしれません。
お断りしておきますが、女性とどうだといった浮いた話ではありませんよ。
生きていく力の話です。

コーヒーを手に、目の前に座っておられる紳士は80歳になられる。
体にも格別不調なところはないそうで
その顔、特に目の輝き・力強さに、「なるほど」と
ためらいなく頷かせる説得力がある。
                           
   何せ多芸な人だ。小唄や日本舞踊は何10年来で
   あちこちから宴席へお呼びがかかる。
   ピアノを置くクラブではシャンソンを弾き語りし
   カラオケのあるバーでは選曲に忙しい。
   ピアノ教室に通っている小学3年生の孫娘が
   『ハロー・ドリー』という曲を弾いているのを聞けば
   「楽しそうな歌だな。よし、覚えよう」となり
   すぐにYОU TUBEを開くといったあんばいだ。

なんと、エアロビクス教室へも通い始めたという。
「ほとんどが女性だが、臆することなく楽しく踊っている」
そうだから恐れ入る。
体だけではない。囲碁で頭も鍛えている。
この方にとっては、これらすべてが心弾ませる〝ときめき〟なのである。
                           
   〝人生100年時代〟という。日本人の平均寿命は、
   女性が87.32歳、男性が81.25歳(厚生労働省2019年7月発表)
   過去最高を更新し、世界の最長寿国の地位は不動だ。
   〝100年時代〟に近づいているのは確かだろう。
   喜ばしくはあるが、それでも手放しというわけにはいかない。

健康寿命=「健康上の問題で日常生活が制限なく生活できる期間」
こちらに目をやると自慢話は途端に引っ込めざるを得ない。
平均寿命と健康寿命の差が、女性で12.35年
男性で8.84年(世界保健機関2016年発表)もあるのである。
この数字は、「日常生活に制限のある健康でない期間」
ということを意味しており、「日本は長寿国ではあるが、
〝寝たきり大国〟でもある」と揶揄されてもいる。
悔しくはあっても反論できないのが現実だ。

   PPK、ちょっとくだけて〝ピンピンコロリ〟と言う。
   「病気に苦しむことなく、元気に長生きし病まずにコロリと死のう」
   誰もが理想とする死に方ではあるが、多くがままならず生涯を終える。
   「せめて〝ネンネンコロリ〟とならぬよう
   あなたも背筋をピンと伸ばし、何か心ときめくことをやりなさいよ」
   背をポンと叩かれたような気がする。