電力に関しての見解を書いておきましょうかね…………………………
先日、福島原発の事故に関しては「人災」であるという「事故調査委員会」の判断が降りました。
しかし日本人として地震が多発することを知っていてその上に立てているのですから、解っていて建てておりおいらの中ではこれは地震も含めて考慮されているということを考えるとこれは「天災」という判断が適切なのではないかと思われます。
地震を想定しているのですから、「事故対応」云々などを言うまでもなくこういう危険性があるのは解りきっていたはずだからです。
電力というのは現在においては無くてはならないモノです。
これは99%程度の人が理解できるでしょうし、そのような生活を送っているという認識はあるでしょう。
家電を使用している時点で既に多くの電力を消費していると解っているでしょうしね。
ところがおいらの根本的な見解を一変してしまうParadigm Shiftが起こることがありました。
一時的に原子力発電所がなくても日本という国は電力供給が間に合ってしまうという期間が生まれたんですね。
そしてある程度のSaveを行うならば「Peek時でも乗り切れる算段が立った」という報告をNEWSなどを見ていると理解できたんです。
おいらはそもそも原子力発電所の電力を使っていなければ原子力発電所を容認することはないでしょう。
使っているという事実が原子力発電所を容認するしか無い方向へ気持ちを持っていかざるをえなかったんですな。
「計画停電」という電力供給論が一般日常化しています。
ここに疑問を感じますね。
日本国民は停電が起こるということを想定していません。
これが電力会社を図に乗らせている要因となっていると思われます。
電力会社の発想は
「途切れることがない電力を供給してやっているのだから、事故が起こったぐらいでグダグダ言うな。」
という論理でしょう。
「それが例え危険なモノでも客の言うことを聞いて今まで巧くやってきたのだ。」
「そしてこれからも同様に物事を行なっていけばあんたらは満足なのだろ?」
と東京電力の姿勢を見ていると感じますね。
そういえば意見討論会なるものが各地で開催されていますね~。
「公平な意見交換会」として人選が行われたようですが、NEWSなどを見ていると電力会社の関係者の割合が不自然に多いですよね。
おいらは多少高くても原子力発電所を使わないのであれば電力使用量を支払うTypeの人間です。
自家発電なんかにも金銭的な余裕が有るのであれば真っ先に取り組むでしょう。
「再生可能エネルギー」という言葉をよくお聞きしますがね。
電力というのは基本的に「再生不可能エネルギー」なのですよ。
充電をするSystemを構築するのにはとてつもなく大きな金がかかります。
そして電気というのは発生したならば直ぐに使わなければ消滅してしまう類のモノです。
電力会社が強気に出れる要因として継続的に絶えること無く供給するSystemを構築し、維持してきたという自負があるんですね。
これが電力会社を増長させているんですよ。
確かに絶えさせてはならないCategoryのモノはあります。
医療や福祉関連の命に関わるCategoryは絶えさせてはならないでしょう。
そうであれば別のLineなり自家発電装置なりを設ける法律を作ればいいだけの話のような気もします。
おいらは普通の一般家庭では一時的な停電が起こっても問題が無いはずだと考えています。
仕事場などは別ですがね。
Baseとして人間が普通に生活するだけであれば極端な話ですが無くてもある程度の生活が出来るはずなんですよ。
冷蔵庫も数時間程度ならば保冷能力は維持できます。
料理などはGASで済ませることができますしね。
すべてのモノで代替手段を得ることは必ず可能なんですよ。
しかし最近の仕事というのはComputerが中心になりつつあります。
ほぼ全てがComputerでComputerが使えなければ仕事にならないようになってきていますよね。
Backup電源も限界がありますし、時間も限られています。
そう考えると電力が絶えると困ることが多くなってきているというのもあながち間違いではないでしょう。
この様な時のためにUPSなどが有るのですが、それでもServerなどを維持するのには足りないこともあるかもしれませんな。
Desk Top PCなら内蔵Batteryがありませんからな。
話がズレてきたので戻してみます。
そして原子力発電所推進派の意見を言う人がこの様なことを言っていました。
・直接的に被曝によって亡くなった人は居ない
このCommentをどのように思われるでしょうか。
ただただ絶句するしかありませんよね。
自分が「馬鹿だ」と態々言っているようなものです。
人間というのは「生きているだけ」ではありません。
人間というのは「感情の生き物」だと良く言われます。
近隣住民との関係
仕事
住まいに対する気持ち
地域に対する気持ち
土地独特の文化に対する気持ち
などが少なくともあります。
これらをすべて奪われた際の絶望感を味わったことのない人間の論理として上記のような発言が出てきたのでしょう。
自分が味わったことがない状況に対して発言する際に場合に論理的に考えられない人間は少なくありません。
こういう人間というのは観察力、推理力、洞察力、論理力などが非常に乏しく貧しいのでしょう。
・少し考えれば
・少し頭を潜らせれば
・少し相手を思いやれれば
上記のような発言というのは絶対に出てくるわけがないんですよ。
直接的に亡くなった人は居ないかも知れませんがね。
間接的に亡くなった方は既にたくさん居ます。
孤独死の問題が冬にありました。
また報告がされていませんが、原発の放射能から逃れるために家を後にし出先で亡くなった方が少なくとも数人は居るでしょう。
「直接的に亡くなった」という部分だけでは測れない間接的に非常に大きな影響を与えていることを理解も出来ない人間が電力会社を牛耳っているのであれば、これは正されねばならないでしょう。
おいらは今避難しておられる方たちの状況を考えるとそれだけで心苦しく、辛いんですよね。
これまでの東電の対応は、そのような人たちに傷口に塩を揉み込むようなモノでした。
あの発言は傷口にナイフを突っ込んで出血させ流血させ、かつ痛みを倍増させるような方法で塩酸か何かを振り掛けるようなイメージがあります。
「傷口に塩を揉み込む」というのは昔の治療方法だったことをごぞんじでしょうか?
