Mulgray’s Domain

Mulgrayの日記(独り言)

流浪人

2006-08-30 20:31:57 | Weblog
昨日は十六時に家を出て、吉祥寺へと直行した。
私は普段は全く利用しない駅だが、一度くらいは来たことがある気がする。

親から、吉祥寺は複雑だから待ち合わせ場所を少し詳細に決めておかないと迷うことになる、と聞いていたが、案の定最初は迷った。

H先輩が夏休みに帰ってくるということで、皆でちょっと集まって飯でもどうか、という話で今回集まることになったのが私を含めて六人。その六人のうちのY先輩は少し遅れると連絡があったので、それまで駅周辺を少し歩いてみることになった。

しかし吉祥寺を歩けるのはY先輩だけだったらしい。やがて五人の妙な集団は吉祥寺駅周辺を徘徊し始めた。

とにかく暑いということで、とりあえず、と、ドトールへ入っていく。
しかし階段をどこまであがっても満席で、退場。

私は別にこのまま散歩でも構わないので友人に先を任せていると、何故かゲームセンターへと入っていく。
私はゲームセンターで遊ぶ気はないので適当な椅子に座ってのんびりしていると、友人がドラムマニアか何かでフィーバーしていた。

そうこうしているだけでいつのまにか数十分が経っていて、Y先輩が来る頃になったので駅へと戻った。

改札の方をじっと見ていると、いつのまにか私の目の前に、たった今改札を抜けてきたスーツ姿の東大生がいらっしゃった。まさかスーツとは思わなかった。それだけで見事に私の改札への視線からすり抜けてしまった。もしスーツが似合っていなかったら注視したかも知れないが、結構似合っていた。

斯くして、一行は六人揃い、スーツを先頭に吉祥寺を再び歩き出す。
偶然、それまで徘徊していた辺りと同じ道を行った。

道中、友人の携帯が未だに例のファームウェアバグで暴走を続けているという話を聞いたり、任天堂DSが最も過酷な環境に強いモバイルであるらしいという噂を聞いたりした。私が、DSでもLinuxが動くんだよね、などと言うと、Linuxとは何かと聞かれた。

Y先輩の案内で、我々はとある焼肉店に入った。
六人入れる部屋があったが、足のやり場はなかった。

そこでかなり長い時間、色々な話をした。大学への興味がまた深まった。
私は、大学へ行ったら、少しだけ人を変えてみようかと思っている。
兄が結構社交的なのだが、私もああいった社交性に憧れている。
この時出てきた"大学でデビュー"という話ではないが、やはり人と話せることは重要だと思う。

一時期は、大学は"ついにやりたかった研究ができる"だけの所だと思っていた時期もあって、その頃は人付き合いは殆ど気にもとめてなく、むしろそれは要らないなどとさえ思っていたものだが、それももう昔のことである。人としての勉強、出来る限り多くを受け止めてみたいものである。

炭火焼き肉は豚を焼くと、油の影響で、時に大きな炎があがって急に高温になり全ての肉が焦げる。これには注意する必要があった。

かなり食べて千二百円だった。満足である。

焼き肉屋を出た一行は、またあてもなく街を徘徊し始めた。
どこ行く、と聞けば、どこ行きたい、どこでもいいよ、ということで適当に店を覗きながら歩き回る。一人スーツ。どう見ても謎の一行である。本当に有り難う御座いました。

結局多数決で、私も含めた多数がカラオケを希望して、カラオケへ行くことになった。

そのカラオケ屋は、携帯で登録作業をするとクーポンが使えるらしい。
我々は六人一斉に携帯でカラオケ屋へアクセスした。

職業を選択する欄があった。
―……高校生、大学生、会社員、フリーター、無職……―

Mul:「先輩、これ、無職でいいんですか」
Y:「あはは、もう、堂々と無職を選ぶといいよ」

Mul:____●_バタッ


友人のOが非常に音程が正しいことに少し驚いた。

私は今まで殆ど洋楽しか歌ってこなかったが、今回初めてSound Horizonの曲も歌ってみることにした。

私が今回歌った曲は、

Green Day - Boulevard of Broken Dreams
Hoobastank - Crawling In The Dark
Sound Horizon - エルの絵本 [魔女とラフレンツェ]
Sound Horizon - Ark
Hoobastank - Same Direction
Backstreet Boys - I Want It That Way
   .
   .
   .

