右十八 最終 2016年08月28日 | 若宮三十六歌仙 右18 藤原清輔朝臣(1104~1177) と之へ堂類 うち乃橋も利 ことゝ者む いくよにな里ぬ 水能三な可三 年経たる 宇治の橋守 言問はむ 幾代になりぬ 水の水上 (年をとった宇治の橋の番人よ、聞いてみよう。どれほどの年を経たのか 澄んで流れはじめてから、この川の水上は。) 五月から投稿し今日で、三十六歌仙終わります。 次回は「野村望東尼」詠を投稿してみます
左十八 2016年08月27日 | 若宮三十六歌仙 左18 前 大納言兼宗(1163~1242) よ越春徒る 古ゝろ者奈遠曽 那か利介る う記をう之登は 於もひ志礼と母 世を捨つる 心はなをぞ なかりける 憂きを憂しとは 思ひ知れども (世を捨てて出家する心は、やはりないことである。 世の中の憂きことを、憂いとは思い知っているけれども。)
右十七 2016年08月18日 | 若宮三十六歌仙 右17 前 大納言忠義(1164~1225) お利尓あへは 是もさ須可尓 あ者礼也 小田乃可者川乃 夕久れ能こ恵 折にあへば これもさすがに あはれなり 小田の蛙の 夕暮の声 (時節に調和すると、これもまた、なつかしくないものながらも あわれである。この春田の水に鳴いている夕暮れの蛙の声よ)
左十六 2016年08月06日 | 若宮三十六歌仙 左16 八条院高倉(生没年未詳) い可ゝ婦く 身尓之む色の かはる可那 堂のむる暮能 松可せ農こ恵 いかが吹く 身に沁む色の 変るかな 頼むる暮の 松風の声 (どのように吹くのか。身に沁む響きが、日頃とは変わっていることだ。人が 逢おうといってあてにさせた、この夕暮れの松風の声は。
右十五 2016年08月02日 | 若宮三十六歌仙 右15 西園寺入道前太政大臣(1171~1244) 恋王不る 奈三多や曽らに くもるらん ひ可利も可者る 祢や乃月可氣 恋ひわぶる 涙や空に 曇るらむ 光も変る 閨(ねや)の月影 (恋しさに悩んでこぼす涙のために、空は曇っているのだろうか。 空の月の光も、いつもと変わっている、この寝屋で見る月は。)