大きな傷を治す際にそこに塩を揉んで塞ぎ、縫い付ける手段が取られました。
これは塩によって消毒する意味もあったはずです。
確かに痛みが大きいのは事実ですが、治療の一環だったんですね。
これを知っていると傷口に塩を揉みこむというのが「治療の行為」だという認識になってしまい、痛みは一時的で短い時間だと感じるようになります。
人間として
・倫理的に
・道義的に
・人道的に
考え発言していただきたいと思うんですよ。
傷つき悲しんでいる人たちを思いやれる人間で有って欲しい、そして可能性として福島のような被害が発生することが起こりえるのですから
原子力発電所は無くして行かねばならない
というのは当然ではないでしょうか。
人間が制御しきれないモノ「=人間が扱ってはならないモノ」を容認してはなりません。
地震大国である日本は原子力からは手を引くべきであることは間違いないのです。
「再生可能エネルギー」では無いとは書きまし棚。
おいらは一般的に再生可能エネルギーと呼ばれているものは「自然利用エネルギー」とか「自然活用エネルギー」というような呼び方をしてもらいたいと思います。
次があるかどうかはわかりませんが、書けるならばこのことを書こうと思います。
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いじめに関しても書きたいと思っていますので、直近では次は「いじめ」を論点に書きます。
先日、福島原発の事故に関しては「人災」であるという「事故調査委員会」の判断が降りました。
しかし日本人として地震が多発することを知っていてその上に立てているのですから、解っていて建てておりおいらの中ではこれは地震も含めて考慮されているということを考えるとこれは「天災」という判断が適切なのではないかと思われます。
地震を想定しているのですから、「事故対応」云々などを言うまでもなくこういう危険性があるのは解りきっていたはずだからです。
電力というのは現在においては無くてはならないモノです。
これは99%程度の人が理解できるでしょうし、そのような生活を送っているという認識はあるでしょう。
家電を使用している時点で既に多くの電力を消費していると解っているでしょうしね。
ところがおいらの根本的な見解を一変してしまうParadigm Shiftが起こることがありました。
一時的に原子力発電所がなくても日本という国は電力供給が間に合ってしまうという期間が生まれたんですね。
そしてある程度のSaveを行うならば「Peek時でも乗り切れる算段が立った」という報告をNEWSなどを見ていると理解できたんです。
おいらはそもそも原子力発電所の電力を使っていなければ原子力発電所を容認することはないでしょう。
使っているという事実が原子力発電所を容認するしか無い方向へ気持ちを持っていかざるをえなかったんですな。
「計画停電」という電力供給論が一般日常化しています。
ここに疑問を感じますね。
日本国民は停電が起こるということを想定していません。
これが電力会社を図に乗らせている要因となっていると思われます。
電力会社の発想は
「途切れることがない電力を供給してやっているのだから、事故が起こったぐらいでグダグダ言うな。」
という論理でしょう。
「それが例え危険なモノでも客の言うことを聞いて今まで巧くやってきたのだ。」
「そしてこれからも同様に物事を行なっていけばあんたらは満足なのだろ?」
と東京電力の姿勢を見ていると感じますね。
そういえば意見討論会なるものが各地で開催されていますね~。
「公平な意見交換会」として人選が行われたようですが、NEWSなどを見ていると電力会社の関係者の割合が不自然に多いですよね。
おいらは多少高くても原子力発電所を使わないのであれば電力使用量を支払うTypeの人間です。
自家発電なんかにも金銭的な余裕が有るのであれば真っ先に取り組むでしょう。
「再生可能エネルギー」という言葉をよくお聞きしますがね。
電力というのは基本的に「再生不可能エネルギー」なのですよ。
充電をするSystemを構築するのにはとてつもなく大きな金がかかります。
そして電気というのは発生したならば直ぐに使わなければ消滅してしまう類のモノです。
電力会社が強気に出れる要因として継続的に絶えること無く供給するSystemを構築し、維持してきたという自負があるんですね。
これが電力会社を増長させているんですよ。
確かに絶えさせてはならないCategoryのモノはあります。
医療や福祉関連の命に関わるCategoryは絶えさせてはならないでしょう。