確かこんな順番で歌った。なかなかレアな感じが出て嬉しい。Sound Horizon。
また機会があったら、今度はSacrificeあたりで決めてみたい。
初めて聴く人の反応が面白そうである。
今回も私以外誰もSound Horizonを知っている人がいなかったので反応が面白かった。格好いい、らしい。

難点があるとすれば、Sound Horizonの曲は音程が高いということ。
歌うときに裏声を使うか元の声を使うか迷う。

意外と二時間でも思いっきり歌えて、千二百円だった。夜料金は高い。

カラオケを終えると、だいぶ夜も遅くなっていた。
また集まろう、と話して、解散した。
十二時前には家に着いた。

――――――――――――――――――――

今日は校内テストがあった。翌日からは後期授業が始まる。

学生カードを出さなければならない日だったが、見事に忘れた。

担任:「ええ~……。どうして真面目なMul君が忘れるの~……。」

(と言いながら倒れる仕草を見せた。)

すごくすごくがっかりさせてしまったらしい。ごめんなさい……。
というかどう見ても真面目じゃありません。本当に有り難う御座いました……。

――――――――――――――――――――

帰りに、最寄り駅の自転車置き場を探していると、自転車がないことに気付く。
ここは正規の自転車置き場であり、突然撤去されることはないはず。
盗難のようだった。……あれは父の形見の通勤自転車なのだが。

母に連絡したら悲しむかと思って少し迷ったが、隠せることでもないので素直に連絡した。

母は別に悲しむ素振りは見せなかった。

any help

2006-08-25 01:21:11 | ハードウェア
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ、私は何をやっているのか

私ほどけじめというものがない人間はいないだろう

でもどうすれば

自身へ課題を突きつけてみた

しかしそれも裏切られた


…許さない、許さない許さない許さない許さない

――――――――――――――――――――

iPod nanoへのLinuxインストールの際にmicheのものを使い、さらにRockboxを入れて、ブートローダーでそれらとAppleファームとを切り替えるようなことがAppleファームVer1.0~1.1.1あたりまでは容易だったが、どうやら1.2でファームが大きすぎるせいか、私は時間がなくて調べていないが、私の知っている手法では1.2では上手くいかない。
(追記:9月3日にインストーラが更新された模様、現在は可能)

何が起こるかというと、LinuxとRockboxの動作には支障はないが、Appleファームでプレイリストを取得してくれなくなるのである。その他にも妙な不都合が細かく発生する。勘では、Appleファームが要するディスク領域に少し侵食しすぎている感じがする。違うかもしれない。確認する余裕はない。仕方がないのでとりあえず1.1.1に戻して使っている。

――――

Podzilla2、通称pz2は、以前は、初代Podzilla、通称pz0のように外部バイナリを直接実行することができなかったり、実行する際にメモリ不足で不都合を起こしたりしたらしいが、今ではそれを解決するpz2用モジュールがあってかなりpz2が便利である。ただ、MPDなどのDaemonが動いていると外部バイナリの実行速度が極端に落ちたり、リソース不足でエラーになることもあるようだ。

TiMidityのクローンがiPod nanoでLinuxの方で普通に動作する。pz2用のランチャーモジュールも既にあり、pz2では普通にiPodをMIDIプレイヤーにすることもできる。音色をGUSパッチでカスタマイズ可能なソフトウェアシンセサイザーであり、1990年代に流行っていたソフトシンセ程度の音が出せる。

Rockboxの方にもMIDI再生が可能なプログラムが存在するが、MIDIファイルの読み込みが正確ではなかったり、バッファメモリ確保が少なすぎたりするため、プログラムを少し自分で書き換えて修正する必要がある。修正すれば、一応大体普通の再生ができるが、Linuxの方でのTiMidityほどハイパフォーマンスな演奏は期待できない。

iPod nanoではLinuxの方でRAWのAVIを再生できることが知られていたが、nanoでもLinux上でMoviePodを用いて圧縮されたムービーが再生できるようになった。ただ、これにはまだ音声圧縮の機構はない。とはいえ、恐らくRAWに比べ10分の1以下のファイルサイズにはなると思う。これはpz0でもpz2でも利用でき、pz2ではランチャー的モジュールが既に作られていて、やはりnanoを普通のビデオプレイヤーにすることができる。コンバーターについても、Pythonやmplayerなどをあらかじめ用意しなくてもそれらがオールインワンになっているWindows用のコンバーターのexeが既にあり、mplayerが優秀すぎるせいか、DivXなどを含め、殆どのファイルがそのまま、本来ビデオ非対応のiPod用に変換できる。

iboyの再現率はnanoでも0.7.0でほぼ完全と言えると思う。mameやnesは私は試していない。

Doomは、Linuxの方では音全般が出ないが、Rockboxでは効果音に限って出る。現時点では全般的にDoomはRockboxのモジュールの方が優秀であるように思う。

