”本所深川散歩”は、私のブログのタイトル
ではなくて、司馬遼太郎の「街道をゆく」の
第36巻のタイトル「本所深川散歩」です。
(朝日新聞社1,300円)
今夜は、この読後の興奮の冷めやらぬうちに
仕事帰りに”深川を散歩”しました。
永代橋→富岡八幡宮→深川不動尊→森下
司馬遼太郎は、冒頭に、この広い東京のなかで
どこを切り取るか、相当に迷った末に
「本所深川」に決めたと書いています。
当時、世界中の首都の中で、江戸は飛び抜けて
火事が多かったので、材木問屋が巨大資本となり、
紀伊国屋文左衛門の様な成金が現れて、その根拠地
である深川が江戸の中心になったそうです。
男は”いなせ”、女は”おきゃん”の気っぷ
の良さが”江戸っ子”には重んじられたそうです。
司馬遼太郎は、この「いなせ」と「おきゃん」
について、落語の小噺を例にして旨く説明して
くれますよ。
・富岡八幡宮
写真の富岡八幡宮は思ったより小さな神社でした。
しかし、江戸の街はこの富岡八幡宮の門前町
から発展したそうです。
そうか~! 門前仲町は江戸の中心だったんだ!
参勤交代で、侍達がみな国元に妻を置いてきた
ため、江戸は圧倒的に独身男性が多く、
深川にも深川芸者の色町が栄えたそうです。
また、富岡八幡宮には富くじの発売も
許されていたうえに、更に、当時の大相撲は、
勧進相撲として、富岡八幡宮の境内のみしか
許されなかったため、これも深川繁栄の
原動力となったそうです。
コメント一覧
更家
亀の子タワシ
最新の画像もっと見る
最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事