ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

圏央道 見学ウォーキング (その1:相模原愛川~高尾山) 2014.6.8

2014-06-26 00:33:10 | Weblog

(写真は、開通前の圏央道の見学ウオーキング) 

圏央道の「相模原愛川IC」~「高尾山IC」の
間の14.8キロが明後日(6月28日)に開通します!!

明後日の開通を前に、今月8日、事前の見学
ウオーキング(5,800円)が、相模原市の開通
予定区間で行われたので、参加して来ました。

都心の渋滞を回避するのが狙いです。



今回の開通区間の高速道路を、開通前に歩いて
見学できる唯一の機会です。

普段は、歩行者立ち入り禁止の高速道路を歩ける
とあって、かなりの人気で、私が申し込んだ時点
では既に満席!
キャンセル待ちとなりました・・・

数日後に、主催者の中日本高速道路(NEXCO)
から電話があり、希望者が多いので、当初
予定のバス1台を3台に増便したので私も
OKとのこと。 ラッキー!

ツアーバスの添乗員はネクスコ中日本の方で、
他に土木学会の2名の方が案内役です。

当日、ツアーバスは、8:10に東京駅を出発し、
圏央道の説明ビデオを見ながら、”ウルトラ
マンの秘密基地”である「宮ヶ瀬ダム」へ
向かいます。

宮ヶ瀬ダムは、実は、巨大ダムに見せかけた
ウルトラマンの第三基地なのです。

湖底には秘密基地が存在し、ダムの壁面に隠され
た3つのゲートからクロムチェスターが出動します!

周囲には厳重な警備システムが施されているため、
我々一般人は近づくことはできないのです・・・?
宮ヶ瀬ダムは、2~3日前からの大雨で観光放流
ではなく洪水調整による放流で、凄い水しぶきが
たっています。


急角度のインクラインを使って、ダムの底へ
降ります。
(我々一般人も、秘密基地の中へ、楽々と入れて
 しまいました?)


しかし!、何と!、
インクラインのケーブルカーが、まさかの故障で、
終点の直前で止まってしまいました・・・
ケーブルカー内に閉じ込められてしまいました!

暫くすると、室内の電灯が消え、酸欠状態で少し
息苦しくなり、気分が悪くなる人も・・・

更に暫くしてから、緊急事態発生のため、救助隊
がケーブルカーへ向う旨の放送がありました!!


外から、ケーブルカーに非常階段が掛けられ、
次頁の写真の様に、非常口から脱出です!
貴重な経験?となりました・・・
緊急脱出の決定がされてからの対応は素早く、
あっという間の救出劇でした。
韓国と違い、日本の緊急時対応は素晴らしい!
普段からの訓練が十分に行われている成果なのでしょうね。
海外旅行に比べると、国内旅行は安心です!









ツアーバスは、次に、相模原ICの近の小倉橋
(土木学会選奨土木遺産)に立ち寄ります。

土木遺産の元選定委員という方の説明で、写真の
美しいコンクリートアーチ橋を見学します。

そして、次に、ウォーキングツアーの目玉である
工事中の圏央道へ向います。

圏央道の本線を歩く前に、先ず、相模原ICの
建設現場を見学します。

料金所と各ランプをつなぐ取付橋の架設現場です。

左側が料金所で右側が各ランプです。

オレンジ色の部分が作業台で、ここで、バランス
を取るため左右対称に作業をしながら橋桁が
伸びて行きます。




ICへの5本の連絡橋の工事について、現場監督
の方が、身振り手振りで、詳しく親切に説明され
ました。

ヘルメットを被って説明を受けます。

その後、初歩的な個々の質問にも丁寧に答えて
頂きました。
親切な対応に感激!
下の写真の赤丸印が、現場監督の方の説明を
受けた料金所付近で、中央の斜めの赤線が、
我々が歩いた圏央道の本線です。

