浦賀と近代

2011年09月14日 16時19分43秒 | 浦賀
上;天然の良港 浦賀湾
下:浦賀湾東岸の明神山麓に建つ東叶神社


浦賀が日本の富国強兵の歯車、すなわち近代システムの一環として取り込まれたのは、この地に造船業が興ったからに他ならない。

江戸湾の入り口にある天然の良港という自然条件に着目した幕府は、ここに奉行所をおいてお船検(あら)ためという制度を確立した。いまで言う臨検である。江戸表を扼す湾口には蝦夷や出羽の国から船積みされた物産を江戸に運んだ東廻り航路の商船や、上方から江戸への物流を担った樽廻船などが頻繁に来航した。それらを臨検して幕府に危害を加える恐れのある勢力や、経済を混乱させる闇荷を運ぶ船舶を取り締まる必要があったからである。海の関所としての浦賀は、当然、太平洋を遊弋する欧米の捕鯨船や軍船、各種商船の知るところとなった。その意味で、浦賀は鎖国時代から世界と繋がっていた。ペリーの黒船艦隊も南シナ海から浦賀をめざして北航し、開国と通商の要求を江戸幕府に突きつけ、やがてその目的を達成した。

開国に踏み切った江戸幕府は大政奉還して執政権を放棄し、時代は大きく廻転して明治維新をむかえる。幕府を瓦解に導いたのは薩摩、長州、土佐などを中心とした諸藩が西洋の東漸(ウェスタン・インパクト)を察知し、帝国主義列強に伍していくに足る国家システムと新政府の創出を企図したからだ。米英勢力は産業革命で得たハイテク技術を後ろ盾にした圧倒的な物量で、東アジア諸国を震撼させた。維新で新政府を戴いた日本は西欧帝国主義諸国の物量に対抗するためになりふり構わぬ富国強兵の道を突進し、鋼鉄艦船を主体とする海軍力の育成と増強につとめた。その先導役をつとめたのが横須賀鎮守府(大日本海軍横須賀基地)で、フランスの援助で横須賀製鉄所(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)を建設し、軍艦の国産化に着手した。近代を象徴する鉄の時代=いわゆる富国強兵の近代システムが稼働し始めたのである。