貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・番外編

2023年03月29日 | 貧者の一灯

















※…
福祉団体スタッフの古屋隆一(ふるや・りゅういち)
(41)がひきこもりの人を支援へと橋渡ししている。

「心配な人を見かけたらその都度、古屋さんや
自治体の担当者と情報を共有してきた」  

高齢者の暮らしを支える地域包括支援センタ
ー職員波田優子(なみた・ゆうこ)(55)の仕事
は、自宅を訪問し、自力での生活が難しい人
に必要な介護サービスを利用してもらうことだ。

だが着任後、奇妙なことに気が付いた。

明らかに介護が必要なのにサービスを使おう
としない人や、使っている場合でも、娘や息子
の存在を隠そうとする人がいたことだ。  

調べてみると、自宅には40代や50代のひき
こもりの子がいた。親は自分が死んだ後のこと
を考え、少しでも資産を残すため、支出を抑え
ようとしている。

さらに気になったのは、各家庭を訪れるヘルパ
ーや、周辺住民の間に「そっとしておいてあげ
よう」という雰囲気があることだった。  

「私たちが関わっていけば、きっと社会に
戻れるよ」。波田は事例を挙げながら、ケア
マネジャーやヘルパー、訪問看護師らと話し
合いを重ねた。

ひきこもりの子がいる親は内情を明かしたが
らない。だが近所の人は気付かなくても、介護
に携わる人ならば親に寄り添える立場にある。

一人一人の意識を変えたかった。  

ぎりぎりまで抱え込んだ末に生活が行き詰まり、
初めて支援が始まるケースは多い。

波田はそのタイミングだけは逃さないようにして
いるが「もっと早く動き出せないか」と思う。  

昨年、地元の町内会長や民生委員、医師ら
約60人に参加してもらい、ひきこもりをテーマ
にした大規模な会議を開いた。  

民生委員からは「ひきこもりの人がいると分か
っても、個人的なことなので周囲に話しては
いけないと思っていた」、

医師からは「治療以外に、本人を支える仕組み
があるとは知らなかった」といった声が上がった。  

波田は言う。「地域の中には、協力できる人が
たくさんいる。福祉の関係者だけでなく、みんな
で考えたい」  

※…
社会とのつながりを失った人や家族には多様
な支援が求められる。そんな中、現状にいち
早く危機感を抱き、地域ぐるみで取り組もうと
している町がある。…




青森との県境に位置し、太平洋を望む岩手県
洋野町。海の幸が豊かで、毎年夏に開かれる
「ウニまつり」は多くの観光客でにぎわう。

人口1万7千人ほどの小さな町だ。  

保健師の大光テイ子(だいこう・ていこ)(65)が
“異変”を感じたのは、町の健康増進課長だっ
た2011年。

がん検診の受診率を上げるため、担当者に
各家庭を調べてもらうと「検診どころか、長い
間家を出られない人がいる」との報告が相
次いだ。

翌年、40年近く勤めた町役場を定年退職し、
町が運営する地域包括支援センターの職員
として再就職。

認知症が疑われる高齢者宅を回る傍ら、気に
なっていた「家を出られない人」の家庭訪問
を始めた。 

※…
ある日、センターに地元の病院から電話が
入った。

「介護サービスを使った方が良い人がいるので、
話をしてほしい」。

70代の両親と40代の長男の世帯についてだった。  

大光は自宅を訪れ、事情を聴こうとしたが、
父親に断られた。  

「いいです。いいです。用事はない」  

家の中が、雑然としている様子が気になった。  
3度目の訪問。大光が玄関口で父親と話を
していると、中から「入ってもらったら」と声がした。

ベッドに母親が寝ていた。聞き取りを進めると、
父親は奥の部屋を指さし、こう言った。  

「息子が20年間、布団をかぶって寝ている」  
父親は認知症、母親は重い病気だったが、
2人とも介護サービスを利用していなかった。

「息子が働いていないので、お金を残して
やりたい」。そんな思いがあることを知った。  

「銭っこがないなら大変だよね。あなたも、
息子も、奥さんも、3人まとめて応援するし。
任せてくれない?」  

明るくおおらかで、誰の悩みでも受け止める大光。
地元で長年保健師をしていた経験も、家族から
の信頼を得られた理由だった。  

父親と母親はともに要介護認定を受け、訪問
介護を利用し始めた。

長男はそううつ病と診断され、障害年金を受け
られるようになった。  

昨年、両親は相次いで亡くなった。

1人残された長男は、困ったことがあれば
