●それでも地球は回ってる

■かつて同人誌作ったり宇宙ネタに小躍りしてた輩の、3年サイト放置後の、無趣味無活動な日々のぐだぐだ与太話あれこれ

久々の「兄弟」ネタ…ていうのか、これ?

2006年11月27日 | 腐女子発言

この週末、やはりというか何と言うか、ダウンいたしました…
先週の今日の自分のあまりの元気さに警戒してたんだけど案の定。
それでもこの週末は「片付け隊」の人々が来て、
色々と処分品を持ってってくれたりしたもんだから、寝てもいられず。
ああでもダウンしたのが先週じゃなくて良かった……


ところで。
今日そんな疲れを癒す如くのバスタイムに、ふと浮かんだ事。


「ホーエンハイムが死んだ事で、二度と扉は開かないんじゃないかなー…」



あまりに唐突な考えに自分でも「???」



それから


「こっちの世界と錬金術世界に分かれたのも
そもそもがホーパパが居たゆえなんだし・・・
その世界を分けたホーパパは元々現実世界の人で、
その人が錬金術世界から本来の世界に(帰って)来たんだから、
もうあの世界とのエネルギーの行き来はできなくなるんじゃないかなー」

とかいうのも続いて浮かんで。
でもそうなると、錬金術世界で今後術が発動しない事になっちゃうから却下して。

だけどホーパパのことなんぞ考えてたら


「錬金術のエネルギーは、こちらの世界の死者の魂みたいな事を
たしかTVシリーズで言ってたと思ったけど、それってホーパパが
最初に始めた事になるのかしら・・・
ってことは・・・そうやって自分達がバシバシ使いまくってた錬金術が
人の命を代価(この場合この表現で合ってるのか?)にしてたって
知るのもショックだけど、その発端ていうか根本原因が自分達の父親って
もっとショック・・・?」

更に言えば


「(原作でも言えることだけど)自分の親が人ならざるもの(元は人だけど)って、
一体どういう思いになるものなのか・・・・・・」

直接それを見聞きしてる兄はまだいい(よかないけど)
自分の父親とダンテの400年前のラブレターとか読んだ訳だし、
ロンドンで錬金術の発動時にこの世界の人の死者の命が使われたのも
知ってるし。


でも、ただそれを聞くだけのアルは?

門を開けたが為に死んでしまった町の少女の人体錬成しようとして
飛び出してったアルが、その後でなにも知らずに兄と一緒に錬金術を使いまくってるのを見て、
映画館で胸が痛くなったのを思い出しましたよ・・・
ついでに、兄がそのこと知っていながら、未だに錬金術使うことに躊躇しないのに大いなる疑問があったのも思い出したわ。



・・・兄ちゃん・・・どうやってそれを弟に説明すんの?
自分達の父親が、実は元は人だけど今は普通の人じゃなかったんだよとか、
この世界と錬金術世界に分かれちゃったのも自分達の父親のせいで、
しかも「賢者の石が生きた人間で出来てる」とかいう以前に、
錬金術そのものの発動エネルギーに人の命が常時使われてたんだよ、とか。



すべての混乱の始まりともいえる人物の子供、っていうのは、
さすがのアルも想像だにしてなかったと思うんですけどね。
(確かに兄だってそうなんだろけど、奴の直感というか第六感はそういうのを知ってる気がするんですよね…アルとは違った意味で妙に勘が働くというか)



本人にとって、知らない方がいい事ってあるけれど。
この兄弟はそういう「業」から逃れさせて貰えないと、自分は思っています。
知らされちゃうというより、知らなきゃいけない、知らずには済まされないというか。
幼い兄弟が受けた罪の報いも「当然」だと思ってるし。


そういう風に考えると、アルが兄に会いたい一心で、この世界に来たのも・・・
というか来れたのも、まず第一にハイデの命が現実世界に既にないからだし、
そしてこの世界の「自分にとっての辛い真実を知るため」でもあったのかな・・・とか考えてしまった。
他にも自分の4年分の過去のこともあるし、ハイデと自分が同時に現実世界には存在できない事とか
アルを苛むに十分な材料はわんさか出て来る訳で。
それが原因で・・・アル自身も傍らに居る兄も、「崖っぷち」状態になっても、それは仕方が無い事だと思うのです。


アニメ&映画【鋼】は矛盾をつつき始めたらキリがないし、
自分もあまり深く掘り下げて考察しない人なので、
既に自分の考えの矛盾に手が付けられないんですが、
それでも「そうであって欲しい」と思う。
まだまだこの兄弟の人生に安寧な日々などないのだという事を。
厳しすぎる?
でも個人的には、映画の後の二人が、諸手を上げたHAPPY END!な上に、
ラブラブな世界を展開するなど許されていいとは思えないので・・・
(いやでも苦労だらけの新たな旅の途中のたまーにあるラブラブは大いに推奨⇒所詮エドアルFAN)



でも。


「真理は残酷だが正しい」



読んだ時に泣きながらブンブンと頷いてしまった師匠のこの言葉、
厳しすぎる真実に、潰されそうになっても、もう何もかもがイヤになって
全てを投げ出したくなる時が続こうとも。

共犯であるけれどこの世で唯一その苦しみ・・・
思いを理解し共有できる互いがあるのだから。
互いの絆が互いの呪縛のループになり、
傷は開く一方であるにもかかわらず、
でもやはり、ループの中にいながらも、
その傷を癒し、顔を上げる力を与えるのもまた互いであると。