工事は、これから料金所の建設に取り掛かる
ところだそうです。
既に完了した料金所の造成作業では、斜面の
上から土を全部削り取り、山梨県内の工事に
使ったそうです。
その数、何と!
5万台のダンプで、切土によって発生した土砂を
搬出したそうです!
驚き!
本線は明後日(28日)開通ですが、料金所の
オープンは1年後との事でした。

バスで移動し本命の圏央道本線へ。
そして、いよいよ、圏央道の本線を歩きます。
現場監督の方の説明を受けた相模原ICの工事
現場の付近から、歩いて工事中の圏央道の本線に入ります。





















途中、パネルを使って圏央道の概要や安全対策、
運転しやすい照明などの説明を受けます。


本日の開通を迎える同区間は既に舗装を終え、
交通標識の取り付けや遮音壁の設置などが
行われています。



ガラス製の透明な遮音壁の区間もあります。


未だ資材が置いたままの場所もあります。

上の写真は、先ほど見学した工事中のICを
下から撮影したものです。

小雨が時折降る梅雨空の下、完成間近の高速道路
を3.5キロほどを歩き、相模原八王子トンネル
付近に到着しました。

何処からともなく、迎えのツアーバスが工事中の
圏央道の本線に入ってきました・・・?


我々を載せて工事中の圏央道を走っていたツアー
バスが急ブレーキを掛けます?

現在の使用中の本線にいきなり合流します!

本線を走っている車は、いきなり訳の分からない
場所からツアーバスが飛び出して来たから驚いた
かも・・・

この後、道の駅滝山で休憩と買い物をして帰り
ました。

今回のバスツアーは、NEXCO中日本、土木
学会、建設業連合会、国土交通省などの共催
でしたが、セクショナリズムの垣根を越えて、
土木工事を理解し、関心を持ってもらいたい
という共通の思いが伝わって来て、爽やかな
気持ちになりました。
コメント (6)

福岡城 (黒田官兵衛 親子) (日本100名城) 2014.6.3

2014-06-20 09:07:07 | Weblog

(写真は、黒田官兵衛が妻の光と晩年を過ごした隠居屋敷跡)
5月28日(水)から6月3日(火)まで実家の
熊本へ帰省しましたが、3日に帰京する際に、
航空便の都合で熊本から福岡空港へ向かい
ました。
飛行機の待ち時間を利用して、福岡市街地の
中心部にある福岡城に寄って来ました。

福岡城は、江戸時代、博多湾の入海(いりうみ)
をうまく堀として使っていましたが、その堀が、
現在、市民の憩いの場所である写真の「大濠
(おおほり)公園」となっています。






地下鉄・大濠公園駅で降りて、この大濠公園を
見てから福岡城へ向います。
大濠公園駅は、一面の黒田官兵衛の案内、
ポスターで埋まっています!



関ヶ原の論功行賞で、黒田官兵衛と長男の長政は、
筑前52万石を与えられ福岡城を築きました。
福岡城の名前は、黒田官兵衛の故郷の備前・福岡
にちなんでつけたそうです。

既に当時、経済都市として発展していた博多の町
を、福岡城の城下町として取り込み、現在の
九州一の大都市の基礎を築きました。

大濠公園側から入ってすぐのところが、三の丸
の一部で、やや高台になっている部分は、「御鷹
(おたか)屋敷」と呼ばれていました。

現在は上の写真の様に、樹木が植えられています
が、黒田官兵衛の隠居屋敷があったところで、
官兵衛は、妻の光(てる:中谷美紀)とここで
晩年を過ごしました。

福岡城(無料)は広大で、三の丸から二の丸
に入ってくると、両側の石垣に圧倒される感じ
がします。



石段を上がるにつれ高くなり、一番高いところが本丸跡です。
石段を上り、更に鉄梯子を上ってゆくと、本丸跡に着きました。



福岡市内が一望出来る絶景の見晴らしです!


