徳川光圀『大日本史』 2014-05-24 06:16:23 | 邪馬台国 江戸城に登城した青年時代の徳川光圀(1628年~1701年)は、林羅山の『本朝通鑑』を見せられ、その中に「日本の始祖は呉の太伯の子孫である」といふ記述を見て、版行の停止を要求しました。 1645年(正保2年)に『史記』「伯夷伝」を読み伯夷・叔斉に感銘を受け学問に精励し史書編纂を志しました。 #きいてきいて « 西大寺会陽参加の入墨者 | トップ | 備前藩の地誌解析-2 »
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