札幌市百合が原公園で2つの展示会と同調して、「春のお茶会」が開催されました。
★ ツバキ展 ~世界に誇る日本産の花~2009年2月24日(火)~3月22日(日)
★ 洋ラン展 ~豪華絢爛!鉢花の女王~2009年3月17日(火)~3月22日(日)
武者小路千家の皆様が、実際に大温室でお茶を点て、満開の椿を眺めながら抹茶とお菓子をいただきました。先着100名様だったようですが、ちゃっかり作法も知らずに頂きました。
温室内は春の陽気で、洋蘭、ツバキの他にクリスマスローズやアザレア等の花々も満開に咲き乱れ、とても幸せなひと時を過ごすことができました。
あれから一ヶ月以上経過した。
そんなある日、叔父から私達への励ましと亡き父(兄)への思いを綴った手紙が届いた。
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(略)・・・親・兄弟・姉妹等、肉親を失った時の喪失感は時間が解決してくれます。しかし、長いながい歳月を要します。これは肉親というものの有難さの背後にある宿命であると、私はいつも考えています。従って、先に述べましたように絶対な時間が要ると考えてます。
兄さんは、私達兄弟姉妹のなかでは、亡き両親がいつも自慢していた大変よく出来た息子でした。そして私達もそう思ってました。兄は感性が大変鋭くかつ豊かな人でした。ここに一つ、兄との忘れることの出来ない想い出を識しておきましょう。
私が小学校高学年位の時であったが、「皆既日食」がありました。たまたま、居合わせました。二人で家の庭先でその日食を観察するために、素通しのガラス片 ろうそくで炎を当て、それを曇らせました。その曇ったガラス片を通して進行中の日食を観察するのです。
時間の経過と共に日食は徐々に進行します。二人は曇りガラス片越に太陽を観察していました。周囲はあたかも日が暮れてゆくが如くうす暗くなってゆきます。
その時です、兄は手にしていたガラス片を放り出し、にわかに地面に屈み込み、まわりの庭木の落とす「葉影」を地面にスケッチしはじめたのです。日食の進行と共に変化していく自然の相貌を兄の鋭敏な感性で一瞬で捉え切ったのです。少年の私には、兄さんのこの瞬時の行為に深い深い感動を覚えたものです。
これは兄と私の珠玉の想い出です。この遺伝子はあなたとあなたのお子供達に確実に伝わっています。・・・・(略)
日の出 | 5:49 |
日南中時 | 11:44 |
日の入り | 17:39 |
月の出 | 21:31 |
月南中時 | 1:37 |
月の入り | 6:44 |
家庭には灯火がある。
その灯火もいつかは消える時がある。
日の出 | 6:13 |
日南中時 | 11:47 |
日の入り | 17:22 |
月の出 | 7:11 |
月南中時 | 13:58 |
月の入り | 20:59 |
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳(ばんざい)の人身をうけたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先立つ人は、本の雫(もとのしずく)・末の露(すえのつゆ)よりもし繁しといえり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。すでに無常の風来りぬれば、すなわち二つ(ふたつ)の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装いを失いぬるときは、六親(ろくしん)・眷属(けんぞく)集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ。あなかしこ。