あとは否が応でも進む以外に道はないのだから、行くしかない訳で。
「死」に逃げる事は許されないし、今自分が在る事の意味を、
支え捧げてくれた人達の事を思った時、
「死」を選ぶ事もしたくないだろうし。


この兄弟ならば、厳しいようではあっても、真理の正しさゆえの優しさが分かる日が来ると。

これはもうアタシの「願い」に近いけど・・・。



そしてふやけながらお風呂からあがって、最後にふと。


「あの兄弟が、錬金術世界の人ではなかった父親の子供達ならば、
父親の本来居るべき世界に来た事は、本当は自然な事だったのかもしれない」

・・・ここまで来ると錬金術世界の人達の立場、大募集だけど・・・
妙にすんなりそう思えてしまったのは、その後の世界の歴史ゆえ、でしょう(趣味丸出し~)



忘れないうちに!と思って急いで書いたけど・・・
何が何やら訳分からん・・・・・・(呆然)
まあ・・・思いつきなんてこんなもんだろー。

という訳で。
結論も何もなしで終わります~。
唯一分かったのは、たとえ誰の賛同が得られずとも、
どう描いてもアルは自分の中で「天使」に変わりないと(もういいよ)



拍手とかメールとかコメントとか!!感謝感激の涙涙です!!!
なのにお返事遅れて申し訳ありません!(死)
こんな記事の中に書くのは躊躇われるので近日中に必ず!!(平謝)




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1 コメント

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弁護論なんてものを考えてみました。 (りほ)
2007-01-08 22:46:53
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
今更こんな昔の記事にコメントしてすみません。
HBN4の時にちょっと言っていた事です。長くてすみませんっ(汗)

●世界の分裂について
SFちっくに解釈すると、パラレルワールドとは一卵性双生児のようなものです。某かの力が働き世界が分裂する。一度分裂したものはもう元に戻す事は出来ない。
ひとつの卵子が分裂するように、全ての人間が分裂し両方の世界に存在する。
ただホーパパのみ、400年前にあのままホーパパが力尽き死んでしまった世界と、他人に魂を移すことで生きながらえたホーパパがいる世界とが存在してしまった。
その瞬間まで、元の世界にも錬金術は存在していたはずです(ホーパパとダンテはそれを生業としていたのですから)。
ところが世界の均衡を崩す錬金術が発動してしまった。
そのことにより、「神」と言ってもいい、「世界そのもの」と言ってもいい、「真理」と言ってもいい、なにかとてつもなく大きな力が世界を動かし、ホーパパの存在を否定した。
そのため、現実世界では錬金術を否定され、あのような錬金術は発動しないまま、ホーパパは400年前に死んに帰らぬ人となった。
これにより、錬金術世界のホーパパは、現実世界にとって「ホーパパ=現実世界の人間」という認識はなく、エド同様異物でしかなかったという理屈が多分なりたつと思います。だから大丈夫。ホーパパが現実世界に行っても錬金術は機能するはずです。


●ホーパパが人間ではない事については。
アニメアルは、何もかも鷹揚に受け入れてしまう存在として描かれていました。
だから、スロウスを母親として受け入れ、敵のスカーとも友好的に渡り合った。
鎧の身体を持つ自分の存在を否定されたくないから、他人の存在を否定出来ないのだと思う。
マンガに比べ、アニメの鎧アルは少し猫背で、いつも身体を小さく見せようとしていたような印象がどこかありました。
その頃の記憶の戻ったアルならば、元の身体に戻った今なお、自分の精神の安寧の為でもなんでもなく、ただ普通にホーパパの存在を人間として受け入れる心を持っているのではないでしょうか。


●錬金術のエネルギーについて
アルはエドを連れ戻す為にすでに、ラース(とグラトニー)の命を犠牲にして錬金術を発動しています。
その十字架すら背負う事を決めた子なのですから、例えエドから話を聞いたとしても、それもまた自分の罪のひとつとして黙って受け入れ背負っていくのではないでしょうか。
そして現実世界に来てしまった以上、今度は自分が死ぬときそのエネルギーは、きっと錬金術世界の誰かのエネルギーとして使われる。「それでこそ等価交換だね」そんな風にアルは笑うんじゃないかと思っています。(本当は等価交換というよりは因果応報というべきなのかもしれませんが…)


●「真理は残酷だが正しい」
テレビ版最終回のアルは、エドが死んでしまった事を知った時点で狂いはじめていたのではないかと、私は思っています。
兄が殺される様子をつぶさに見、あの鎧の身体でエドに触れ、まるで当たり前のように「温かい」と言ってしまった時からもう狂気は始まっていたのではないかと。
もしそうだとしたら。
もし鎧の頃の記憶を無くさず、あのまま元の身体に戻ってしまったのなら?
あの場にエドはいません。
もしエドの死を記憶し、目の前にエドがいないなら、アルは狂気の底に身を沈めてしまったのではないでしょうか?

だから。アルが4年分の記憶を失したことにもちゃんと意味がある。

記憶喪失の間不安ばかりだったとしても、記憶が戻ってもなお、あの不況の時代にエドの負担にしかならない年齢である事に歯噛みしたとしても、それでもあのままアルが元の身体に戻るよりはずっとマシだったはずです。

物事には必ず意味がある。悪い面もあるけれど、必ずいい面もある。
真理は残酷かもしれない。けれどだからこそ救われることもきっとある。
私はそう考えます。
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