現在、福岡の地元では、福岡城に天守閣があった
のか、無かったのか、ホットな論争が起きている
そうです。

”天守閣は無かった”派の論拠は、詳細な「正保
城絵図」に天守閣が描かれていない点。
”天守閣はあった”派の論拠は、熊本藩主・
細川氏の「細川家資料」に”福岡城の天守閣が
壊されるらしい”という記載がある点。
もし”天守閣はあった”とすると、石垣の規模
から熊本城の天守閣に相当するとも言われているそうです。

(下之橋御門)

(下之橋御門の手前のアジサイ)

(多門櫓)

(潮見櫓)

(多門櫓の下の花菖蒲)

(祈念櫓:しゃちほこが上げられ丸瓦に黒田家の
家紋である藤巴(ふじどもえ)が刻まれています。)

(名島門)

城内には、下の写真の「福岡城むかし探訪館」が
新たに出来ており、往時の福岡城の建物が模型で
再現されています。(館内は撮影禁止)

ここで、案内のお姉さんに福岡城築城の歴史
について教えてもらいます。

館内に、織田信長が黒田官兵衛に渡した名刀
「へし切(きり)」のレプリカが展示されて
いました。
「へし切」は、織田信長が無礼をはたらいて机の下
に隠れた坊主を、押し当てただけで斬って成敗
したという鋭い切れ味の名刀です。

”本物は何処にあるのですか?”と、お姉さんに
聞いたら、東京江戸博物館の特別展に貸し出して
います、とのこと。
え~っ、東京なの・・・

大濠公園の大濠公園駅とは反対の側には、写真の
日本庭園(240円)があります。




更に、城内には、飛鳥・奈良・平安時代の迎賓館
である鴻ろ館(こうろかん)跡に建てられた写真
の「鴻ろ館跡展示館」(無料)もあります。


福岡城の見学を終わり、地下鉄で福岡空港へ
向かいました。



飛行機の出発まで少し時間があったので、空港
内で、福岡名物「水炊き」を食べました。

コメント (10)

熊野古道を歩く (特急ワイドビュー「南紀」と南紀勝浦温泉) 2014.5.23

2014-06-14 20:20:09 | Weblog

(写真はホテル浦島)
3回に分けて記載した熊野古道のツアーは下記に
よります。
※「熊野古道と高野山3日間
(JTB:45,000円)」
[1日目] 新横浜(11:19)→ 名古屋(12:40)
    → <ワイドビュー南紀>→ 紀伊勝浦
   (16:42)→ 勝浦桟橋→ 夕:南紀勝浦
    温泉(泊):大洞窟温泉「忘帰洞」など
[2日目] 南紀勝浦温泉→ 勝浦桟橋→ 熊野速玉大社
    → 熊野古道・大門坂散策(石畳の続く
    熊野古道)→ 那智大滝 →熊野那智大社
    → 青岸渡寺→ 熊野本宮大社→ 熊野古道
中辺路散策→ :高野山(泊)夕食は精進
料理
[3日目] 高野山:奥の院めぐり→ 総本山・金剛峯
寺→ 壇上伽藍(根本大塔・御影堂・金堂・
    三鈷の松)→ 高野山駅→ <ケーブル
カー>→ 極楽橋駅- <観光列車・天空>
- 橋本駅→(バス)→ [世界遺産]金峯山寺
(金剛蔵王権現像特別開帳)→(バス)→
名古屋→ 新横浜
このツアーに関して最終回は遡って初日の話です。
東海道新幹線で名古屋に行き、ここでJR特急
「南紀」に乗換えます。

「南紀」は、JR東海の「ワイドビュー」の車両で、
鉄道ファンの私は、乗車を楽しみにしていました。


南紀は、名古屋駅を出ると、近鉄と併走しながら、
広大な川幅の木曽川の鉄橋を渡ります。
最初の停車駅は桑名駅です。
東海道五十三次を踏破したときに降りた懐かしい駅です!
⇒ http://www.minedayo.com/ (東海道五十三次を歩く・完全踏破の一人旅)
四日市付近からは、海岸沿いの工場群も見え始めました。
南紀は、鈴鹿、津、松阪と、私にとっては、
初めて乗る区間を快適に進みます。
尾鷲駅の前後は山の中を走っていましたが、
暫らくすると、きれいな海が見えはじめました!




