ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

再び 東海道を歩く(00:日本橋)  2014.1.29

雪で中山道が閉ざされる1~3月の間は、近場の都内や
横浜をウォーキングしています。

でも、単に歩き廻るだけでは物足りなくて、歩いた地域の歴史
的な背景や地名の由来なども知りたくなり、「市中引き回し
ルートを歩く」ツアー(日本ファミリー旅行)に参加して来ました。

「酒井茂之と巡る歴史ウォーク」
(歴史本の著者の案内で江戸の旧跡を訪ねます。)

「第一回:小伝馬町~芝大門」(6,500円:昼食代含む、更に
 下記「大江戸タイムスリップ・ウォーキング」本プレゼント)
大江戸タイムスリップ・ウォーキング (学びやぶっく)
酒井 茂之
明治書院


「市中引き回しのうえ死罪」となった場合の江戸時代の引き
回しコースは下記の2通りがありました。
 ①.牢屋敷を出て町人町を通り鈴ヶ森か小塚原で処刑。
 ②.全コース(28キロ)を巡って牢屋敷に帰り翌日斬首。

山手線一周34キロよりも短い全引き回しコース28キロを、
ツアーは5回に分けて歩きます。

「市中引き回し」の行列は、総勢10人くらい。
先頭は、氏名・年齢・罪状を書いた札を持った雑色(下級役人)2名。
更に、”刺す又”を持った役人2名、馬を引く者2名。
裸馬に乗せられた罪人、その背後から検死役の同心2名。
最後に馬に乗った与力1名、だったそうです。

罪人が、みすぼらしい姿では、罪人に同情が集まり、幕府に
反感を抱きかねない、ということから、小ざっぱりした着物
に着替え、中には、薄化粧をほどこされる者もいたそうです。
また、小銭が支給され、途中で酒やタバコを買うことも出来
たそうです。


ツアーは10:30に十思公園に集合です。
十思公園は、江戸時代に伝馬町牢屋敷があった場所です。

牢屋敷は2,600坪もの広さがあり、中には、牢屋奉行の屋敷、
同心長屋、拷問蔵、処刑場などもあったそうです。
安政の大獄の際に、吉田松陰や橋本左内らが、この伝馬町
牢屋敷で処刑されています。


(公園内の吉田松陰の供養碑)

牢屋敷の仕事は世襲で、トップは石出帯刀(たてわき)。

また、首切り役・山田浅右衛門も、石出帯刀と同様に、名前も
代々引き継いだそうです。

1657年の「振袖火事」は、17歳で亡くなった娘が着ていた
振り袖を、供養のため火に投じたところ、折からの強風に
あおられ、江戸城の天守閣をはじめ、江戸中が燃え尽き、
10万2千人が焼死するという大惨事になりました。

振袖火事のとき、ここ伝馬町牢屋敷では、迫りくる火を前に、
石出が、”戻って来た者については、罪を減じる様に、命に
代えて幕府に働きかけるから必ず戻って来るように!”、と
言って囚人達を解き放ちました。
この言葉に感激した囚人達は、火事が収まってから全員戻って
来たそうです。
石出は、幕府に働きかけこの約束を実現します。

十思公園には、江戸時代最初の時の鐘といわれる「石町(こく
ちょう)時の鐘」があります。

この鐘の聞こえる範囲の家から集金して維持管理していたそうです。

また、ここの鐘の音を合図に処刑が執行されたそうです。

(処刑場跡の地蔵)

ツアーは、十思公園を出て、小伝馬町、堀留町、小舟町と進みます。
小舟町は、この辺りの運河を走る小舟が荷揚げした場所だそうです。

八丁堀は、町奉行の配下である与力、同心、徒士(かち)など
の町役人が住んでいたことから、町役人は「八丁堀の旦那」と
呼ばれていました。
しかし、現在は当時の面影のカケラすらありません・・・

八丁堀を抜けて京橋へ向います。
次の写真は京橋の親柱ですが、京橋は京橋川に架けられた橋
で、日本橋から東海道を京都に向かうときの最初の橋なので、
京橋と名付けられたらしいです。

京橋を過ぎて、江戸時代は銀貨の鋳造を行っていたという
銀座に入ります。古地図を見ると、徳川家康のころは、まだ
銀座は、京橋川、汐留川、外堀、三十間堀に四方を囲まれた
島です。
銀座を抜けると新橋ですが、新橋は汐留川に架かる橋だった
そうで、現在は、汐留川は埋め立てられ、上は首都高速です。

前の写真は、新橋の親柱ですが、次の写真の向いの交番の屋根
も、全く同じ形です!

