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扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

Internetは世界と繋がっているのに.... 2007.07.20

2007-07-20 23:17:57 | Mac&PC&インターネット&GAME
活動範囲が非常に狭いのでどうにかならないかな~.........

注記;少し前に撮った写真に言葉を入れてPhoto Cardにしてみました。
   あまり良い出来ではありませんが、この写真を撮っている時は幻を見ているような感覚でしたな。
   でもFontで良いのがないので納得できていません。
   というか納得なんてほど遠いんですけど.......
   一応作ったという事でUpしてみます。

こんなにInternetが普及して多くの個人から企業までがWeb Pageを持つに至った現在ですが、おいらが活動している範囲というと99.999999%程度を無駄にしているとか考えてしまうんですよ。
Camera関係やStationery関係、Computer関係、そしてBlog関係とパターンが決まって居るんですな。
一日に100ぐらいの履歴があれば多い方で、その為にADSLを使うのはもったいないな~とか考えますな。
まあInternetの使用方法はWEB Browsingだけではないので良いんですがね。

ここから話を大幅に脱線させます。(笑)
おいらはある程度は言わなくても良いのであれば我慢する方です。
自分の意見を言わなければ気が済まない時とそうでない時の決定的な違いは人が自分の考えに酔っている事やそれに準ずる場合です。
また内容が同じであれば別に言わなくても良いと思うんですよ。
地域限定で物事というのは成り立っている事があったり、世界的な展開を見せている事もあります。
しかし同じ内容であれば、わざわざ世界と大きくしなくても言わんととしている事が解るでしょう。
「自分の知識を見せびらかす事」は愚かな事です。
また自分の優位を確認する作業も類する行為でしょう。

自分の知識というのはどれほどアテになるでしょうか?

おいらは自分の考えほどアテにならないモノはないと考えています。
特にクリスチャンならば人の意見を聞いていると大体の知識というのは全く同じであることが解るでしょう。
個人研究を深くしていればいるほど「塩で味付けられた言葉」を述べる事が出来て他の人の益になるはずです。

「世界的な活動」という言葉を良く聞く組織的活動ですが、それは前提として自分の地域での活動があって初めて成り立つ「世界的活動」です。
まあ、おいらは不活発な方なので活動にはあまり参加できていませんので意見するなんてもってのほかなのですが、どうも腑に落ちないというか、解っていて言っている事をかぶせる注解というのは納得できないんですよ。
義に過ぎているのかも知れませんが、おいらの見解では神の前ではすべての人間は平等です。

頑張っている人は素晴らしいとは思いますけど、普通の人でも頑張って生きているんです。

統○○○○員、支○○員、ベ○○○○者、地○○督、巡○○督、開○○○者や○老、○○○僕、伝○○、伝道活動だけでもたくさんあり、言語訓練コースや必要な土地に行く事、建設系の奉仕などまだまだ仕事によって多くの細分化したらそれこそごまんと仕事はある訳です。
油注がれた方たちは最終的に生き方が異なってうかも知れませんが、それでも立場の善し悪しというのは全くありません。
また知識を知らなくても求め続けている人がいる訳です。

もし特権を得て、その立場の仕事を成す事になると「自分の方が上だ」と考える勘違いが特に日本では多いんですな。

こんな考え方をしている人を見ていると知識を知らなくてもと目続けている人の方が純粋で、好感を持てます。
人間に上下関係を設ける事ほど愚かな行為はないでしょうし、立場によって自分の方が上だという勘違いをしている人は結局は低められる事も予言されています。
しかも人々の前で明確に低められるという辱めを被るとさえ予言されています。

「立場を得る」という事は全く逆でより小さいモノとなり、より立場が低くならなければならないはずです。
自分の優位性を感じている人というのは魅力が全くありませんし、それ以上成長する余地がない訳ですからね~。
まあ「人に期待する」事はそもそも間違いなのですがね。
自分の中での「その人」と当人にとっての「自分」というのは全く別物であることを理解しておかねばならないでしょう。
これは「人に期待する」という行為に関してはとても重要なFactorになります。
自分が考えているその人のImageというのは押しつけている事にしかなりません。
ちゃんとその人を知り、適切なImageを保たなければなりません。
「人に押しつけるなよ」と正直思う訳です。
おいらは美化するというのは嫌なんですな。
何事も適切な評価をして生きていかなければなりません。

一生懸命に生きていますが、生きている事自体に疑問を感じている訳です。
よって一日一日が「死との葛藤」な訳ですな。
んで死を意識して生きているとなぜか美しいモノを求めるようになりますな......
死と向き合っているときに一瞬でも輝くような美しい風景や建物、人、自然が愛おしい訳です。
しかしここ最近はジレンマを抱えて、写真を撮るという行為が出来ない状態になっています。

美しいモノというのは儚く一瞬で消えて無くなるような悲哀を抱えています。
その悲しさや哀しさというのが写真を撮っていると強く感じるんですな。
撮ったらそれが無くなってしまうという罪悪感に駆られるようになっているんです。

しかしこれは間違った考え方なのでしょう。
自然の営みの中にある既存の美しいモノの一瞬を切り取っているに過ぎず、ほとんど悪影響を与えていない事を理解し直さなければなりません。
また一瞬の輝きがあるからこそ映える事象というのがあるのも事実です。
必然的なOneSceneというのが世の中に存在し、ほぼ確実にそれを切り取る人たちがPROと呼ばれるカメラマンなのだと言えるでしょう。

「美しいモノを追求する事」と「聖書の研究」というのは神を知る方法としてはよく似ているのは常識ですしね。
美しいモノを追求していると結局は言葉でも美しいモノを探すようになり、行き着く先は聖書になっていくんでしょう。
まあこれはおいらの主観ですので、他の人はどうか解りませんが.....

結局この記事で書きたい事は
「もっとちゃんと自分で考えて注解せーよ」ってことと、
「あんたにはIdentityというものがないんかい?」と言う事です。(笑)
聴いているこっちが恥ずかしいというのはどうなんでしょう。

でも、おいらは現在はかなりの情緒不安定を抱えているので敏感になってしまっていますな。
気をつけなければなりません。

ところで諸兄たち

特権は立場が上がるのではなく、
より立場が低くなる
事を知って貰いたいですな。
特に日本の勘違いしやすい方たち、特権はちゃんと物事を行っているならばそれに付随して増し加えられるんだという事もね。

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