MPDは、modulesフォルダに置いていると、rcファイルにmpdを記述していようとも失敗する気がする。/binあたりに"mpd"だけを755権限で追加し、rcでmpd --update-dbとmpdを記述するとmpdcがエラーを返さなくなるような気がする。しかしMPDは異様にバギーとのことでmp3のタグに結構気を使わなければならないらしい。私は調べていないが。私のnanoでは日本語が記述されたタグがあっても問題はなく認識、再生される。pz2でのMPDの素晴らしい点は、曲をバックグラウンド再生しながら他のモジュールを動かせるところだ。マルチタスクが可能。ただ、可変ビットレートの高ビットレートファイルを再生しようとすると処理が追いつかないことがある。

――――――――――――――――――――

私 は

けじめさえ つけられない

止めろといっているのに

機械使いとしての私など今は要らないむしろ邪魔だ

馬鹿だな 馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ

本当にやるべきことはわかっているのに 何故

私を許せない

絶対に許さない

……。

2006-08-18 22:02:08 | Web技術関連
珍しく、記事内容を暗示する題名を書く気が起きなかった。

14日から今までは、ずっと13~14日の記憶を反芻しては、苦しんでいた。
主に、私の当日の行動のおかしさについて、思い返しては吐き気がする思いだった。
起きていると息苦しいので、眠ってしまうと、同窓会の夢を見た。一時はどうなるかと思った。

今でも苦しさが消えたわけではないが、一応この通り、文を書くくらいはできる。

苦しんでいる間にあっという間に時間は過ぎ、翌日は東大模試だ。

もはや、力試しではなく、感覚をつかみに行くくらいしかできないと思う。
それでも、できる限りは、頑張ってきます。

――――――――――――――――――――

@niftyが提供するホームページスペースの@homepageでは、Perlで記述した自作CGIが使用可能であるが、sendmailは存在していない。
掲示板CGIなどで、sendmailをどうしても使いたいという人は多く、今までにもいろいろと裏技を探してきた人は多い。
中でも嘘sendmailとかは実用度が高かったはずだが、今では使えなくなっているとのこと。
私もsendmailを実現したくて、似たような動作ができる方法を模索したが、どうにも上手くいかないので、最終的には少し無理のある手法にはなったが、一応新しい解決法もどきみたいなものは考えついた。

@nifty独自の"メールデコード"を利用する方法だが、
例えば掲示板で、投稿処理の際、投稿後に"正常に処理されました"というようなメッセージを表示して、"戻る"というボタンを押せば掲示板画面に戻れるようにしておくなどして、そういった投稿後メッセージ表示部で例えば
print "<form method='post' action='http://mdec.nifty.com/cgi-bin/ahpmdec.cgi'>¥n";
print "<input type='hidden' name='ok_page' value='掲示板のアドレス'>¥n";
print "<input type='hidden' name='to_mail' value='送信先メールアドレス'>¥n";
print "<input type='hidden' name='from' value='適当なメールアドレス'>¥n";
print "<input type='hidden' name='sub' value='$in{¥"sub¥"}'>¥n";
print "<input type='hidden' name='name' value='$in{¥"name¥"}'>¥n";
print "<input type='hidden' name='body' value='$in{¥"comment¥"}'>¥n";
print "<input type=submit value=¥"戻る¥"></form>¥n";
のようにして全記入フォームを自動的に埋める方法がある。
(全角の¥を半角に直して読んで下さい…どうも半角で記述すると消される…)
ここでsub、name、commentというのは掲示板の各入力フォームから渡された題名、名前、コメントを指す。
CGIで拾った題名や名前やコメントなどを、これらでそのまま代入しているだけである。必要ならばもっと送信内容を整形することも簡単にできる。
とにかくこのようにすると、戻るボタンを押してさえもらえれば、殆どsendmailのようなメールを受け取ることができる。
意外とこれでもいけるような気がするのだが、どうだろうか。
携帯用CGIでも同じ手法が使える。(EZwebしか試してないが…)
有名なCGIの中では、例えばe-padなどでもこういったものが簡単に記述できる。
e-padでは500行目付近に投稿受理のメッセージ表示部があるので、@niftyで諦めた人は試してみるのも良いかも知れない。

@nifty用で他にもっと良い方法を思いついた方がいましたら是非ご教示下さいませm(_ _)m

同窓会

2006-08-14 20:11:59 | Weblog
十三日は、予備校を終えると、そのまま例の駅へと向かった。
決められた時刻より丁度十分早く着いた私は、しばらく南口と北口の改札を行ったり来たりしながら改札周辺の知人を捜した。
しかし焦りもあってどうにもわからなくなって、K君に何口かとメールを送ったら、南だよと返ってきたので徐に南口を出てみた。
しかしそれでも私は周囲を見渡して、知人を発見できずにいた。
そんな私へ、少し離れた広場にいた同窓生から声がかかり、漸く皆と合流することができた。

