調子を悪くしてしまった。
よって昨日は寝込んでしまった。
やっぱ無理はだめだなー。
でも集会が午前中にあるから行かなくちゃいけないし、二度寝すると起きれないし仕方がなかったんだよね。
参加することに意義があると言われてるけどおいらは何も益を得られなかった。
こんなに無理をしていく意味がないなんて「おいらは馬鹿か?」と思わず自分でつぶやいた。
参加しても意味がないのであれば行く意味がないと思ってしまうのはおいらだけではないだろうか?
ちなみに集会とはクリスチャンの集まりのことである。
怪しい宗教じゃないよ。
話し手によってずいぶん違うんだよね。
いい話し手はとにかく自分の基準じゃなくて神様の基準で物事を見るんだけど、ほとんどの場合自分の考え方しかできない人が多い。
そんな時は何の益も得られない。
おいらは解りやすい人間なので自分の考えしかできない人は聞いても意味がないと思うのだ。
人の考え方は単純で自分に注目を集めようとする。
「神に栄光を期せよ」と聖書に書いてあるのに自分に栄光を期せているのだ。
そんな人間は言葉に何の意味もないし、説得力もない、それに言葉に重みがないのである。
神中心の生活を送らないと行けない人が自分中心に生活を送っているのである。
おいらはそんな人間から学びたくない。
それなら自分で勉強した方がましである。
そっちの方がたくさん学べるし、たくさん益を得ることができる。
でも聖書には「集まりあいなさい」とも書いてあるのだ。
おいらは完璧主義である。
このジレンマはおいらの心を蝕んでいる。
参加する意味がないとおいらが思っているのに神様は参加しなさいと言っておられるのだ。
おいらの考えでは神様の考えは絶対である。
だから行かなくちゃと思って無理をしてしまうのである。
そして行って益のない話を聞いて自分を痛めつけているのである。
自分を痛めつけてるなー...我ながら思うのである。
病院に行って話を聞いてもらったほうがいいのだろなー。
| Trackback ( 0 )
|