ワイドビューは前面展望が楽しめるので、1号車
の運転席近くの空席へ移動して写真を撮ります。



熊野駅を過ぎ、新宮駅を出ると、三重県と
和歌山県の県境となる広大な熊野川を渡ります。

新宮駅を過ぎると、今日の宿泊地、終点の 紀伊
勝浦駅に到着です。

和歌山県は、「紀州・湯のくに」と言われるほど
温泉が多いのですが、中でも那智勝浦町には
県下一を誇る175本もの多種多様な源泉がある
そうです。

多くの温泉旅館の他に、”まぐろ水揚げ”日本一
の勝浦港があり、また、観光地としても、紀の
松島めぐり、ホエールウオッチングなど多くの
スポットがあります。

今晩泊まる「ホテル浦島」へのアクセスは、勝浦
駅近くの港からの渡し船のみで、湾内を5分程船
に揺られると、ホテル本館前の桟橋に到着します。






海に突き出している半島の山に、3,000人も宿泊
出来るというホテル浦島の巨大な4館が建っています。



島全体がまるで要塞の様なホテルで、敷地は、
何と!東京ドーム4個分もの広さです!



私が泊まった山上館は、何と!写真の赤丸印の
32階にフロントがあります!
1階からこのフロントまでの高低差が80
メートルのエスカレーターは名物!

次のページの写真の様に、4基を乗り継ぐ
日本一長いエスカレーターです!

(別に、乗り継ぎ無しのエレベーターも
 あります。)

エスカレーターの横に428段の階段もありますが、
さすがにこちらを利用する人はいません。



山上館からの眺めは写真の様に絶景で、勝浦湾や
熊野灘を望むことができます。




ホテルの中には、内湯と露天風呂がありますが、
何と言ってもここの目玉は、本館から半島の裏側
への地下通路を抜けたところにある「忘帰洞」
という大洞窟風呂です”!

「忘帰洞」は、入口の手前から自然の巨大な洞窟に
なっており、海沿いの崖の洞窟に湧いている
硫黄臭の強い白濁の洞窟温泉風呂です。
荒波が岩にぶつかる音が洞窟内に大きく響き、
露天風呂の目の前は大海原で飛沫をかぶります!
大正時代に、紀州藩の子孫の徳川頼倫公が、
”帰るのを忘れさせるほどの所”だ、と
褒めたので、この名が付いたそうです。
お風呂は撮影できませんので次の写真はパンフ
レットです。



洞窟風呂は他に「玄武洞」もあります。

ホテル浦島は、広い敷地に、色々な種類のお風呂
や、ゲームセンター、カラオケ、工房、居酒屋
などが点在しており、起伏がある通路を歩き回る
と良い運動になりそうです。




(夕食)
コメント (8)

熊野古道を歩く (高野山と南海電鉄「天空」) 2014.5.25

2014-06-09 08:06:44 | Weblog

(写真は、高野山の根本大塔)
以前から歩いてみたいと思っていた熊野古道を、
さわりの部分だけをツアーに参加して歩きました。
本日はその続きです。
宿坊を早朝に出発し、高野山の周辺を歩きます。
高野山は、標高900メートルの山の上に、約1200
年前に弘法大師によって開かれた真言密教の修行
道場で、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界
遺産に登録され、寺院は117ヶ所もあります。
その中でも、奥の院は、弘法大師(空海)の御廟
を中心とした高野山最大の霊域で、最高のパワー
スポットとして多くの人が訪れています。






一の橋から続く奥之院参道には、樹齢1,000年
以上の杉並木と石灯籠が並びます。

凛とした厳かな空気に変わり、身が引き締まる
感じです。



高野山は、宗派や身分に関係なく、誰でも埋葬
出来るのだそうです。

豊臣家一族、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗など
の誰もが知っている戦国大名や歴史上の人物の墓
や供養塔、芭蕉の句碑などが広大な敷地の中に続きます。

織田信長は、比叡山や高野山を攻め、僧侶を迫害
したので、高野山には信長の墓は無いと言われて
いましたが、
何と!
昭和45年に発見されたそうです!