男子は多少の変化はあるものの、基本的に殆ど皆昔と同じ雰囲気のままだったため、一瞬は考えはしたが、すぐに誰だかはわかった。
一方、我々より少し離れたところで盛り上がり始めていたグループは、二、三人は昔の面影があって誰であるかはわかったが、
徐々に増えていった人の中には、誰であるかさえわからない人も出てきた。
男子側ではあの人は誰だ、などと囁かれ始め、先生まで私にあの人は誰、などと聞いてきた。私はすみません、と返した。

大体二十人程度集まったところで店へ移動し、適当に座って軽く食べ物をつまみながらお喋りをした。
適当に座ると言っても、友人はやはり隣にということになると男組、女組とわかれてしまった。
いや正確には、私などの、人付き合いの経験がない者にとって、積極的にいろんな人と話すのがどうも上手くいかないのである。
仕方がないので、一部で非常に盛り上がっている会話に脇目を振りつつ、先生や友人と、大学の話や予備校の話、将来の話や人生に関する話などを話した。

しかし次第に、私は、私と友人が三人だけで社会から孤立しているような感覚を覚えた。
私から見れば、部屋は二極化しており、我々が細々と話しているグループと、盛大に何か盛り上げているグループとが存在しているようだった。
そこで途中から私は友人に対して、あまり浮くのはまずい、とりあえず移動しないか、と必死の勧誘を始めた。最近の私にしてはかなり珍しい言動だろう。
ところが友人二人はいいよここで、とか、君が勝手に移動して良いよ、とか、こっちだってそれなりに盛り上がってるんだから、などと言う。
しかし私一人で移動すると何か変だ。と私は思った。何が変なのかは自分でも良くわからなかったが、とにかく変だと思った。
私の後ろの方で盛り上がってた側にいた友人が時々、我々の事を話にあげてくれたので、それを期にいざ、と思ったが、やはり私一人では何か移動しづらかった。
そうこうしているうちに、友人二人のうち一人がトイレへ行く、と席を立った。
その瞬間だった。私は残る友人が一人であることからある計画を閃き、実行に移してしまった。

"この時、私のグループには私と残った友人一人しかいない。先生は特殊な立場にあるから、単独行動が自由である。
つまり、私がここで席を立てば、残されるのは一人だけになる。そうなるのを恐れ、必ずその一人は私についてきてくれる。
そしてトイレから戻って来るであろう友人に面白いトラップを仕掛けることにもなる。そしてその友人もこっちに必ず来てくれるであろう。"

早速その残っている友人に、「彼をはめるチャンスだ、移動して一人にしてみよう、さあ」と呼びかけ、さらに、突然移動するのがやはり気が引けてしまった私は、
できる限り私としては不自然にならないように、後ろで盛り上がっている友人に、一応そっちへ行ってもいいかと聞いてから、ついに移動を開始した。
行ってもいいかと聞くときに断られないことはわかっていたが、しかし何か言わなければ私は動けなかったのである。理由は私にも良くわからない。
友人は一度、「え、彼いいの?」と笑いながら聞いてきたが、もちろんそれも狙いであるから、「いいんだよいいんだよ」と返した。
案の定、ふらふらと、残る友人も後についてきた――が、突如視界から消えた。彼は足を踏み外して盛大な転びを見せてくれた。
挨拶はそれで十分だった。いや、そんなことはないのだろうが、ひとまず移動できただけで私は満足だった。――そろそろ彼が戻ってくるだろう。
先生もちゃっかりと私が移動したグループへと移動してきていた。私にはそんな風に自然に振る舞える人格はない。

少しすると、彼が戻ってきた。机四つのうち、彼がいた机には誰もいなくなっているのを見て、次ぎに我々の方を見、
「おまえらよくも~~裏切ったな~~」とお決まりの調子になってくれた。すぐに彼は我々の方へ来て、そしてめでたく浮き組を解消できた、つもりである。

元々は私自身が浮き組主格みたいな存在だろうと私は思っているので、ここまででとりあえず上出来だと思った。
この程度が精一杯な人間も世の中には居るのである。

さて落ち着いてみると、今後の行動について二手に意見が分かれていた。
ボーリングをやりたいというのと、川へ行って花火をやりたいというものである。
正直に言えば私はどちらでも良かったが、どちらかと言えば花火の方が皆でやる甲斐がある気がしていた。
また、企画進行を進めてくれている方の予定に従うべきだろうとも思っていた。
一時は解散しそうにもなったが、最終的には、それ程時間を要せずして全員花火行きに落ち着いた。

ここの食事代については、私が気付けばいつも「、中生。」とオーダーを出していた先生が奢ってくれて、そのおかげで大分安くあがっていたようである。
ちなみにここまでは、先生以外は誰も酒は入っていない。