そうであれば別のLineなり自家発電装置なりを設ける法律を作ればいいだけの話のような気もします。
おいらは普通の一般家庭では一時的な停電が起こっても問題が無いはずだと考えています。
仕事場などは別ですがね。
Baseとして人間が普通に生活するだけであれば極端な話ですが無くてもある程度の生活が出来るはずなんですよ。
冷蔵庫も数時間程度ならば保冷能力は維持できます。
料理などはGASで済ませることができますしね。
すべてのモノで代替手段を得ることは必ず可能なんですよ。
しかし最近の仕事というのはComputerが中心になりつつあります。
ほぼ全てがComputerでComputerが使えなければ仕事にならないようになってきていますよね。
Backup電源も限界がありますし、時間も限られています。
そう考えると電力が絶えると困ることが多くなってきているというのもあながち間違いではないでしょう。
この様な時のためにUPSなどが有るのですが、それでもServerなどを維持するのには足りないこともあるかもしれませんな。
Desk Top PCなら内蔵Batteryがありませんからな。
話がズレてきたので戻してみます。
そして原子力発電所推進派の意見を言う人がこの様なことを言っていました。
・直接的に被曝によって亡くなった人は居ない
このCommentをどのように思われるでしょうか。
ただただ絶句するしかありませんよね。
自分が「馬鹿だ」と態々言っているようなものです。
人間というのは「生きているだけ」ではありません。
人間というのは「感情の生き物」だと良く言われます。
近隣住民との関係
仕事
住まいに対する気持ち
地域に対する気持ち
土地独特の文化に対する気持ち
などが少なくともあります。
これらをすべて奪われた際の絶望感を味わったことのない人間の論理として上記のような発言が出てきたのでしょう。
自分が味わったことがない状況に対して発言する際に場合に論理的に考えられない人間は少なくありません。
こういう人間というのは観察力、推理力、洞察力、論理力などが非常に乏しく貧しいのでしょう。
・少し考えれば
・少し頭を潜らせれば
・少し相手を思いやれれば
上記のような発言というのは絶対に出てくるわけがないんですよ。
直接的に亡くなった人は居ないかも知れませんがね。
間接的に亡くなった方は既にたくさん居ます。
孤独死の問題が冬にありました。
また報告がされていませんが、原発の放射能から逃れるために家を後にし出先で亡くなった方が少なくとも数人は居るでしょう。
「直接的に亡くなった」という部分だけでは測れない間接的に非常に大きな影響を与えていることを理解も出来ない人間が電力会社を牛耳っているのであれば、これは正されねばならないでしょう。
おいらは今避難しておられる方たちの状況を考えるとそれだけで心苦しく、辛いんですよね。
これまでの東電の対応は、そのような人たちに傷口に塩を揉み込むようなモノでした。
あの発言は傷口にナイフを突っ込んで出血させ流血させ、かつ痛みを倍増させるような方法で塩酸か何かを振り掛けるようなイメージがあります。
「傷口に塩を揉み込む」というのは昔の治療方法だったことをごぞんじでしょうか?
大きな傷を治す際にそこに塩を揉んで塞ぎ、縫い付ける手段が取られました。
これは塩によって消毒する意味もあったはずです。
確かに痛みが大きいのは事実ですが、治療の一環だったんですね。
これを知っていると傷口に塩を揉みこむというのが「治療の行為」だという認識になってしまい、痛みは一時的で短い時間だと感じるようになります。
人間として
・倫理的に
・道義的に
・人道的に
考え発言していただきたいと思うんですよ。
傷つき悲しんでいる人たちを思いやれる人間で有って欲しい、そして可能性として福島のような被害が発生することが起こりえるのですから
原子力発電所は無くして行かねばならない
というのは当然ではないでしょうか。
人間が制御しきれないモノ「=人間が扱ってはならないモノ」を容認してはなりません。
地震大国である日本は原子力からは手を引くべきであることは間違いないのです。
「再生可能エネルギー」では無いとは書きまし棚。
おいらは一般的に再生可能エネルギーと呼ばれているものは「自然利用エネルギー」とか「自然活用エネルギー」というような呼び方をしてもらいたいと思います。
次があるかどうかはわかりませんが、書けるならばこのことを書こうと思います。
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いじめに関しても書きたいと思っていますので、直近では次は「いじめ」を論点に書きます。