センターに電話をかけてくる。

「もし何もしないままだったら、今頃どうなって
いたか…」   


※…
大光は高齢者の相談に乗りながら、ひきこもり
の支援も続けている。

その活動の陰には、東日本大震災をきっかけ
に東京からやってきた1人の医師がいる。
(敬称略) …












※…
「娘さんかなり疲れておられるようだし…。  

要介護5のお父さんと、 要介護4のお母さんを  
これ以上独りで看るのは無理ですよ。  

この5年半、交代する人がなくて、 娘さん
1日も休んでいないんでしょ。  

どちらか1人でも 施設に入ってあげないと、  
このままでは娘さんのほうが 倒れてしまい
ますよ」。  

訪問してきた介護専門員に促され、父は
しばらく黙っていたが、 やがて心を決めた
ように、「わかりました。私が行きます」と、  
落ち着いた声で答えた。 

施設入所のことを今まで一度も 口にした
ことがなかっただけに、私は父の即答に
驚ろいた。  

確かに、父がパーキンソン病を患って 歩け
なくなってから、 すべてが私の両腕にかかる
ようになり、更には母の認知症も進み、判断
力を失なったことで、 世話の頻度は限界
に達していた。  

介護に昼夜の区別はなく、毎日、服を着た
まま寝て、 わずかな仮眠をとるだけの日々が 
何年も続くなか、 ヘルパーさんの力を借り
ても及ばず、私の体力は見る見るうちに衰え
ていった。 

ここで私が倒れたら 両親はどうなるのだろう
…と、不安が募り始めていた頃でもあった。

「父さん……。 ごめんね……」  

私が小声で言うと、「いや、もっと早く考えて
やるべきだった。すまん……。 心配するな」と、 
父はかすかに微笑んだ。  

手続きも済ませ、 私は父に持たせる衣類や
身の回り品など、すべてを揃えて入所に備えた。 

そして、父が家を出る 5日前のことだった。  

母が眠ったのを見届けてから、私は父の
部屋の前に立った。  

もう深夜の2時だから、父も眠っている頃
だと思い、 そっと黙視をして去ろうとした時、 
扉の隙間から「う、う……」 という嗚咽が洩
れてきた。  

静かに扉を開け、「父さん」と声をかけると、 
父は急に声を押し殺したようだった。 

背を向けたままの父が、「母さんを頼む……」
と、 かすれた声で答えた。  

細身のからだを なお振り絞ったような 
悲しげな声である。  

そう言えば、きのうもその前も 確かに聞こ
えた。あれは、父の嗚咽だったのか………。

「父さん、ほんとうは……。 

ほんとうは行きたくないんでしょ」。父は
黙っていた。

「父さん、ほんとの事を言って」 
やはり父は黙っていた。  

がしかし、薄明りの中で父の肩が 小刻みに
震えているのを見た時、 私はふいに雷に打
たれたような 感覚に襲われた。  

そして、胸の奥底から 熱いものが込みあげ
てきた瞬間、  思わず叫んでいた。

「父さん、もう行かんでいい。行かんでいいよ。  
いや、絶対に行かせない!!」  

私の意志はこの時、何にも左右されないほど
の 強さで固まった。 … 

父が亡くなったのは、その1週間後であった。  

どこかで自分の死期を 感じていたからこそ、 
最期は家族と一緒に いたかったに違いない
……。  

それを言えずに「自分が行く……」だなど
と……。  

あの日、あのまま 施設に行かせていたら、 
私はどれほど悔やんだことだろう。 

かすかな“父の嗚咽”が、私の大きな後悔を、 
安堵に変えた一瞬であった。  

天国の父さん。…早いもので あの日あなた
が旅立ってから もう6年経ちましたよ。 

先日、母さんも あなたのところへ行った
きりで……。

私はとうとう独りになってしまいました。  

父さんと母さんを介護したのは 11年間で
したが、  その11年は 私の人生の中で
最も満ち足りた、そして幸せなひとときでした。  

父さん、母さん、今とても会いたいです。  

2人を失なった深い悲しみは 消えることが
なくて……。  

でも仏様が呼びに来られるまでは、 こちらで
もう少し  生きていかねばなりません。

父さんと母さんが残してくれた“二つの教え”と、  

そして、あの日、母さんと交わした“大切な約束”
を守り抜いて、  私なりにしっかり生きていきます。  

寄る辺のない身にも、 星はきれいに輝きます。 
ペンを置く。…









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