ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

中山道を歩く(54:河渡) 岐阜県岐阜市 5km 2015.10.19


(写真は、長良川に掛かる「河渡橋」)
江戸時代、中山道は「小紅の渡し」で長良川を渡って、加納宿
から次の河渡(ごうど)宿へ向かっていました。
私は、「小紅の渡し」の少し下流の上の写真の「河渡橋」を
渡って、河渡宿へ向かいます。



(河渡橋から岐阜の市街地)
橋の真ん中に写真の警察署の「岐阜北署」境界標識があります。

県境や市町村の境の標識はよく見ますが、警察署の境界標識は
あまり見たことがありません。
一般市民にとって、警察署の境界がどの様な意味を持つのか、
よくわかりませんが・・・
岐阜県では、北署と南署の仲が悪いのでしょうか?・・・

(河渡橋から岐阜城)


上の英泉の浮世絵「河渡 長柄川鵜飼船」では、有名な長柄川
(長良川)の鵜飼船を描いています。
鵜匠たちは捕獲した鮎の大半を尾張藩に上納させられました。
尾張藩は、その一部を、鮎鮨にして、何と!、東海道をたった
の4日間で、江戸まで運んで将軍家に献上したそうです。
うぅ~ん、河渡から江戸まで、たったの4日かあ~!、という
ことは海路なんでしょうね。

川面の上の写真の舟は、遠くてよく見えませんが鵜飼船でしょうか。


長良川に掛かる河渡橋を渡り、対岸の土手の向こう側に下りてゆきます。



土手の下の道を土手に沿って少し歩くと、右手に「馬頭観世音
菩薩」(愛染堂)がありました。






そして、「祭 いこまい 中山道 河渡宿(ごうどじゅく)」
の幟、ポスターに導かれて、土手沿いの道から河渡宿の中に
入ってゆきます。


( いこまい=行きましょう)

河渡宿は、小さな宿場でしたが、米、塩、木材の輸送が多く、
川留めのたびに逗留客であふれ繁栄したそうです。

しかし、第二次大戦の岐阜空襲でほとんど焼失してしまい、
現在は、宿場町らしい雰囲気はほとんど残っていません。



宿場町を抜けると、「中山道河渡宿」の赤い幟旗が虚しく
感じられる様な、殺風景な倉庫や工場地帯が延々と続きます。





やがて、昔は「鯰」という字を書いたという「生津
(なまづ)」集落に入り、そこを抜けると、もう田園
地帯です。


そして、糸貫川を渡ると、本田(ほんでん)集落に入り、
左手に下の写真の「延命地蔵尊」があります。




やがて、右手に、幕府直轄地の「本田代官所」跡の案内板が
ありました。


この辺りは、旧家らしき立派なお屋敷が散見されます。

代官所跡の先には「高札場跡」の案内看板がありました。

「高札場」は、幕府や諸藩が、新しい法の趣旨を民衆に告知、
徹底するために作られました。
しかし、法の趣旨徹底以外にも、キリシタン(切支丹)の密告
の奨励とそれに対する高額の賞金なども掲げられていました。

「高札場跡」を過ぎ、五六川を渡ります。

中山道は、のどかな田んぼとビニールハウスの田園地帯が続きます。

ビニールハウスの中を覗いてみると、何と!意外なことに全て
「ミニサボテン」です!


この辺りは、日本最大級のサボテン農園地帯で、約300種類
のサボテンを育てているそうです。

のどかな田園地帯ではありますが、歩道が無くて車が多い
ので、速足で進みます。


やがて、踏切を渡りますが、線路の右奥に樽見鉄道の美江寺駅
が見えます。
この踏切を渡ったあたりから先が美江寺宿です。

時計をみると2時過ぎです。
案内書によると、ここから、次の近鉄養老線の東赤坂駅まで
9キロもあります。
今日は、この樽見鉄道の美江寺駅から終点の大垣駅を経て、
名古屋経由で横浜へ帰ることにします。



