ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

韮山・江川邸 ( NHK「西郷どん」 「篤姫」のロケ地 )(静岡県)2018.12.3


(写真は、「江川邸」でNHK大河「篤姫」の

ロケ中の 「宮崎あおい」)

「韮山城跡」を後にして、城跡のすぐ近くの
「江川邸」(国重要文化財)へ向かいます。

「江川邸」は、最近では、NHK大河「西郷どん」
で薩摩屋敷として登場しました。

また、懐かしいところでは、NHK大河「篤姫」
では、篤姫の生家として登場し、嫁入りシーン
で出てきます。

更には、TBS日曜劇場「JIN-仁」や、東山紀之
主演の映画「山桜」など、多くのロケが行われて
います。


江川氏は、もともと鎌倉幕府の御家人でしたが、
北条早雲の伊豆進出を受けて、北条氏の家臣と
なりました。

北条氏が豊臣秀吉に敗れた後は、徳川家康に仕え、
伊豆が徳川幕府の直轄領になると、韮山代官と
なります。

その後、明治維新まで、幕府の代官を世襲し、
当主は、代々「太郎左衛門」を襲名しました。

江戸後期には、名代官として有名な36代・太郎
左衛門英龍がいます。

太郎左衛門英龍(坦庵)は、世界遺産の韮山
反射炉を建設しました。
英龍は、他にも、日本で最初の洋式帆船(戸田号)
の建造、お台場の建設など数多くの業績を残し
ました。

また、渡辺崋山や高野長英とも親交があり、
文化人、開明思想家としても活躍しました。

明治維新になると、江川氏は新政府に恭順、
38代・太郎左衛門英武は、韮山県知事を
務めました。

韮山(にらやま)県は、現在の静岡県、神奈川県、
埼玉県、山梨県、東京都多摩地域と広範囲に
わたる県でした。


(江川英龍の自画像)

「江川邸」は、「代官屋敷」の「役所跡」を
そのままの形で今に伝え、現存する邸宅建築では
最古のものです。(国重要文化財)

入場料500円を払って、江川邸の表門へ向かい
ます。

現在の「江川邸」は、江戸時代、江川氏の私的
生活の場として用いられていたそうです。

上の写真が、1696年に建築された「表門」です。

ここをまっすぐ進むと、「玄関」が見えて来ます。


ここが大河ドラマ「篤姫」で使われたそうです。









「母屋」に入っていきます。


50坪もの「土間」です。


土間には、伊豆石のパン焼き窯が展示されて
います。
ちなみに、江川太郎左衛門英龍(坦庵:たんなん)
は「パン祖」と言われており、日本で初めてパン
を焼いた人物とされています。



圧巻なのは、力学的に組まれた「屋根裏の架構」
です。


写真は、関ケ原合戦(1600年)前後に建てられ

たとする、高さ12メートルの大屋根を支える
豪華な架構で、凄い迫力です。



板張りと囲炉裏の「台所」です。

英龍は代官としての素質だけでなく、学問や芸術

の見識も深かったそうです。

母屋内の「塾の間」で、江川塾を開いていました。

太郎左衛門の門下生は、佐久間象山・大鳥圭介・
橋本左内・桂小五郎など4,000人にも及んだ
そうです!! 



この部屋では、江川家関連の文献や資料が
まとめられています。


(玄関からの眺め)

母屋を出て、回りを散策します。






上の写真の「米蔵」は明治・大正期に建築された
比較的新しい建物です。

次頁の写真は、「パン祖の碑」です。
江川英龍が、この場で実際にパン釜を用いて
焼いたのが、日本で初めてのパンと言われて
います。
この石碑は、そんな江川英龍(坦庵)を讃え、
昭和28年に全国パン協会によって建てられ
ました。

次頁の写真の「裏門」の建築は1823年ですが、
門扉は、1590年のものとされ、豊臣秀吉の
小田原攻めで、韮山城が包囲されたとき、
砦のひとつだった江川邸(江川曲輪)も激しい
攻撃を受けました。



門扉に残る数多くの穴は、当時、豊臣秀吉の軍勢
から攻撃されて出来た鉄砲玉の跡だそうです!