そして店を出ると、すぐに先生は一人先に帰ってしまった。

ここで、我々は、まだ遅れて参加してくる人を待ち受ける役と、花火買い出し役と、飲食物買い出し役に別れた。
私は待ち受け役の側にいたが、その間、自らいじられていく人がいたり、気がつけば暴露コーナーになっていたり、後から参加してきた人が片腕で持ち運ばれたり、
適当な雑談をしたりしていた。

やがて買い出し役が戻ってくると、我々は川へと歩き始めた。

歩いている途中でも私はある程度浮いていた。何故……。絡み属性がないからだろうか……。

やがて川へ着くと、さらにまたそこで参加してきた仲間に出会った。ただ、今回はこれまでの男子組とは違い、昔とは大きく異なった人だった。

「月が怖い!」
誰かが叫んだので対岸の方を見やると、少し欠けた赤っぽい月が出ていた。

川岸の適当な広場で落ち着くと、一度精算を行い、それから、今回の同窓会の始まりとなる掲示板を立てた友人を中心に、乾杯をし、後は皆ばらばらに好きな行動をとりはじめた。

私が手に持っている缶を良く見ると、お酒とはっきり書いてあった。私は全く一滴も飲んだことがないわけではないが、しかし…。
私は、"普通に缶一杯を飲む"ということは経験が無かった。精々ワイングラス一杯分くらいの経験しか無かった。
一瞬躊躇したが、私は普段の自分があまりに喋らなくて行動が少なくて浮いてしまうことを思い、少しずつ飲み始めた。
――多少酔えれば、私もそれなりに行動力が上がるのではないか――
ある種の賭けでもあった。むしろ何もしなければ、私は恐らく川岸で座って花火見物あるいは寝てしまうかも知れない程浮いてしまう可能性があった。
私にとってはそれが最大の恐れだった。

噴出花火に火がつけられ始める。
「夏だねぇ」
「わー」
私は写真に撮りたいなと思った。自分の記憶に焼き付けておいた。

一本を飲み終わる。全然普通だった。でもどこか、行動一つ一つに、自分が無理している感がある。これでは駄目だ。さあ二本目。
少し酔ってきたような気分がした。そろそろ丁度いいだろう。では三本目。
……良かった、自分が無理をしなくても、体が勝手に遊んでくれる。ここまでで十分だろう。さあ、派手な花火を。

持つなと書いてある花火を手に持って、降りかかる火の粉も平気だった。
噴出花火も手に持って歩き回り、打ち上げ花火も手から打ち上げた。
ただ、周りを気にする能力が大きく削がれていることに気付き、時々屈んでは呼吸を整えて、できる限り冷静に暴れようとし始めていた。
普段の私ではいけない、そして普段の私でなければいけない。

少しして気付いたが、お酒というものは飲んでから酔いの効力が完全に発揮されるまで五分以上かかるようである。
だから、私は二本目までのお酒の効き目が完全に出る前に三本目を飲み、三本目を飲んだ直後は普通の酔いだったのが、しばらくして少し酷くなっていた。

しばらくすると、足下が大分ふらつき始めた。しかし平衡感覚が無くなってしまうのではない。突如正常な平衡感覚に戻ったりもする。
数秒間隔で平衡感覚が何回も向きを変えているような感覚である。

私は漸くどこかへ絡んでみたい気分になった。

しかし酔っているとはいえ、それ程行動の自由が効くわけでもなく。
でも女子とは絶対に話せそうにはなかった私でも話しかけたり、話しかけに応じたりするくらいはできるようになった。要は、私は話したかったのである。

ところが気がつくと暴露コーナーになっていて、しかも何故か私が暴露することになっていた。どういう流れだっただろうか……。
昔好きだった人がいるのならそれを暴露する、というものだった。
確かにいた。だが……。近い……?笑い話で終わる……?いや……。
Mul「当ててご覧」
そして、次々と聞かれては、いいやと返していった。ただ、私は最初の人を否定したときに、何故その人があがったかを一瞬考えて、もうばれているような気がしていた。最初の人は確かに違うのだが。
A「ところでその人って今日ここにいるの?」
Mul「いるよ」
私は酔っていた。女子は十人程度しかいなかったことに気付いていない。
A「あれ?もう大体あげたよね」
Q「え?」
Mul「あーもう、この辺にしておこう、ははは」
G「そうだよ、もうやめようよ、俺は味方だっ」

Mul「はぁ……」

この辺りで、私は酔ったときのもう一つの異常に気付く。
ある特定の人以外は誰であるかをはっきりとは把握しなくなり、不特定多数に対するかのように呼びかけてしまうことがあるようだった。
私の周辺にいた人の六~十人前後を把握し、後は良く見ていなかったように思う。
ただ単に辺りが暗かったせいなのかも知れないが、なんとなく、それだけではないこういった異常があったように思えた。

