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Mr.PROTOCOL

高円寺8/17にOPENのBar

LOVE AFFAIR~秘密のデート~

2015-06-14 | 毎日ブログ
平凡と刺激、どちらかを選ぶならもちろん刺激を選ぶ私ではありますが、先週はちと激アツな日々が続きましてしばらくは穏やかな日々を望む店主であります。


突然ですが、皆様は「秘密」ってありますか?
多くの方は一つ二つはあると思います。
ではそれを他の誰かに言いますか?

私は基本的にはよっぽどの事がない限り言いません。
世の中にはそういう事を自分の中で持ちこたえきれず何かに誰かに告白する事で楽になれるタイプの方も当然いますが、私はどうやらそのタイプではないので。
それを秘め続ける事に対してのストレスはあまりありません。

私はこういう仕事をしているのでよくお客様から相談されます。
それは私に対してある程度の信頼感があるからそう話してくれるのでしょうが、もちろんその程度にもよりますが絶対に内緒にします。
それがその方への交わしてこそいないけど「契約」であると思うし当然の「義務」であるからです。

よく
「誰にも言わないでね」
という始まりからそういう話は始まったりしますが、そう切り出す方はきっと他にも同じ話をしていると思います。
そうだろうなとは思ってもやはり私は他には言いません。

口の軽さ固さというのはある程度は生まれ持ったものだと思います。
それは時には場を盛り上げ、時には人間関係を壊し、時には新たなものを築きます。

私は基本的には誰かに対して相談というものをしません。
何かを相談するという事はその何かはきっと「秘密」ですよね。その人を信頼してないというわけじゃなくて自分がそれを打ち明ける事によって自分のもはや「恥ずかしい部分」が皆に知れ渡る可能性が生まれるのが嫌だからです。
だから基本的には全て自分の中で解決しようとします。別に偉そうな感じに聞こえますがそういう意味ではありません。
大した人間でもないので。

最近世の中はそういった人の秘密をおもしろおかしくとらえてシェアしようとする傾向が強いなと感じる事が多かったのでこんな事を思いました。そういった人の秘密の重さ軽さを皆が同じ基準で判断できればそんな事にはならないのでしょうが…それは無理な話ですもんね。

BARに「秘密」とは付き物であると思います。それもBARの魅力の一つだとも思います。
以前私はご新規のお客様との会話が弾み、いつものように
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
と尋ねたところ
「名前言わなきゃダメですか」
と返された事がありました。
多くのお客様は自分の名前を覚えてもらった方が喜んでいただけると思っていたので正直しまったと思いました。
そのお客様はそしてこう続けました。

「BARは好きなんだけど継続性を持たせたくないんだよね」

なるほどと思いました。
ちなみにそのお客様は今でもいらっしゃいます。
そしてとても博学な方なのでお話も面白く、もちろんその場にいる他のお客様との会話も自然となさいます。
てもその方のBARの楽しみ方とは「刹那」なのです。
名前や職業をさらす事による継続性はBARには求めていず、その瞬間瞬間での空間を楽しんでいるのです。
その一件から私は今までのようにむやみやたらにお客様のお名前を伺う事はなくなりました。

私は皆様の守ってほしい秘密はこれからも守っていきたいと思います。
…て事を考えてたらなぜか寅さんを思い出しました、店主でした。

時代

2015-06-11 | 毎日ブログ
以前、高円寺の名店「やよひ」の閉店について書きましたが、なんだか最近高円寺がおかしい。

やよひの閉店でみんなプツンと糸が切れたのか、今高円寺でなんとも聞こえが悪いモノではありますが「閉店ラッシュ」が起きています。

ここもあそこもと一気に同じ時期に長く続いていた店もそうでもない店をも含めると片手で収まらないくらいの店舗が閉めているという現実。
これは飲食店だけの話なのですが、それ以外の店舗ももしかしたらあるのかもしれません。


なんとも心が痛みます。


少し高円寺という街の変化の時期に来ているのかもしれません。

何かがなくなるという事は何かが新しくできるという事でもありますので空いた物件にいろいろな新店舗が建つのでしょう。

果たしてどんな店舗が入るのか。
前にも書きましたが、大手チェーン店が多く入りそうな気がします。私の極々個人的な考えではありますが。
「個」の力だけでは街を維持できない局面までもはや来ているんだと思います。
力や資金面で潤沢な大手が入り、個では補えない部分をフォローしてほしい。
それが新しい高円寺という街への第一歩かと思います。