分かりにくい場所に、ひっそりとありました。


下の写真は、徳川家康の次男の結城秀康の石廟
(せきびょう)です。

お墓の前に鳥居があるので驚きます!
杉並木を少し進むと、お墓には珍しいモニュ
メントが両側にたくさん見えてきます。

コーヒーカップのUCC上島珈琲、福助人形の
福助足袋、ロケットの形の明和産業、花菱
アチャコ、日産等々・・・



有名企業の慰霊碑や供養塔です。
また、無縁仏も、何と20万基以上あるというから驚きです!




四国八十八か所を廻った後で高野山にお参りする
というお遍路の人達とすれ違います。
下の写真は、玉川にかかる御廟橋(みみょうの
はし)で、ここからは、撮影禁止、脱帽です。

大師が自ら入滅する場所と決めていたという御廟
に到着しました。
奥に見える燈籠堂(とうろうどう)は、2万以上
の献燈が灯り、幻想的な雰囲気に包まれます。

(パンフレットの燈籠堂の内部写真)
燈籠堂の裏手地下には、最大のパワースポット、
弘法大師の霊を祀る大師御廟(だいしごびょう)
があります。
弘法大師はここで即身仏となられました。
数珠に触り、”南無大師遍照金剛”と3度唱え、
具合の悪いところを触れて祈願します。

奥之院を出てから、総本山・金剛峯寺(こんごう
ぶじ)へ向かいます。



金剛峯寺は、全国の高野山真言宗の3,600寺の
総本山です。
豊臣秀吉が母親の供養のために建てたお寺で、
内部には、豊臣秀次が自刃した柳の間などが
あります。
屋根の上には、写真の様に防火水槽があります!


次に、金剛峯寺の近くの壇上伽藍(だんじょう
がらん)へ向かいます。

壇上伽藍は、空海が真言密教の根本道場として
建設しました。
真言密教の教義を表わす伽藍の配置をしており、
正面が中門、そして金堂(200円)、その後方に
根本大塔(こんぽんだいとう)(200円)という
位置関係です。

(金堂)

中門は、来年の高野山開創1,200年に合わせて、
下の写真の様に再建中です。


次の写真の根本大塔が諸堂の中心であり、真言
密教の根本理念を表わすとされています。

下の写真は、空海が唐から帰国の際に投げた
三鈷杵が懸かっていたと言われている「三鈷
の松(さんこのまつ)」です。

来年は、「高野山開創1200年」ということで、
どのお寺もその準備で慌しい雰囲気でした。
壇上伽藍を出て、ケーブルカー乗り場へ向かい
ます。

ケーブルカーの高野山駅から、330メートルの
標高差がある日本有数の急勾配を、約5分で
一気に下ります。

ケーブルカーの終着点「極楽橋」は、南海電鉄
「天空」への乗り換え駅です。

鉄道ファンの私は、「天空」への乗車を楽しみにしていました。

ケーブルカーを降り連絡橋を渡って天空に乗り込みます。


駅名の由来になった朱塗りの極楽橋は、天空が
駅を出た直後に車窓から見えます。

列車は、急カーブが連続し、険しい崖っぷちを
進みます。



写真の様に、谷側の眺望を楽しめるよう座席が
谷側に向かって設けられ、窓が広いパノラマ
タイプになっています。
また、下の写真の展望デッキもあり、上部が
空いていて、風を感じながら山の空気を満喫
できます。


車内で、高野山名物の「柿の葉鮨」を食べます!

