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ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

本所深川散歩(1/6) 2km

(写真は富岡八幡宮)
”本所深川散歩”は、私のブログのタイトル
ではなくて、司馬遼太郎の「街道をゆく」の
第36巻のタイトル「本所深川散歩」です。
(朝日新聞社1,300円)

今夜は、この読後の興奮の冷めやらぬうちに
仕事帰りに”深川を散歩”しました。
永代橋→富岡八幡宮→深川不動尊→森下

司馬遼太郎は、冒頭に、この広い東京のなかで
どこを切り取るか、相当に迷った末に
「本所深川」に決めたと書いています。

当時、世界中の首都の中で、江戸は飛び抜けて
火事が多かったので、材木問屋が巨大資本となり、
紀伊国屋文左衛門の様な成金が現れて、その根拠地
である深川が江戸の中心になったそうです。
男は”いなせ”、女は”おきゃん”の気っぷ
の良さが”江戸っ子”には重んじられたそうです。
司馬遼太郎は、この「いなせ」と「おきゃん」
について、落語の小噺を例にして旨く説明して
くれますよ。

・富岡八幡宮
 写真の富岡八幡宮は思ったより小さな神社でした。
 しかし、江戸の街はこの富岡八幡宮の門前町
 から発展したそうです。
 そうか~! 門前仲町は江戸の中心だったんだ!

 参勤交代で、侍達がみな国元に妻を置いてきた
 ため、江戸は圧倒的に独身男性が多く、
 深川にも深川芸者の色町が栄えたそうです。
 また、富岡八幡宮には富くじの発売も
 許されていたうえに、更に、当時の大相撲は、
 勧進相撲として、富岡八幡宮の境内のみしか
 許されなかったため、これも深川繁栄の
 原動力となったそうです。

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コメント一覧

更家
江戸の歴史
いや、ホント!
下町の散歩は歴史の勉強になりますよ!
歩いてみると、未だ江戸の雰囲気が残っているので、
江戸時代は近い!というのを実感しますね。
亀の子タワシ
そのうち私も読もうーっと!
「深川」が江戸の中心だったなんて、知りませんでした。深川にはそんな歴史の背景があったのですね。
私は「深川めし」としか知りませんでした。

そして、「いなせ」と「おきゃん」という言葉も久しぶりに聞きました。
時代劇では、「おきゃんな娘」とか聞く事があったような・・・
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