「K君が!K君がやばい!」
Mul「…え?」
一人泥酔している友人がいた。
Mul「水…!水はありませんか…!」
水を飲ませて良いのかどうかは私はよく知らなかった。ただ、本人が求めていたから一応。

そうこうしているうちに、夜も深まり、翌日のスケジュールが埋まっている人は帰り始めた。

……まだ手持ち花火がたくさん余っている。……ならば。
私は片手に三本、もう片手に三本の手持ち花火を持って火を付け、上にあげたまま歩いてT君に話しかけようとして近づいた。
T「なんか怖い!」
すっかりあの特殊なイメージを一瞬思い出してしまった。小学生の頃の私の……。

花火も大分尽きてきた。残りは線香花火とかだろうか。

「ゴトゴトッ……ボチャン」
「K君!!!!!!!!!!」
――川に落ちた人がいた。
私も急いで駆けつけた。
川といっても、ボートが並べてある領域に墜落したのだが、一応浅かったらしい。本人は既に立っていた。
だが……。
K「どうして?どうして川に落ちてるの?何があったの?ねえ?どうして?ああ、もう!」
K君は錯乱していた。
私は私自身の酔いをある程度気力で消した。
私はもう一人の友人と一緒にK君を引き上げようとした。
K「自分であがれるから!もう!どうして?!なんで落ちてるの?!」
M「あ、あがってくれ……。」

Mul「彼どうなってた?」
G「俺も良く見てないんだけど、なんかいきなり近くを猛烈な速度で走っていって、川に飛び込んだように見えた」
Mul「…は?w」
G「あいつやばいってまじで」

その後のK君は横になったり、起きれば錯乱状態になり、最後まで大変だった。
この時の彼は、殆ど小学生の時と同じだった。
どう見ても、大学生ではなかった。

彼の携帯は濡れて壊れかかっていた。

夜遅くなってくると、母から電話がかかってきた。帰れなくならないようにだとか、危なくないようにだとか、心配してもらった。

「そろそろ帰ろうかな」
確かに潮時だが、しかし我々は同時に、とても別れを惜しんだ。
「――オールナイトやらね?」
だが翌日の予定がある人にはオールナイトはさすがに無理だろう。

誰にも言ってない話というのを聴くのは初めてだった。胸に秘めておいた。なんだか少し感動してしまった。

終電という声が囁かれ始めたので、私は終電検索などをした。
Mul「○○へ行く終電、五十七分ですよー」
Q「○○○へは…」
Mul「ええと…」
Mul「○○○へは五十五分ですよー」
今考えると、何故この同じ方向の終電検索に差が生じたのかが少し疑問である。

Mul「ここを四十分くらいには出た方がいいかな」

最後は集まって線香花火をやって、そして花火は終わり、皆で駅へ向かい始めた。

K「なんで?なんで?なんで携帯壊れてるの?なんで俺濡れてるの?」
Mul「携帯は大丈夫だから、アドレス後でバックアップとっておいた方がいいよ」

駅へ向かう途中、
G「あーここが俺がバイトしてるところだから、もし近くまで来たら寄ってみて」

少し思ったことだが、思っていた以上に皆社会経験を積んでいる。

駅では、K君に私の切符を潰されたりして、しかもそれに対しても全く意識が向かない本人は
K「なんで?なんで川に落ちたの?なんで?」
と言い続け、ふらふらしていた。G君が居てくれなければ私一人では終電を逃したかも知れなかった。

そしてなんとか無事全員終電に乗り、K君を含む一部の人達と別れた。

最寄り駅に着いた。
「――ホームタウンだぜ!」
「お疲れ様でした~」
「この後ジョナいかね」
「とりあえず座りたい」

最寄り駅に着いた時点でいた十一人のうち、男子二人、女子二人はそれぞれ帰ることに決めて、別の方向へと帰って行った。
残るは男子七人。とりあえずジョナまで行こうか、ということになって歩き始める。

ジョナの前に来たとき、少し頭痛がしていた私は、帰るか帰らないかで迷った。
だが、こんなメンツで集まる事なんて滅多にないんだぜ、という言葉を受けて、よっしゃ、と私はジョナへ向かった。

七人の内、浪人仲間であった一人は、翌日授業があるということで、さすがにここで別れてしまった。

斯くして、六人はジョナに入った。
時刻は深夜二時頃。母からまた電話がかかってきた。今どこにいるのか、と聞かれ、最寄り駅の名を告げたらひとまず安心してくれた。
「まだ親起きてるの?!」
Mul「ああ、……」
なんだか母は臨戦態勢で構えているようである。起きている必要は無いのに……。これは早く帰らないとまずいのか……。