古地図をみると、新橋の辺りで汐留川がカーブを描いています
が、上を走る首都高速も、古地図と全く同じ形のカーブを
描いています!
京橋川は、水運の便が良かったので、広重の名所江戸百景にも
描かれた様に、川の両岸には、竹、薪、大根などの河岸が
あったそうです。(下の写真は、大根河岸の碑)

また、この河岸には多くの人が集まったので、中村勘三郎が、
ここに猿若中村座の芝居小屋を立ち上げたのが江戸歌舞伎の
始まりだそうです。(下の写真は、江戸歌舞伎発祥の地の碑)

更に、浜松町へ向かって歩きます。 浜松町の大門の交差点に
近い路地の奥に、写真の芝大神宮があります。

ここの境内で、勧進相撲を興行していた力士と、町火消し
「め組」との間で、勧進相撲の入場料を払う払わないで、
喧嘩がおきました。

このとき、め組が半鐘を叩いて喧嘩の応援を集めましたが、
火事以外で半鐘を叩いたため処罰されます。
でも、島流しになったのは、町火消しではなくて、半鐘
だった、という、いかにも粋なお裁きでした!
この喧嘩は、芝居「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうの
とりくみ)」として有名になったそうです。

上の写真は、珍しい「め組」の狛犬です。

ツアーは、芝大神宮の更に奥の有名な増上寺で解散です。



(増上寺の和宮像)
増上寺では、「モー娘。」の「ヒット祈願」に遭遇しました。

寒風の中、上の写真の様な舞台衣装で可哀相・・・

上のテレビニュースの画像の左後方で(写っていません
が・・・)、「モー娘。」の祈願の様子を見物して来ました。

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コメント一覧

更家
小塚原処刑場
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
小塚原処刑場のブログ、読ませて頂きました。

小塚原の「首切り地蔵」や、「解体新書」との関係は興味深かったです。

鈴ヶ森処刑場は行きましたが、小塚原処刑場も、一度、是非訪れてみたいです。

また、「首斬り浅右衛門」の刀の鑑定の副業の話や、
肝臓の漢方薬の話も興味深く読ませて頂きました。
iina
面白いツアー
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/21d75039d4c3b51cfeabb7de3b9e694d
ツアーの中でも、市中引き回しルートなるものがあるとは興味深い話題でした。
処刑される罪人を着替えさせたり小銭を与え好きなものを買わせたというのも、情けをかけた粋な計らいですね。

更家さんは、さすがに巧く取材されていました。iinaは、小塚原と首切り役・山田浅右衛門をブログで扱っていました。

小塚原刑場 ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6bde1259c689852bc46910c8b7a013e0

首斬り浅右衛門 ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/32e2b3a17faaeeaa5c467cba47a94d78

さらに、罪人の臓器を頭の浅草弾左衛門に払い渡していますが、その弾左衛門については6編アップしていました。 


江の島に「八方睨みの龍」でなくて「八方睨みの亀」の理由は分かりませんが、亀は、奥津宮の手水にも使われてたり、
岩屋前の橋の下にも亀石があるらしいです。
更家
モー娘と一緒に祈願?
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
増上寺に参拝しようと、入口から入ろうとしたら、
いきなりお坊さんに入口の扉を閉められてしまいました。

モー娘の祈願が済むまで、お待ち下さい、と平謝りされました。
仕方なく、脇の入口から入って、モー娘の後ろに立って、
30分くらい、撮影中のテレビニュースのカメラマンの横で、
祈願の様子を眺めていましたよ。
更家
「すごい名前」のツアー
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
「いや~、私も、この強烈なツアー名に魅かれて、
ついつい参加してしまいましたよ。

そうなんです。
先生の説明によると、引き回しは刑罰ではなくて、
庶民への戒めのためのイベントだったそうです。
そのために、引き回しのコースは庶民が住む町家を中心に決められたそうです。
hide-san
モー娘
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
モー娘に出会えるとは、好運でしたね。
Komoyo Mikomoti
すごいツアーがありますね。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
さすが東京はすごいですね。
こんなことを考える人がいて、
それで人が集まるというのがすごいです。

当然、罪人は見せしめなので、
江戸の主な場所は全部回るのでしょうね。
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