人と人との繋がりがとても大事とされる高円寺ではありますが、そういった「いっぱいいる中の一人」になれる環境も大事だし私自身も欲したりする時があります。

元々ここ高円寺には約800店舗ほどの飲食店があると言われています。
それだけの数なのでお客様自身がその時の気分や状況、相手等によって使い分けができる街ではありますが、その選択肢のニーズに沿えるかどうかが高円寺ではとても大事。

Mr.PROTOCOLもそんなお客様の「今日はここ」という場面で沢山の方に思い出していただけるように、選択肢に入るように精進したいと思います。

時代とはまわりますが、芯はブレず、そして順応性豊かにいきたいと思います、店主でした。



夢の中へ

2015-06-08 | 毎日ブログ
最近、「なくし物」が多いのです。

つい最近では財布(お金以外は無事に返ってきました)なんかもトイレに忘れてしまったりして。

もの以外でも記憶をなくしてしまったり…ダメです、これは本当にダメ。

こういう事って結構連鎖するもので本当に最近いろいろなものをなくしてしまうのですが、何かの暗示なんですかね。
それともこれから何か「手に入る」からそれまでの帳尻合わせなのでしょうか。
それならいいのだけど。

全ては自分の責任なのですが、昔の歌の歌詞でも
「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で」
とありますので私もなくしたものを探すのはやめています。

すごく前向きに考えればそれは「必要な事」なんだろうと考えるようにしています。

この店を開ける直前で私は携帯電話のメモリーが諸事情によって全て消えました。
これから一番大事な時なのに、全ての業者やそれまでに繋がってたお客様の連絡先が消えました。
絶望しかなかったし本当にこの状態でお店を無事開店まで辿り着かせる事ができるのかとても不安になりましたが、それがなんとかなるもので。

本当に繋がりたい、繋がってなきゃいけない人とはなんとかすればまた繋がる事ができるもので。
私はあの時、これは大事な時期で本当に大事なものとそうでないものを判断しなければいけなかった必要性のある「淘汰」だったのではと今では考えています。断捨離というか。

今、私の周りにあるものや人が失われていく事はきっとまたそういう時期に来ているのかもとも思ったりもします。違うかもだけど。ただの自分の不注意なのかもだけど。

というわけでなんだかワクワクさえしている最近ですが、それが勘違いではなかったと自身の考えを自身の力で正解にしていけるように本日もゆらゆらオープンしたいと思います、店主でした。

強い気持ち・強い愛

2015-06-05 | 毎日ブログ
先日、私と繋がりがある方のFacebookでのとある投稿を見て非常に考える事がありました。

その内容とは、その方が朝の通勤電車で前日の夜更かしから座りながらうつらうつらしていると遠くの方からはっきりと、そして幼い声で繰り返し大きな声で叫んでいたそうです。


「誰かこのおじいさんに席を譲ってあげてください」


見るとドア付近に高齢な方がいたらしく、その方のために小さな小学生くらいの子が車内に向かって叫んでいました。
ところがその無視できないほどのボリュームで叫んでいる子供の周りにいた大人は誰一人反応しなかったらしいのです。

私の知り合いの方がそれを見ていてもたってもいられなくなってその子供と御老人がいる所までは距離もあったのですが、自分が座っていた席に荷物を置いてその子供の所まで行ってその御老人のために席を譲ろうと向かおうとすると、なにやらその御老人は次の駅で降りる予定だったらしく大丈夫だからと本人からの申し出により結局席に座る事はなく次の駅で降りたそうです。

結果、その子供の勇気ある行動が実る事はいろいろな重なりもありますがなかったそうです。

この投稿を見てなんという事が朝の通勤電車内であったものかと私は思いました。
きっとその時の子供は親や学校からの教えで「お年寄りには席を譲りましょう」という教えを受けていたのですね。
そして彼はそれは間違いない事だと自分の中で強く信じていた。
そして実際そういった場面に遭遇した時に教わった事を信じて迷いもなく行動に移した。
というかその子供は座ってなかったのにそれでも「これはみんな間違ってるからなんとかしようよ」と見も知らぬ周りの大人達へ必死のアピールをしたわけです。

この投稿を見て非常に感じたのがその子供がもしこの先また同じような場面に遭遇した時にまた同じ事ができるのだろうかという事。

「教わった事をちゃんとやったのに正解がもらえなかった」

という過去の経験から「嘘」や「恐怖」を感じてしまって何も間違ってない、むしろ尊い勇気ある素晴らしい行動に不安を覚えてしまってできなくなってしまうのではなかろうかと。

それはとても悲しい。
その時に周りにいた心ない大人達のせいです。

年齢的なものもあります。
幼かった故、そういった行動ができたというのもありますが、私はそこまで強く「間違っている状況」に対してそんな大胆に自分の主張をぶつける事はできなかったでしょう。


