
illustration、Photo、Music、Typography、そしてMathematicalで表現する力量を問われるのはSimpleである.....................
「達X達(達人たち)」を録画して蜷川実花さんと渋谷慶一郎さんのやりとりを見て、
「夏目と右腕」の蜷川実花さんのAssistantで撮影している風景や写真を見て
「夏目と右腕」でGraphic Designerの佐藤可士和さんの奥さんと佐藤可士和さんを見て
私自身の友人の作品撮影を頼まれた作品を見て
「達X達(達人たち)」で久石譲さんと相手との会話を聞いて
NHKの数学関連のDocumentaLyを見て
Color Coordinatorの資格取得をするための資料を見て
それと以前から自分自身の基本的概念の根幹をなしているLogicの原理として
わたしの意見では
Simpleな構成、Simpleな色、Simpleな表現方法が最もSenseを問われるモノである
と確信してやみません。
久石さんの発言の中に
譜面を2ページほど見るとSense(実力)が分かる
という言葉がありました。
これはどのような分野でもそうです。
物事を理路整然と、起承転結をしっかりと構成できる人間というのは常に構成を無意識の内に
美しいモノにしたい
と願っています。
絵画、写真、楽譜、構成、そして数式がもっとも美しいモノにしたいと願うのです。
わたしが実行している事としては絵画と写真、Typographyぐらいですが「写実的」であるのは最善ですが、
見せたいモノを意図したモノを見せる方法としてある程度の誇張は間違いではありません。
写真に関しては意図的に色を強調する蜷川実花さんの写真は「わたしにとっては」違和感しか感じないんですよね。
確かにArtisticで一瞬、パッと見てImpactが有るとは思います。
ただあれが美しいかと言われるとわたしの見地からすると
「美しいとは思えない」
というのがわたしの意見です。
これは男女の違いであったり、育った環境であったり、見解の違いがあるとは思いますけどね。
それに、
ただ単にVividにしているのではない
のは解っています。
しかしあの色彩感覚はわたしのSenseとは合わないのでしょうね。
わたしは色は極力は排除したいと考えるんですよ。
色が濃ければ濃いほどに
物事をわかりづらく、難しくしてしまう
と考えてしまいます。
これは様々な物事に関しても適用できます。
食べ物の場合にトッピングが目的になってはならないでしょう。
本来の目的を見失いかねない他の物事に集中してしまって、目標を見失ってしまうのは「元の木阿弥」よりもひどい状態になってしまうように感じるのです。
ごてごてで、派手派手な色彩感覚というのはどうも苦手です。
例えば、日本内の建物で解りやすい例がありますよね。
そうです。
金閣寺と銀閣寺
です。
わたしはどちらかと言うと銀閣寺の方が好きなんですよね。
確かにSimpleな写真ですし、それを魅せるために色を調整するというのは発想としてあり
ですし、はるかに高次元で素晴らしいColor Balanceを持っていますよね。
では元の写真の完成度はどうなのでしょうか。
「新しいものを生み出す」というのは
進歩的(Progressive)、革新(Innovative)、現代的(Modern)
という言葉と関連付けられています。
そして新しいモノを受け入れられない人間を保守的で硬い人間だと感じられるかもしれません。
ただ、わたしの基準として
そこにずっと在り続ける際に違和感を感じないか
ということが有るのです。
「Color=色」は経年劣化を引き起こします。
つまり色が褪せていくんですね。
これは白黒(Monochrome)でも顔料系でなければ劣化し、褪せてしまいます。
ただ原色よりは断然残りやすいのが白黒なのです。
そしてインクジェット式のPrinterよりもレーザープリンターで印字した場合の方が良いというのがわたしの考えです。
レーザープリンターでもColorよりもMonochromeのプリンタのトナーの方が保存性が高いはずです。
保存性に何故こだわるのか
これは人間という生き物は自分が生み出したモノを後世に残したいという願望が有るからです。
というより人間は永遠に生きるように作られていて、それが出来なくなったからこそ、後世に残したいという強い願望が生まれているのでしょう。
盛者必衰の理を人間は覆すことが出来ません。
一時的に高みに登っても、必ずそこからは転がり落ちてしまいます。
ほとんどすべての人は、世界各国に有る世界遺産群を見て、そう思われるでしょう。
世界遺産の中には素晴らしい建物があります。
金で覆われていたであろう建築物や絵画、彫刻など様々なものがあります。
原色に近い色というのは保存性が高いものであれば有るほど、高価になっていきます。
それは現在でも変わりません。
では雑誌や本をそのまま置いておくとどうなるでしょうか。
一年、日の当たるところに置いておくならばその殆どは色が褪せてしまうでしょう。
日光というのはそれだけ劣化を引き起こすのです。
それとともに紙の劣化も発生します。
人間の発明の中で偉大な事の一つに「紙」があります。
これは以前の文具の魅力で書いた覚えがあるのですが、中途半端になってしまって結局は全てを書けていないのですが...........