軽い食事をつまみながら、昔の話や、今の小学校の実体の話、暴露大会、今回の同窓会について、大学の話、彼女がいるかどうか、などいろいろと話した。

「掲示板消えて欲しくないよね」
「皆で何か書きまくってみようか」

結局早朝四時過ぎにジョナを出て、少し明るくなりかかっている空を仰ぎながら帰った。小学校の前も通った。

家に着くと、母が臨戦態勢のまま眠っていた。私は物音をできる限り立てないように家に入ったが、部屋に入るときに気付かれたらしい。

部屋に入って時計を見ると四時三十九分だった。

"私は何も感じない"呪文

2006-08-06 21:41:27 | Weblog
そろそろ私のように長袖を着て外出する人も稀になってきた。
私はというと、未だに半袖の上に長袖を着て外出している。

予備校へ行く間にも特に汗はかかない。
大して暑く感じていないからである。

今日は黒の長袖を着て何食わぬ顔で予備校へ行き、帰りも長袖を着たまま自転車に乗って上り坂を時速20km以上の速さで上って帰った。

家に帰って部屋の気温計を見ると36.1度を示していた。外で日を浴びれば軽く40度近くなるのかも知れない。

母は暑い暑いと言っていた。

私は紅茶を一杯飲むと、上り坂でやっとかいたはずの少量の汗が乾いているのに気付いた。

―――――

駅内や電車内や予備校などの空調圏と外とを頻繁に行き来する私にとっては、あまり暑く感じるようでさえなければ、長袖の方が好ましかった。多少暑い分には自分の発熱を減少させて対応できるようだが、冷える場合は調整が効かない。以前、空調の出来が悪い校舎にいたときは、最初寒いと感じた後、あまり何も感じなくなり、ふと腕をみると全体的に手まで薄紫色になっていたなどということもあった。私は寒さもあまり感じないこともあるらしい。

帰りの上り坂については、自転車を使う分には体力の消費自体が殆どない。
結構速く走って上っても、息切れもしなければ心臓もさほど運動していなかった。負担は足にだけかかり、それも自転車を降りれば殆ど回復してしまった。

しかし歩いて帰るとなると全体的なちょっとした疲れが感じられる。
どうやらこの足は歩くようにはできていないようだ。

――――――――――

今期の四日間は講習の切り上げ時間が早く、昼には家に帰ってきている。

帰ってから、家の一階で母とその友人がピアノトリオの練習を始めた頃を見計らって、私は二階へ上がり、徐に小学高学年時代の担任の先生へ電話をかけた。

向こうの声の調子は六年前とまるで変わりなかった。
対して私の声色は大分変わっているかも知れなかった。
それに対して最初一瞬は動揺したかも知れないが、それも束の間、先生は六年前と同じように、態とにも思えるような例の元気な声で話していた。

私は後に開かれるであろう会の日時と集合場所、加えて全体としては連絡がさほど行き届いているかは不安であること、自分は電話はかけたが主催ではないこと、鍵を握るはずの人物の一人が消息不明であったらしいことなど、無駄に付け足して私の把握していた現状を伝えた。

流石に先生は、私が駅名を告げただけで居酒屋が多いだのといった地理は少しつかんでいるようだった。私は、その駅に近いところに住んではいるが、その駅周辺をそれほど利用した覚えはなく、地理感覚はあまりなかった。

会に来られるとの返事を受けて、自分の携帯の番号を連絡用に控えてもらって、電話はそこまでで切った。

今回の電話は依頼を受けてのものだったが、私は恐らく立場上、同窓生のうちで最も暇人にあたるため、本来はいろいろと手伝う必要があるのだろう。

進んで何でも引き受けるというわけでもないのだが、PCからピンポイントでジャンル別建物調査を前もってするくらいであれば私でも比較的素早くできそうな気はする。しかし需要は無いだろう。その程度は既に済んでいるかも知れない。やはり私は陰か。

――――――――――――――――――――

夏期後半。確かこの辺りから徐々に、所謂受験ストレスというものが大きくなり始める。少なくとも去年はそうだった。これは特に何も無くても、残り時間が減っていくごとにそれだけで増える精神的ストレスである。

今回は私はどうなるだろうか。

去年はただでさえ種々のことに悩まされ振り回された上に、精神的な要因によって内側からも振り回されていたようにも思える。いや、順番は逆かも知れない。精神的に弱っているところへ、普段なら何でもないようなことが次々と解決できなくなっていったのかも知れない。

その状態は、限りなく冷静になっている時に、限りなく冷静でない判断を下してしまう可能性がある状態であった。

私は元々、少しでも焦ると異常なまでに何事も上手くできなくなる性質を持っている。多少人並みより大きめの影響があるような気がしている。

今回は私はどうなるだろうか。



既に少し、苦しみ始めている可能性がある。
しかしそれさえも、不安定な感覚からは、よくわからない。

進化バトン

2006-08-04 00:32:03 | バトン
やうみさまから進化するバトンをいただきました^^
面白い発想ですよね^^
一体どこまで進化するんでしょうかww

ではでは参りましょー


【進化バトン78代目】
   
 
 《ルール》
  ・気に入らない質問を1つ削除して、新しい質問を1つ加える事。
    (1番最後の質問のみ対象外) 
  ・【進化バトン♪○世代目】の○のところを、カウントアップ
    (+1)する事。

問1、幸せになれる食べ物は?