一口大のご飯の上に、しいたけの含め煮や、
〆さば、シャケ等がのっていて、食べ易いです。

葉を開く度に、何がのっているかワクワクします。
やがて列車は平地を走る様になり、紀ノ川を渡る
と、約40分で終点の橋本駅に到着しました。
高野山は、京阪神からは、南海電鉄に乗れば
日帰り圏なんですねえ。

橋本駅から、ツアーバスで、吉野を経由して、
名古屋から新幹線で横浜へ戻りました。

名古屋へ向かう途中、南朝の拠点だった世界遺産
の吉野山では、修験道の総本山・金峯山寺(きん
ぷせんじ)で下車して、特別開帳中の金剛蔵王
権現像を拝観しました。
下の写真の国宝・蔵王堂は、1,300年前の創建で、
奈良時代の山岳修行者で修験道の開祖である
役行者(えんのぎょうしゃ)が開いたお寺です。

参道の両側の土産物屋では、吉野葛や吉野和紙
なども売っています。



上の写真は、お土産に買った高野山のごま豆腐
です。

そもそも、ごま豆腐は灰色と思っていたのですが、
白色です。

きめが細かく、ねっとりと柔らで、ごまの香りが
口中にふわっ~と広がります。
これまでに味わったことの無い上質の味です。
無添加、無着色の健康食品です。
コメント (8)

熊野古道を歩く (中辺路から高野山の宿坊へ)2014.5.24

2014-06-03 19:48:22 | Weblog

(写真は、高野山の宿坊の精進料理)

以前からずっと興味を持っていた熊野古道を、
ツアーに参加し、中辺路コースのさわりの部分
だけを歩いて来ました。

熊野古道は、熊野三山へと通じる参詣道の総称で、
「蟻の熊野詣」と例えられるほど、古代から多くの
人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。
熊野古道には幾つかのルートがありますが、
後鳥羽院、藤原定家、和泉式部などの多くの
上皇・貴族も歩いたという「中辺路(なか
へち)」コースが一番人気らしいです。
”熊野古道歩きツアー”は、その中辺路コースの
中でも、更に魅力が圧縮された部分のみを歩きます。
ガイドさんの説明によると、このコースは、地道
あり、石畳の道あり、牛馬童子ありと、熊野古道
の色々な雰囲気、魅力が全て含まれる「おいしい
とこ取り」の最短コースとのことです。

ツアーは、道の駅中辺路をスタートして、牛馬
童子像、そして近露(ちかつゆ)の郷へと至る
熊野古道らしい雰囲気の山道のコースを歩き
ます。


中辺路の牛馬童子から近露王子までは、起伏が
あって狭い山道です。
でも、中辺路コースは、道標が整備されている
ため、歩きやすく道に迷うこともありません。













「熊野は死者の国です。
 人が死ぬと、必ず枕元にたてられた樒(しきみ)
の1本花をもって、熊野詣をすると云います。
 だからこそ、生きている人が熊野詣をすると、
 途中でよく死んだ親族や知り人に会うのです。
 熊野の黒い森の径(みち)が、死出の山路と
 交叉しているあたりでね。」
(新潮文庫「吉原御免状」 隆慶一郎 著)
(注)樒(しきみ)は、昔、土葬にしていた頃、
   遺体を埋めた墓地を動物が掘って荒らした
   ため、これを防ぐために、有毒植物である
   「樒」を供えることで動物を避ける役目を
   した。
現在でも関西の葬儀などでは用いられる。

(一里塚跡)
更に進むと、箸折峠(はしおりとうげ)に差し
掛かります。

花山(かざん)法皇が、食事の際に、カヤを
折って、箸にしたので箸折峠の名前がついた
そうです。
この箸折峠には、熊野古道のシンボル的存在に
なっている、写真の牛馬童子(ぎゅうばどうじ)
の石像があります。