そして私自身の事も思い出しました。

親や学校から
「挨拶をしっかりしなさい」
とは当然教わりますよね。
だから私は小学生の時に朝の登校中すれ違う人全てに「おはようございます」と言っていました。
でもみんなが「おはよう」とは返してくれなかった。
なんだ、教わった事をやっているのに正解をもらえないじゃないかと思ってしばらく続けた後にやめました。

同じだな、と。


私は自転車で通勤しているのですが、その道程の間に高校があります。
そして頭が丸まっているのでその高校の野球部だと思うのですが、その部員が朝になると等間隔で並んでいて道行く人に大きな声で叫んでいるのです。
「おはようございます」と。

私は何十人もいるその部員達全ての「おはようございます」に「おはようございます」と返すようにしています。

ただ、そんな光景に遭遇するのは朝の8時くらいなのでそんな時間に帰っているという事はそりゃあもう的な自身の状態ではあるのですが、そんなぺろんちょな状態でも嬉しくなるのです。そしていい朝だなと思えます。


…話がそれてしまいましたが、その電車内で必死の訴えをしていた大きな子供に私は会いたい。
強さを分けてもらいたい、と今思うのです。
間違いは間違いだと強く伝える事に対して強く訴える事ができなくなってきた中年にいろいろと教えてほしいと思う店主でした。






ここにしか咲かない花

2015-06-01 | 毎日ブログ
「えっ!ホントに……」


その話をとあるBARで先週末聞いた時にはなんとも言えない気持ちになりました。ただひたすら悲しかった。





高円寺に「やよひ」という居酒屋がありました。
私は詳しくは知りませんがおそらく何十年も前から営業していたガード下にある小さな居酒屋です。
そちらのやよひさんが閉店したとの事。

こちらのお店はご高齢のおかあさんとお手伝いさんの二人で経営されていたお店で、特殊なのは営業時間。
朝の5時から10時までというなんとも高円寺らしいというか。
そんな営業時間のためここが1軒目なんて人はいるわけなく店内はいつも泥酔客で賑わう感じ。
それでもおかあさんは嫌な顔一つせずいつもニコニコしていました。
それは長い人生経験からそういった輩をも愛せるからなのか、それとももはやなんとも思わなくなっているのか、商売が好きだからなのか。閉店してしまった以上もはや知る術もありませんが。

それともう一つやよひさんで特徴的であったものが「お通し」。
こちらのお通しは選べるシステムになっていて黄ばんだ壁に貼ってあるお品書きから好きなものをおかあさんに頼んで作ってもらうのですが、その内容が特徴的。
一般的な冷奴や枝豆とかもあったとは思いますが、野菜炒めやグリーンカレー、ハンバーグともはやお通しレベルではないものもありまして。冬場には湯豆腐なんてのもありました。

それらのもはや一品料理級のお通しを食べながら生姜を刻んで入れたジンジャーハイボールなんかを飲むのがやよひスタイルでした。

私も自身の店を開けてから間もなくこのやよひさんの噂は聞きまして、なんとも興味深い店だったのですぐに伺いました。
最近はあまり伺えてなかったのですが時既に遅し。なくなってからその大きさに気付くのは何でもそうなのですが。
本当に後悔しています。もっと行けば良かった。

飲んべえが集う高円寺の「最後の店」であったこのやよひさんがなくなったという報せはすぐに街に広まりました。
写真をよく見るとわかるのですが、おかあさんのご挨拶の周りには閉店を悲しむ方からのメッセージがありました。

愛されていたのですね、こんなにも。
「やよひ」は絶対に高円寺には必要だった。

でもご高齢のおかあさんの身体の事を考えると無理は言えません。私が飲みに行った時もおかあさんは
「最近病院に行く回数が増えてね」
なんて事もおっしゃってましたし。

「おかあさんてどんな生活サイクルなんですか?」

と聞いた時に

「相棒の再放送が始まるくらいに寝て1時に起きるのよ」

という返事が返ってきてひっくり返りそうになった事を覚えています。

まだ店を開けて3年も経ってない私が言うのもなんですが、高円寺の一つの時代が終わった気がします。

こんな風に終わる時には街中から惜しまれる、そんな店になるためにはまだまだまだまだ努力も時間も足りませんが、ほんのちょびっとでもそういった時にはそんな風に思ってくれる人がいるようなお店にしたいものです。


おかあさん、長い間お疲れ様でした。
本当にお疲れ様でした。
ずっと身体に無理をかけてお仕事されてたでしょうからもうこれからはゆっくり休んでくださいね…って伝えたいのですが、きっと高円寺の人達みんな思ってるのでしょうが。


とにかく。
街に愛される店、私を目指して地道に続けます、店主でした。