(写真は、「江川邸」でNHK大河「篤姫」の
ロケ中の 「宮崎あおい」)
「韮山城跡」を後にして、城跡のすぐ近くの
「江川邸」(国重要文化財)へ向かいます。
「江川邸」は、最近では、NHK大河「西郷どん」
で薩摩屋敷として登場しました。
また、懐かしいところでは、NHK大河「篤姫」
では、篤姫の生家として登場し、嫁入りシーン
で出てきます。
更には、TBS日曜劇場「JIN-仁」や、東山紀之
主演の映画「山桜」など、多くのロケが行われて
います。
江川氏は、もともと鎌倉幕府の御家人でしたが、
北条早雲の伊豆進出を受けて、北条氏の家臣と
なりました。
北条氏が豊臣秀吉に敗れた後は、徳川家康に仕え、
伊豆が徳川幕府の直轄領になると、韮山代官と
なります。
その後、明治維新まで、幕府の代官を世襲し、
当主は、代々「太郎左衛門」を襲名しました。
江戸後期には、名代官として有名な36代・太郎
左衛門英龍がいます。
太郎左衛門英龍(坦庵)は、世界遺産の韮山
反射炉を建設しました。
英龍は、他にも、日本で最初の洋式帆船(戸田号)
の建造、お台場の建設など数多くの業績を残し
ました。
また、渡辺崋山や高野長英とも親交があり、
文化人、開明思想家としても活躍しました。
明治維新になると、江川氏は新政府に恭順、
38代・太郎左衛門英武は、韮山県知事を
務めました。
韮山(にらやま)県は、現在の静岡県、神奈川県、
埼玉県、山梨県、東京都多摩地域と広範囲に
わたる県でした。
(江川英龍の自画像)
「江川邸」は、「代官屋敷」の「役所跡」を
そのままの形で今に伝え、現存する邸宅建築では
最古のものです。(国重要文化財)
入場料500円を払って、江川邸の表門へ向かい
ます。
現在の「江川邸」は、江戸時代、江川氏の私的
生活の場として用いられていたそうです。
上の写真が、1696年に建築された「表門」です。
ここをまっすぐ進むと、「玄関」が見えて来ます。
ここが大河ドラマ「篤姫」で使われたそうです。
「母屋」に入っていきます。
50坪もの「土間」です。
土間には、伊豆石のパン焼き窯が展示されて
います。
ちなみに、江川太郎左衛門英龍(坦庵:たんなん)
は「パン祖」と言われており、日本で初めてパン
を焼いた人物とされています。
圧巻なのは、力学的に組まれた「屋根裏の架構」
です。
写真は、関ケ原合戦(1600年)前後に建てられ
たとする、高さ12メートルの大屋根を支える
豪華な架構で、凄い迫力です。
板張りと囲炉裏の「台所」です。
英龍は代官としての素質だけでなく、学問や芸術
の見識も深かったそうです。
母屋内の「塾の間」で、江川塾を開いていました。
太郎左衛門の門下生は、佐久間象山・大鳥圭介・
橋本左内・桂小五郎など4,000人にも及んだ
そうです!!
この部屋では、江川家関連の文献や資料が
まとめられています。
(玄関からの眺め)
母屋を出て、回りを散策します。
上の写真の「米蔵」は明治・大正期に建築された
比較的新しい建物です。
次頁の写真は、「パン祖の碑」です。
江川英龍が、この場で実際にパン釜を用いて
焼いたのが、日本で初めてのパンと言われて
います。
この石碑は、そんな江川英龍(坦庵)を讃え、
昭和28年に全国パン協会によって建てられ
ました。
次頁の写真の「裏門」の建築は1823年ですが、
門扉は、1590年のものとされ、豊臣秀吉の
小田原攻めで、韮山城が包囲されたとき、
砦のひとつだった江川邸(江川曲輪)も激しい
攻撃を受けました。
門扉に残る数多くの穴は、当時、豊臣秀吉の軍勢
から攻撃されて出来た鉄砲玉の跡だそうです!