保存性が高いモノというのは墨と紙で書かれた書物なんですよね。
貴重な資料の多くは「聖書」として知られる書物です。
聖書はこの世に現存する本の中では昔から読まれてきたモノであり、人類史上読まなければならないという意識を持たざるをえない書物の一つです。
人間に読まれている書物の中でこれほど物議を醸してきた書物もありませんし、「賞賛批難」を浴びてきた書物もないでしょう。
宗教戦争の中では中心的な役割を担わされて責任を転嫁されてきましたし、多くの残虐な行為の原因となっています。
逆にこれほど幸福な思考を生む本も少ないでしょう。
これほど満足に満ちた状態にされる本というのは存在しないと考えています。
人間が欲する欲求を最も満たしてくれる本が聖書なんです。
最古から伝えられてきた楔型文字や表音文字など........
文字のRootsは「絵」であることは良く知られていますよね。
そしてそれを紡ぐ、そして紬ぐ、勣ぐ事によって多くの表現を生み出すことが可能です。
文字は「絵画」で既に「=Art」であるということは実証されていますし、文字の形というのは大きな影響力を与えるというのは「Font」の種類によって顕著に理解できるでしょう。
これはつまりは、何かしらの文字を書けるToolさえあれば人間はArtistになれるということを示しています。
それが例え石同士で石の上に白く文字を書くだけでも、その時点でArtなんですよ。
これほどSimpleな表現があるでしょうか?
そこから保存性の良い方法を人間は追求してきて顔料系と言われる「墨」と、様々な「紙」が用いられるようになったんです。
染料系のインクは保存性は良くはなって来ていますが、顔料系には及びません。
Computerが発達してきて
本が無くなるのではないか
文字を書く機会が減るのではないか
紙が無くなるのではないか
という事が昔から言われています。
私自身もiPadを使用し始めて、研究に使用する資料をPrint Outするという概念が揺らいできています。
しかし
「Memoをとる=字を書く」
という行為は人間の「人格形成」の中でも最重要な部分です。
それは人間の尊厳であり、人間が有する最高の表現方法であるべきです。
だからこそ
・書道、Calligraphyを学びたい
という欲求は
・人間としての根源的なモノ
なのだとわたしは考えています。
この延長線上にわたしは「写真」があるんです。
・Monochromeというのは写真そのモノのSenseが最も出る表現
だと感じているんです。
色々とたくさんの事を書いてきましたが、わたしが求めるのは
・Simpleに表現する方法であり
・見やすくわかりやすい方法であり
・手っ取り早くOutputする方法であり
・最も安く済む方法
なんですよ。
これって貧乏症だからなのでしょうかね~................
「達X達(達人たち)」を録画して蜷川実花さんと渋谷慶一郎さんのやりとりを見て、
「夏目と右腕」の蜷川実花さんのAssistantで撮影している風景や写真を見て
「夏目と右腕」でGraphic Designerの佐藤可士和さんの奥さんと佐藤可士和さんを見て
私自身の友人の作品撮影を頼まれた作品を見て
「達X達(達人たち)」で久石譲さんと相手との会話を聞いて
NHKの数学関連のDocumentaLyを見て
Color Coordinatorの資格取得をするための資料を見て
それと以前から自分自身の基本的概念の根幹をなしているLogicの原理として
わたしの意見では
Simpleな構成、Simpleな色、Simpleな表現方法が最もSenseを問われるモノである
と確信してやみません。
久石さんの発言の中に
譜面を2ページほど見るとSense(実力)が分かる
という言葉がありました。
これはどのような分野でもそうです。
物事を理路整然と、起承転結をしっかりと構成できる人間というのは常に構成を無意識の内に
美しいモノにしたい
と願っています。
絵画、写真、楽譜、構成、そして数式がもっとも美しいモノにしたいと願うのです。
わたしが実行している事としては絵画と写真、Typographyぐらいですが「写実的」であるのは最善ですが、
見せたいモノを意図したモノを見せる方法としてある程度の誇張は間違いではありません。
写真に関しては意図的に色を強調する蜷川実花さんの写真は「わたしにとっては」違和感しか感じないんですよね。
確かにArtisticで一瞬、パッと見てImpactが有るとは思います。
ただあれが美しいかと言われるとわたしの見地からすると
「美しいとは思えない」
というのがわたしの意見です。
これは男女の違いであったり、育った環境であったり、見解の違いがあるとは思いますけどね。
それに、
ただ単にVividにしているのではない
のは解っています。
しかしあの色彩感覚はわたしのSenseとは合わないのでしょうね。
わたしは色は極力は排除したいと考えるんですよ。
色が濃ければ濃いほどに
物事をわかりづらく、難しくしてしまう
と考えてしまいます。
これは様々な物事に関しても適用できます。
食べ物の場合にトッピングが目的になってはならないでしょう。
本来の目的を見失いかねない他の物事に集中してしまって、目標を見失ってしまうのは「元の木阿弥」よりもひどい状態になってしまうように感じるのです。
ごてごてで、派手派手な色彩感覚というのはどうも苦手です。
