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四季折々の花の写真を残したい

四国を学ぶ会 秋の研修 徳島県・高知県 多田豊美

2019-09-17 06:16:07 | Weblog

 

秋の歴史民俗探訪

実施日 令和元年11月4日   参加者47名

川島7時20分発

徳島県の道路事情により中型バス2台に分乗して出掛ける

場所 ・徳島県三好市祖谷地方

    ・高知県長岡郡大豊町

四国の高峰剣山に抱かれた祖谷は雄大な自然を背景に平家落人伝説とそれにかかわる独自の風土を育んで来た。

日本の三大秘境と呼ばれる飛騨の白川郷、肥後ノ五箇所、阿波の祖谷渓は厳しい自然環境の中にどこか懐かしさが感じられる。

こんな祖谷渓にも奥ゆかしい風景が残されどんな人も気持ちよく受け入れてくれる優しさが漂っている。

○ 祖谷のかずら橋       (三好市西祖谷善徳)

 祖谷渓のかずら橋は、山口県岩国の錦帯橋、山梨県の猿橋と共に日本の三奇橋と呼ばれている。

 かずら橋は国指定重要文化財になっている。橋の材料はシラクチカズラ(学名サルナシ)を主材料にしている。橋の全長は45メートル、橋の巾は約2メートル、水面よりの高さは約14メートル。

かずら橋は、3年毎に橋の架け替えをしている。大正11年(1921)には祖谷川の16か所にかずら橋があったが今は善徳にかかる現在のかずら橋一つだけになっている。

 かずら橋は源氏軍の追っ手から逃げるためいつでも切り落とされるように植物のかずらで架けている。

○ 東祖谷歴史民俗資料館    (三好市祖谷京上)



 資料館には、祖谷の歴史に最も雅やかな文化をもたらしたのは、平 家と源氏の勢力争いに敗れた平家一族が、この祖谷渓を落人の里として定着しその足跡が文化財や武具、生活用具、生きて行くための慣習、衣類や書物、絵画、日常生活に使う器具類などが多く展示され往時の生きざまを学ぶことが出来る。

○ 平家屋敷民俗資料館       (三好市西祖谷小西岡)

 第五十代桓武天皇を遠祖として平の姓が下賜されて以来六代250年間平氏は武家として形づけられた。特に平氏は平忠盛にはじまり平清盛、平重盛で世の中の頂点を極めたが、わずか70年の栄華であった。武家一門で大権力を持っていたが滅亡が早かった。

 平家屋敷の祖先は安徳天皇の御典医、堀川内記と言う人であった。後年、徳島城主蜂須賀公と戦ったが敗れて罰せられた。後に罪を許されて西岡集落の名主となり西岡の姓を賜る。

 民俗資料館の屋敷や建物は昔のままで資料館には平家の盛衰と共に戦場でひるがえした八幡大菩薩の文字が入った赤旗がある。

 屋内展示場には平家の宝物類が数多くある。庭には古い歴史を物語るように椿、もくせい、もみじの古木がある。3本それぞれが樹齢八百年と言われている。庭木が平家屋敷の昔を現世に物語っているようである。

○ 八坂神社の大杉(日本一)    (高知県長岡郡大豊町)

 八坂神社の御祭神は須宇佐之男命。この神社にある大杉は樹齢約三千年と言われており須宇佐之男命が植樹されたと伝承されている。この大杉は南大杉、北大杉の二株からなっている。二本の杉が根元で合着しているので別名大豊の夫婦杉と呼ばれている。

 南大杉の根元の周囲は約20メートル樹高が約60メートル。北大杉の根元の周囲は約15・5メートル、樹高が約57メートル。

 昭和27年に国の特別天然記念物に指定されている。この大杉を見聞のため次の人が訪れている。

 作家、徳富蘇峰。 高知県出身で評論家、大町桂月。高知県出身の陸軍大将、山下奉文。

大豊町には歌手美空ひばりの遺影碑や歌碑がたたずむ大杉苑がある。

 美空ひばり(当時美空和枝)が九歳の頃大杉付近でバス転落事故があり、乗車していた美空ひばりは九死に一生を得て八坂神社に参拝して大杉に向かって日本一の歌手になれますように祈願をした。ほどなく美空ひばりは日本一の歌手になったと言う美談が今も残っている。

 遺影碑でボタンを押すと「龍馬残影」「川の流れのように」「悲しき口笛」の曲の歌が流れて来る。

 

 

 

 

 


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