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コメント一覧

ウォーク更家
今年もよろしくお願いいたします
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

そうなんです、私も、伊豆でも篤姫のロケが行われていたのは知らなかったので意外でした。

今年は、「電車で行く薩摩街道」の総仕上げとして、鹿児島の黎明館にも行きたいと思っています。

韮山も、反射炉などとセットで回れば面白いと思いますよ。
こもよみこもち
あけましておめでとうございます。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
伊豆でも篤姫のロケが行われていたんですね。

昨年、鹿児島の黎明館というところで、
篤姫で使用された小道具類が展示されていて、
懐かしく見ていました。

韮山も一度は行きたいものです。
ウォーク更家
江川邸と狩野川台風
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
狩野川台風による被害は甚大で壊滅的だったんですね。

お爺様の住んでおられた南条も被害が甚大で大変だった地域なのでしょうね。

江川邸には、特に狩野川台風についての説明は無かった様な気がしますので、大きな被害は免れたのでしょうね。
kasane
江川邸
https://blog.goo.ne.jp/shasin328
狩野川台風の時祖父の住んでた南条は堤防が決壊して川に流され
流木につかまって助かったとの話がありました。
江川邸が現存されていて良かったです。
小学生だったので表門を見ただけでした。
ウォーク更家
またまた、大変失礼しました。
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ご指摘、ありがとうございました。

本人は、完全に、”高野”と入力したと思い込んでいるのですが、”高荷”になっていました。

何故だろう、とキーボードの配列を見てみたら、「O」の隣が「I」なので、多分、「TTAKANO」と入力したつもりが、隣のキーを打ってしまい「TAKANI」になったんだと思います。
言い訳になりませんが・・・(-_-;)

最近は、この種の間違いや、勘違いが増えました。
入力後に、キチンと見直すことが大切だと反省しています。
hide-san
高野長英
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
高野長英は江戸伝馬町の火事で牢屋から一時避難で解き放されました。
勿論火事が収まったら牢獄に戻ると言う約束のもとにです。
所が長英は戻らずに逃げ回った時、板橋宿の医師で弟子の水村玄洞宅に立ち寄って居ます。
それが板橋宿本陣の飯田家に残る古文書では、
立ち寄ったことは事実ですが、この時水村玄洞はまだ幼い子供であったように推測されます。

前置きが長くなりました、ブログ本文中、江川氏が

> 渡辺崋山や高荷長英とも親交があり、文化人、開明思想家としても活躍しました。

とあります、せっかくのブログが台無しになります。
ウォーク更家
iinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですか、韮山には何度か行かれてるんですね。

私は、江川邸は初めてでしたが、屋根裏の架構の高い木組みの凄さに感動しました。

そう、私も、大河ドラマ「篤姫」や「西郷どん」のロケ地だったことは全く知らずに訪ねました。
ウォーク更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、江川邸の玄関の広い式台は、多分、籠を乗りつけるためのものだと思います。
そう言えば、旧中山道のどこかで、皇女和宮が休憩されたという広い式台の玄関がありました。

私は逆に、昔、反射炉見物に行った頃は、歴史に全く興味がなかったので、それがどうした、という印象しかありませんでした。
今、もう一度行けば、多分、感動すると思いますが。
もののはじめのiina
韮山 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/bb60c13e8f190f507697154918d65e5c
韮山には何度が訪ねて、「反射炉」と「江川邸」も見学しました。
それも、なつかしいと思えるほど昔のことになります。

江川邸は、大河ドラマ「篤姫」のドラマにも使われたのですね。


> 「東野幸治、今田耕司」、とかけて、「東の工事、未だ工事」と解く、その心は ❔
だぶるコージ してましたが、コウジが芽吹いていまや立派な売れっ子に育ちました。
    工事          麹            
   
hide-san
江川邸
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
もう忘れていた遺構を楽しく拝見しました。
その当時ボク興味は反射炉にあって、
それだけは思い出に残って居ます。

江川邸の玄関は広い式台があって、お籠を乗りつけられるようになっていますね。

かなり偉い人が訪ねられたようですね。
ボクが実際に見た記憶があるのは、
旧中山道の岡谷のあたりで、皇女和宮が休憩されたお宅の玄関先でした。
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