地名学では、邪馬台国は岡山です。

岡山市に隠された地名「大伯(タイハク)」があります。大伯地名と鯨面出土で邪馬台国に直結します。

太伯地名の調査  太白(タイハク)と大柏(おおがしわ)

2014-05-24 06:13:57 | 邪馬台国
宮城県仙台市太白区と太白山
  太白区という区名は、太白星(金星)が落ちてできあがったという伝説をもつ太白山に由来しています。
茨城県守谷市大柏(おおがしわ)
  西光寺の山号の大柏山(たいはくざん)に由来します。
太白市と太白山脈
  大韓民国江原道南部の都市。
  太白山脈(テベク)は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国にまたがる山脈。北朝鮮から韓国の釜山市付近まで500km以上にわたり、1000m級の山々が続いています。
太白山(たいはくさん)
  中華人民共和国陝西(せんせい)省の西南部、眉県・太白県・周至県の境界にある山脈の主峰です。

太伯(呉音・タイハク)⇒大伯(漢音・タイハク)地名は岡山市のみ

2014-05-24 06:13:55 | 邪馬台国
 太伯(呉音・タイハク)・大伯(漢音・タイハク)地名は、岡山市のみ

① 大化改新(645年)以後は「大伯(タイハク)評」が設定された。(藤原宮出土186号本簡)

② 大宝令(701年)の郡制施行に伴い「大伯(タイハク)郡」が成立する。(藤原宮出土本簡概報4)

間違いを態度で示す。

2014-05-24 06:13:54 | 邪馬台国
邑久郡大伯(タイハク)村は、間違いを態度で示しています。
大伯(タイハク)村は、邑久町より別の道を選択しました。

  昭和28年2月 岡山市西大寺市合併
  昭和44年2月 岡山市合併
  平成21年4月 岡山市東区 政令市移行による。

平成26年4月23日の吉備芸文会講演後に「辞書が正しいと考えるな」との指摘を戴いた。
しかし、大伯(タイハク)については辞書は正しい。

大来(オホク)の初見 6世紀末

2014-05-24 06:13:36 | 邪馬台国
 昭和47年成立の『邑久町史』は、「大伯海」に「オホク」とルビし、 平成21年成立の『邑久町史通史編』も「オホク」とルビしています。 ・・・「オホク」とは、読めません。

① 飛鳥京(6世紀末の推古朝~7世紀末の天武朝)出土木簡に「太来」とあります。
② 和気町藤野大田原字藤原の古墳出土の7世紀代の須恵器平瓶箆書に「大久」とあります。
③ 『日本書紀』「天武紀」は「大来皇女」、「持統紀」に「皇女大来」とあります。
④ 713年(和銅六年)の「風土記」編纂にて好字の「邑久」に改められました。
⑤ 邑久郡内出土の7~8世紀代の須恵器平瓶(ひらが)箆書に「大久(人+久)」とあります。

従来説は、古市晃説です。

2014-05-24 06:13:35 | 邪馬台国
須恵器平瓶の箆書写真公開

大きなことを表す「オホ」と、場所を表す「ク」が結びついた地名と考える。今日のところ、これはオホクの語源に対する最も説得力のある見解といってよい。

※ 古市晃説は意味の無い説です。
  


『日本書紀』「天武紀」の「大来」について、説を出すべきです。
『播磨国風土記』に石棺作りの記録があり、石作連大来(いしつくりのむらじおおく)の名前があります。
邑久町古名「大来(おほく)」縁の人です



『日本書紀』 大来(おほく)皇女と皇女大来

2014-05-24 06:13:19 | 邪馬台国
日本書紀』は舎人親王を総責任者として、多くの人達により編纂され、巻ごとに編纂者が異なっています。
編纂者が異なっている為、間違いやすい編纂体制です。

「巻第二十六 斉明天皇」は「大伯皇女(おほくのひめみこ)」 1ヶ所
「巻第二十九 天武天皇下」は「大来皇女(おほくのひめみこ)」3箇所
「巻第三十 持統天皇」は「皇女大来(ひめみこおほく)」 1ヶ所





『万葉集』 大伯皇女と大来(おほく)皇女

2014-05-24 06:13:00 | 邪馬台国
『邑久町史』には『万葉集』の和歌は収録されていません。 
『万葉集』に6首収録されています。

 大伯皇女 4首、大来皇女 2首と大伯皇女が多いが、大伯皇女は(おほく)とは読めません。
 大伯皇女 105・106・164・165  4首
 大来皇女 163・165 2首

「大伯皇女」は「大来皇女」の書写(校正)ミス

2014-05-24 06:12:42 | 邪馬台国
『日本書紀』 と『万葉集』に大伯皇女と大来皇女との記録があります。
「大来皇女」は661~701年。
『日本書紀』 の「持統紀」は「皇女大来」、「天武紀」は「大来皇女」です。

「斉明天皇」の「大伯皇女」は 「大来皇女」の書写(校正)ミスです。

活字出版開始当初から誰も、この書写(校正)ミスを指摘していません。
『日本書紀』校注に「大伯皇女とも」とあるのみです。

生産工場品質管理経験者の郷土史研究への参入が必要です。


『日本女性人名辞典』参照

「呉音から漢音への変化説」 大伯(タイハク)の初見 645年

2014-05-24 06:12:23 | 邪馬台国
① 大化前代は「大伯(タイハク)国」の領域で「神魂命七世孫佐紀足尼」を始祖とする「大伯(タイハク)国造(くにのみやっこ)」が支配した。
② 『先代旧事本紀 国造本紀』に「大伯(タイハク)国造(くにのみやっこ)」とある。
大化改新(645年)以後は「大伯(タイハク)評」が設定された。(藤原宮出土186号本簡)
大宝令(701年)の郡制施行に伴い「大伯(タイハク)郡」が成立する。(藤原宮出土本簡概報4)

太伯(タイハク)に、宗教法人ほんぶしん本部

2014-05-24 06:11:24 | 邪馬台国
太伯に宗教法人ほんぶしん本部があります。
ほんぶしんは、1961年4月26日に、みろく様によって発足し50周年を迎えました。
太伯が日本人にとり最も重要な場所であることを霊的に知り移転を決定しました。
平成26年4月26日の春季大祭に参加し竹内先生に霊的移転を確認しました。






大日本地名辞書の吉田東伍説は間違い

2014-05-24 06:11:07 | 邪馬台国
『大日本地名辞書』は1938年出版の地名辞典です。日本初の全国的地誌です。
在野の歴史家吉田東伍氏個人によって13年かけて編纂されました。

岡山大学 中東靖恵 先生(准教授) の教示。 研究分野 日本語音声学   研究課題名:山陽地方における地域言語の社会言語学的研究 「大伯はオホクとは読めないと思います。しかし、私は歴史はわかりません。」





爵 「太伯」銘文の発見

2014-05-24 06:10:48 | 邪馬台国
「太伯」の銘文が刻された「爵(シャク)」が発見されています。
蓮昌寺(岡山市北区田町1丁目)に4個の爵があります。その一つに「太伯」の銘文が刻されています。
仏住山蓮昌寺仏教美術館並資料館蔵です。 (市川俊介 館長)
爵とは3本の足で支え、上部に注ぎ口と紐を括りつける突起がある器です。酒や水を注ぐ時に用いられました。
八木大慈住職は四国の屋島ドライブインで購入したと説明されます。



蓮昌寺は松田元喬(富山城主・金川城主)創建、備前法華の中心道場として栄えた日蓮宗寺院です。