美江寺→(樽見鉄道)→大垣→(JR東海道線)→名古屋→(新幹線)→新横浜

名古屋駅の構内で、遅めの昼食をとるために食堂に入り、
名古屋名物「鰻ひつまぶし」を注文しようとしましたが・・・

写真の「牛ひつまぶし」が余りに美味しそうなので、高額にも
拘わらず(2,720円)、ついフラフラと注文してしまい
ました・・・

この美濃路歩きを通じて、ようやく「鰻ひつまぶし」の正しい
食べ方(注)を習得しましたが、多分、「牛ひつまぶし」は、
この応用編で大丈夫でしょう。

(注)正しい「ひつまぶし」の食べ方
   ①1杯目は、そのまま「鰻丼」として食べる。
   ②2杯目は、刻みネギ等の「薬味をのせて」食べる。
   ③3杯目は、「お茶漬け」にして食べる。

河渡宿から美江寺宿までは、約5キロです。


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コメント一覧

更家
岐阜北署の境界標識
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
江戸時代は境界をまたがって転がっていた死体を巡って管轄争いがあったらしいですが、
「岐阜北署」の境界標識の趣旨は、私の推測に過ぎず、ホントの理由は分かりません。
ただ、私のような旅行者は、”何故必要なの?”、という疑問が湧きます。
船橋原人
警察管区の看板
驚きました。
同じ県警で地域割ですか???
こんなことをやっているから、重要な犯罪者を取逃がしたりするのでしょう。我が千葉県警も同じ様なことをやっています。
全く問題の無い場所で「一時停止」違反者を捕まえてみたり・・・
一方、重要指名犯人を目前で取逃がしたりするのが、最近の警察です・・・
税金を払うのが嫌になります。
更家
Komoyo Mikomotiさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
お恥ずかしい!、単純に「ひつまぶし」の間違いです。(本文訂正しました。)

そう、河渡宿などは、見どころが少なく、ブログを書くのに苦労します。

そういう宿の場合は、今回の様に「ひつまぶし」の話題を入れたり、「続膝栗毛」のエピソードを挿入したりと、
他の宿場町の文章の長さとバランスをとるのに苦労しています。

(という訳で中山道のブログを貯め込んでしまって、なかなか先へ進みません・・・これは怠慢の言訳ですが・・・)
更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、「美江寺」という宿場町の名前は綺麗でイメージがよいですね。

そう、私は、事前に、hide-sanさんのブログで、この電車の乗り方で苦労したのをで読んでいたので、スムーズに乗り降りできました!
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
たしかに河渡宿は、馬頭観音ぐらいしか、見どころがないですね。
私も、《いこまい》ののぼりを頼りに歩きました。
たぶん同じ季節に歩いたのでしょう。

美江寺宿は、樽見鉄道の駅があるので、リタイアするにはちょうどいいですね。

名古屋の人たちは「ひつまぶし」と言っていて、
「ひつまむし」という言い方はしたことがないです。
hide-san
美江寺
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
美江寺宿とは綺麗な名前ですね。

駅には駅舎もなく無人駅でしたね。
この電車の乗り方が解らなくて、面食らいました。
ここで田舎の電車の乗り方を覚えました。
更家
浅田次郎の一路
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、豪勢な「牛ひつまむし」で英気を養いました。

再放送ですが、私も、元旦のテレビ「浅田次郎の”一路”」、見ました。
ええ、「一路」は主人公の名前で、「すわ」は殿様に救われ、のちに恩返しします。

そう、中山道・馬籠宿は坂道にあります。
もののはじめのiina
一路
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b59c47aad866a1f51d72fd26f7bf0d9e
豪華な「牛ひつまむし」に舌鼓をうって英気を養い、元気に旅をつづけたのですね。^^

元旦のテレビで、浅田次郎が「一路」の中山道を紹介していました。一路中山道を進むので「一路」だと思っていたら、侍の名でした。
「すわ」と殿さまのいきさつを解説しました。宿場は坂道にあるのですね。


龍口寺は、 日蓮が龍ノ口法難の際に奇跡を起こした地に建てられています。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/03176cafd7ad29d460708b9a6e961436

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