![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
東海道五十三次の一人旅で取り上げなかった箇所を、ご紹介
しますので、「東海道五十三次(完全踏破の一人旅)」の
下記と併せてご覧下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
「22:藤枝宿 2011.10.28」「23:島田宿 2011.11.14」
「22:藤枝宿」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/78/52884dc3066dadad71c470dbd82eebc0.jpg)
浮世絵は、問屋場と呼ばれた人馬の中継所です。
江戸時代には、人や荷物を運ぶ人馬については、宿場毎に、
人馬を入れ替えて、前の宿場からの人や荷物を引き継いで
いました。
藤枝は高校サッカーで有名なあの”藤枝”ですが、藤枝の
宿場町はJR藤枝駅からは離れた2キロの長い商店街です。
藤枝宿は田中城の城下町として栄え、現在、2キロもの
長い商店街として残っています。
田中城は、徳川家康がこの城で食べた鯛のてんぷらに当り、
それが原因で亡くなったことで有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
本陣は写真の様に八百屋になっており、何も残っていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/3a/3341f6db72d25a19739d43b07ee483ee_s.jpg)
・瀬戸の染飯
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/75/c867f8ad7e381676c966c088ddb2fe95.jpg)
写真は、江戸時代から売られている藤枝駅前の「喜久屋」
の”瀬戸の染飯(そめいい)”弁当です。
おむすびが黄色いのは、もち米を”くちなし”で染めてある
からだそうです。
くちなしの実には、肝臓や疲れを治す効果があり、腹持ちも
良いため、江戸時代の旅人には保存食として利用されていた
そうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
弥次さん喜多さんも食べ、葛飾北斎も描いているそうです。
・久遠の松
街道の左手の大慶寺には、写真の久遠(くおん)の松が
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/9a/8d45d77cbf4461fe95d4e684ef8feaf1.jpg)
日蓮上人のお手植えで、樹齢750年・高さ26m・周囲7m
のクロマツですが、見事な枝ぶりですよね!
・一里塚跡
長い商店街を抜けて瀬戸川を渡ると、すぐ右のフェンスの
中に写真の一里塚跡があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/cf/fcdbbdb59b88c06644367fefc0d743d5_s.jpg)
「23:島田宿」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/69/f72ae9d75ab0e2bcf3387004b99dafc3.jpg)
写真の浮世絵は、島田側から金谷側へ渡る大名行列です。
島田宿は、刀鍛冶の町でもあったそうです。
・大井神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/63/e3/cf46b2d26c12f7d112131677def0385d_s.jpg)
写真の大井神社は、宿場町を大井川の洪水から守る神
として、元禄時代に祭られたそうです。
日本三大奇祭のひとつ「帯まつり」(10月中旬の日曜)
で有名ですが、写真は、その豪華な丸帯を大きな太刀
につるして歩く大奴の像です。
左腰に大刀、右腰に小刀を差し、豪華な丸帯を、その
両刀に掛けて歩きます。重たそう~!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/2e/f05327521d8c48d2cec3903d37f49b8f.jpg)
大井神社の参道の両脇の石垣は、江戸時代に、川越人足
が、大井川原から、毎日1個づつ運んで作ったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/3e/0236f004b4de54d505e773c7deb62e48_s.jpg)
また、”雲助”と呼ばれ、あまり評判が良くなかった
飛脚たちが奉納した石灯籠もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/42/67/2c33006aaa443871527781f0b7129f62_s.jpg)
・大井川川越遺跡
(川越遺跡の詳細は、2011.11.14の一人旅のブログを
ご覧下さい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/5d/c8a769f6f0df7e5c953c6fb6e502d99e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/b2/f976093d9b6ce3ea58aad5773c647bfd_s.jpg)
写真は、水の深さと川越代金の関係を書いた説明板で、
深さにより、約1,500円から2,800円だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/c6/78ae8d2e276ef2f395c56f56462fd0ac.jpg)
面白いのは、相撲取りは無料だったそうです?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
その渡り方というのは、チンチン電車ごっこと同じ様に、
川越人足が相撲取りの前後に立ち、相撲取りを縄の輪の中
に入れて、歩かせて渡ったそうです(笑い)!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
一切の川越えが禁止される「川留め」ですが、1カ月以上の
「川留め」もあったため、急ぎの旅は中山道を利用した
らしいです。
弥次さんと喜多さんは、川留めで2日間足止めを食います。
松尾芭蕉も、川留めに遭い、4日間、弟子の塚本如舟の家に
逗留して、句を残しています。
明治になるとこの川越人足たちが失業してしまいますが、
この失業対策として清水次郎長が人足を使って清水港を整備
したそうです。
・朝顔の松
写真は、浄瑠璃や歌舞伎の「朝顔日記」に出てくる朝顔の松
だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/a9/1012a8a7fa04312cabd8a01aeb1bd721_s.jpg)
朝顔は、好きになった駒沢次郎左衛門を慕って流浪するうち
に視力を失い、大井川の川止めのために、行き違いになり
身投げ自殺をします。 しかし、宿場の主人に助けられ、
その後奇跡的に視力が回復します。
その時に、朝顔の目に最初に映ったのがこの朝顔の松だった
そうです。