例えば、日本内の建物で解りやすい例がありますよね。
そうです。
金閣寺と銀閣寺
です。
わたしはどちらかと言うと銀閣寺の方が好きなんですよね。
確かにSimpleな写真ですし、それを魅せるために色を調整するというのは発想としてあり
ですし、はるかに高次元で素晴らしいColor Balanceを持っていますよね。
では元の写真の完成度はどうなのでしょうか。
「新しいものを生み出す」というのは
進歩的(Progressive)、革新(Innovative)、現代的(Modern)
という言葉と関連付けられています。
そして新しいモノを受け入れられない人間を保守的で硬い人間だと感じられるかもしれません。
ただ、わたしの基準として
そこにずっと在り続ける際に違和感を感じないか
ということが有るのです。
「Color=色」は経年劣化を引き起こします。
つまり色が褪せていくんですね。
これは白黒(Monochrome)でも顔料系でなければ劣化し、褪せてしまいます。
ただ原色よりは断然残りやすいのが白黒なのです。
そしてインクジェット式のPrinterよりもレーザープリンターで印字した場合の方が良いというのがわたしの考えです。
レーザープリンターでもColorよりもMonochromeのプリンタのトナーの方が保存性が高いはずです。
保存性に何故こだわるのか
これは人間という生き物は自分が生み出したモノを後世に残したいという願望が有るからです。
というより人間は永遠に生きるように作られていて、それが出来なくなったからこそ、後世に残したいという強い願望が生まれているのでしょう。
盛者必衰の理を人間は覆すことが出来ません。
一時的に高みに登っても、必ずそこからは転がり落ちてしまいます。
ほとんどすべての人は、世界各国に有る世界遺産群を見て、そう思われるでしょう。
世界遺産の中には素晴らしい建物があります。
金で覆われていたであろう建築物や絵画、彫刻など様々なものがあります。
原色に近い色というのは保存性が高いものであれば有るほど、高価になっていきます。
それは現在でも変わりません。
では雑誌や本をそのまま置いておくとどうなるでしょうか。
一年、日の当たるところに置いておくならばその殆どは色が褪せてしまうでしょう。
日光というのはそれだけ劣化を引き起こすのです。
それとともに紙の劣化も発生します。
人間の発明の中で偉大な事の一つに「紙」があります。
これは以前の文具の魅力で書いた覚えがあるのですが、中途半端になってしまって結局は全てを書けていないのですが...........
保存性が高いモノというのは墨と紙で書かれた書物なんですよね。
貴重な資料の多くは「聖書」として知られる書物です。
聖書はこの世に現存する本の中では昔から読まれてきたモノであり、人類史上読まなければならないという意識を持たざるをえない書物の一つです。
人間に読まれている書物の中でこれほど物議を醸してきた書物もありませんし、「賞賛批難」を浴びてきた書物もないでしょう。
宗教戦争の中では中心的な役割を担わされて責任を転嫁されてきましたし、多くの残虐な行為の原因となっています。
逆にこれほど幸福な思考を生む本も少ないでしょう。
これほど満足に満ちた状態にされる本というのは存在しないと考えています。
人間が欲する欲求を最も満たしてくれる本が聖書なんです。
最古から伝えられてきた楔型文字や表音文字など........
文字のRootsは「絵」であることは良く知られていますよね。
そしてそれを紡ぐ、そして紬ぐ、勣ぐ事によって多くの表現を生み出すことが可能です。
文字は「絵画」で既に「=Art」であるということは実証されていますし、文字の形というのは大きな影響力を与えるというのは「Font」の種類によって顕著に理解できるでしょう。
これはつまりは、何かしらの文字を書けるToolさえあれば人間はArtistになれるということを示しています。
それが例え石同士で石の上に白く文字を書くだけでも、その時点でArtなんですよ。
これほどSimpleな表現があるでしょうか?
そこから保存性の良い方法を人間は追求してきて顔料系と言われる「墨」と、様々な「紙」が用いられるようになったんです。
染料系のインクは保存性は良くはなって来ていますが、顔料系には及びません。
Computerが発達してきて
本が無くなるのではないか
文字を書く機会が減るのではないか
紙が無くなるのではないか
という事が昔から言われています。
私自身もiPadを使用し始めて、研究に使用する資料をPrint Outするという概念が揺らいできています。
しかし
「Memoをとる=字を書く」
という行為は人間の「人格形成」の中でも最重要な部分です。
それは人間の尊厳であり、人間が有する最高の表現方法であるべきです。
だからこそ
・書道、Calligraphyを学びたい
という欲求は
・人間としての根源的なモノ
なのだとわたしは考えています。
この延長線上にわたしは「写真」があるんです。
・Monochromeというのは写真そのモノのSenseが最も出る表現
だと感じているんです。
色々とたくさんの事を書いてきましたが、わたしが求めるのは
・Simpleに表現する方法であり
・見やすくわかりやすい方法であり
・手っ取り早くOutputする方法であり
・最も安く済む方法
なんですよ。
これって貧乏症だからなのでしょうかね~................