幸せになれる食べ物か……
美味しければ何を食べても幸せになると思います(待て

うーむ、強いて挙げればエコノミカルコロッケとかハンバーグ系が好きかな~


問2、幸せになれる場所は?

うーん…一番寛げる場所であればやはり自分の部屋が一番ですね^^

自然の美しい所、とかいうのも幸せになれそうです。

あとは、体力を結構消費しますが秋葉原の電子パーツ&PC街あたりで電子製品を見回りながら走り回るのも結構いいと思...(省略されました…全てを読むにはここをry


問3、今1番欲しい物は、何ですか?

大学生の身分…
彼女も欲しい(何


問4、人生で一番はずかしかったコトは?

え…そう聞かれるとなかなか出てこない…。
いろいろ記憶をあさってみても、恥ずかしい度合いが中くらいのものが山ほどあるが…意外と本気で恥ずかしいことって無いな…私が滅多にそういう感覚を抱かないのかも知れないけど…。

中3~高1時代の、私が最もPC系統の研究に没頭していた頃、連日睡眠時間1日0~30分程度で過ごしていた時があったため、登校時に歩きながらに意識が頻繁に飛んで、結局殆ど無意識のまま駅から学校までの15分間を本能的に歩いていた日々がありました。しかし素晴らしいことに、曲がり角の位置は無意識でも正確に把握していた模様です。それに対し信号の方は無視してたかどうかも良くわかりません(待て
その頃に、学校の門まであと10メートルくらいの地点で、真っ正面から電信柱に全身でぶつかり、そのまま後ろ向きに倒れました。バッタリ。倒れる瞬間に意識を取り戻し、素早く自然に体を起こして周囲を軽く見回すと、笑われるかと思いきや、かなり驚かれている様子でした。なので何も感じずそのまま無意識歩行(オートパイロット !!)を続行し、教室へ……。何此奴……。
ちなみに消費エネルギーは極小です。歩きながらに体力が回復します(誰
歩行速度は標準レベルです。意識があるときはこれの1.4倍速くらいで歩くことも結構ありますが。

注:今はそういうことはありませんよ^^;今は健康体です><


問5、今のあなたを決定づけるきっかけになったものは?

・家族
・幼稚園~小学1年くらいの時に発見したAMラジオ&AFN
・小学1年くらいの時に触れたノートPC
・小学3年くらいの時に親が買った、"インターネット"となる前の"PC通信"時代のPC
・それに搭載されていたN-88BASIC、DOS、Win3.1、Win95
・父がよく買い与えてくれた理系書(電子工作や物理化学系)、電子キット、PC書

小学生時代はPCや電子工作、化学が大好きな人でした。プログラミングは小3か4くらいからかな…
今考えると、思ってた以上に父の影響が強い……

・中学時代に学校の図書室で発見したPC雑誌

PC街道へ……


でもヲタクとかではありませんよーw
私にとって今の私はどれもこれも中途半端で何もできない人です。
なんでもかんでもできるようになろうとしてとんでもないことに(何


問6、得意料理を、教えてください。

目玉焼k(殴

…カレー(蹴

…学校の課題で料理があって、その時にコロッケを作りました。でも得意ってわけじゃないよな…作り方忘れてそうだし…

ご、ごめんなさい何も作れません…ッ


問7、今、旅行したい所は、何処ですか?

Vienna
京都
Silicon Valley 一帯

(何


問8、10年後の自分は、どうなってると、思いますか?

全く想像がつきません……。
正直言って、大学入って初めていろいろと今までずっと小学生の頃からやりたかった研究も含めてできるようになるので(今まででもできたが、あまり許されない境遇だった)、そこからですね……大学入ってからやりたいことはいろいろありますが、その後どの方向に持って行くかはその時々に柔軟に変えられるようにしようと思ってます。

ただ、こう書くと何も考えてないようにも見えると思うので、一応"現時点での"気分の赴く方向性は、

・機械知能絡みの開発

この辺に近いことをやる人になりたいですねー…
機械知能ってなんだかいろいろ統合できそうな気がして…

大きめの夢として、起業なんかも夢見てます。そういう方向へ進むかは別として、夢の一つとして。


問9、次に、このバトンを回す5人は・・・?

うーむ、やはり欲しい方、どうぞ^^;


バトンありがとうございました~^^