写真の左側が牛馬童子像、隣が役行者像です。

写真の奥が地蔵・不動像と、鎌倉時代の宝篋印塔
(ほうきょういんとう)です。
何故か、明治時代に作られたという牛馬童子の方
が有名になってしまい、現在では熊野古道の一番
人気だそうです。
写真の様に、花山法皇が、牛と馬の2頭に
またがっていますが、左端の人の足と比べると
分かる様に、意外と小さな石像です。
隣の「役ノ行者像」も童子に合わせて可愛い顔を
しています。
牛馬童子のある場所は、花山法皇が御経を埋めた
所と伝えられます。
牛馬童子像から「近露王子」までは、下り坂が
延々と続きます。





ようやく近露の集落が見えて来ました。

「近露」の地名の由来が面白いです。
花山法皇が、カヤを折って、食事の箸にした際に、
カヤの箸から赤い露が伝わるのを見て、「これは
血か露か」と尋ねられたので、この地が「近
(ちか)露(つゆ)」という地名になったのだ
そうです。
この辺りから先は歩きにくい石畳道です。
石畳道を下り切って、日置川に架かる北野橋を
渡ると、近露王子碑があります。

熊野古道歩きツアーバスは、近露王子から、今晩
の宿である高野山の宿坊を目指します。

写真の様に険しい山中を、ツアーバスは、高野山
の宿坊へ向かいます。
ガイドさんの案内だと、下の写真の赤い線が、
山の稜線に沿っている熊野古道で、赤丸印の
部分に小さく見える集落に、タレントのイーデス
ハンソンさんが自給自足の生活をして住んで
いるそうです!


高野山に到着しました。
高野山には宿坊が53もあるそうです。

今回お世話になったのは、立派な門構えの西門院(さいもんいん)です。







ここは高野山街の中心エリアにある宿坊で、周辺
には土産屋や食堂があります。

宿坊の部屋は写真の様に純和風で質素です。

狭いながらも、テレビ、浴衣、タオル、歯ブラシ、
お茶セットなど必要最小限なものは揃っています。

食事を運んだり、蒲団を敷いて下さる方が修行中
のお坊さんという以外、普通の旅館とあまり
変わりません。
ただ、襖で仕切っただけの狭い部屋なので、周り
の音が少々気になります。




また、トイレは共同で1階にしかないので、2階
に泊まった私はやや不便でした。
お風呂も、定員5人の狭さで・・・順番待ちの
状態に。

そういう事を気にしなければ、ちょっと敷居が
高く思われがちな宿坊ですが、宅配便も受け付け
てくれるし、意外と気軽に泊まれそうです。

本堂は撮影禁止だったので、写真は宿坊スペースのみです。


先ず、大広間でツアー全員揃って、精進料理の
夕食です。

宿坊では、お酒の注文をとっていました。
私は、ビールと日本酒をお願いしました・・・

精進料理ですので、肉や魚はありませんが、
揚げ物が入るので意外とボリューム感が
あって、お腹いっぱいになりました。

写真の様に、天ぷら(かぼちゃ、生姜、海苔)に、
空海(弘法大師)がこの地に伝えたという
ごま豆腐、和え物、ダシの効いた吸い物、それに、
高野山と言えばやはり高野豆腐です。

宿のスタッフの若いお坊さんが、無駄のない動き
で、きびきびと動き回って、お茶を出したり、
お代わりのご飯を運んだりしている姿は、礼儀
正しく、見ていて実に気持ちよい風景でした。


添乗員さんの話だと、標高900メートルのこの
辺りは、平地に比べると、気温は7~8度低く、
今でも夜は冷えるそうです。

翌朝、本堂で早朝のお勤めがありました。
(撮影禁止)
朝のお勤めは強制ではありませんが、これが宿坊
の醍醐味ですから参加します。
参加といってもお経を拝聴するだけですが、朝の
お経というのは厳粛で身の引き締まる思いがします。

お勤めは、6:30から30分間で正座の必要は
ありません。
足をくずしても、椅子でもOKです。

その後はそのまま朝食です。

ホテルとも旅館とも違う、独特の宿坊のもてなし
を初体験出来ました。
コメント (8)