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貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歴史への訪問

2022年04月15日 | 妄想劇場















和尚さんは一匹の三毛ネコを自分の子どもの様に
可愛がっていましたが、今ではそのネコもすっかり
年寄りです。

ある日の事、和尚さんが村人の法事(ほうじ)に出かけて
夜遅くに寺へ戻って来ると、寺の中で何やら騒がしい
音がします。

(はて、どうしたんだろう?)

不思議に思った和尚さんが、そっと中をのぞくと、和尚さん
の三毛ネコが和尚さんの衣(ころも)を着て、楽しそうに
踊っているではありませんか。

しかも三毛ネコのまわりにはたくさんのネコが集まって、
三毛ネコと同じ様に首を振ったり手足を動かしています。

(こりゃ、おどろいた!)

和尚さんは、しばらくネコの踊りを見ていましたが、
(そう言えば、ネコを長い間飼っていると化けネコになる
というな。

うちの三毛ネコも長い間飼っているから、とうとう化けだしたか
と、怖くなって来ました。

そこで、わざと大きなせき払いをしてから、ゆっくりと
戸を開けました。

「三毛や、今、帰ったよ」

そのとたん、ネコたちはあわてて外へ飛び出し、
和尚さんの飼っている三毛ネコもあわてて衣を脱ぐと、
いつもの様に和尚さんのそばへ駆け寄って来て甘えました。
「ニャーオ」

「・・・三毛や。・・・いや、何でもない」

和尚さんは頭を振ると、さっさと奥の部屋に行って
しまいました。

「・・・ニャーオ」いつもとちがう和尚さんの態度に、
三毛ネコはがっかりした様に鳴きました。

さて、その日の真夜中、和尚さんが寝ていると、
誰かが耳元で和尚さんに声をかけました。

「和尚さん、和尚さん」

和尚さんが目を開けると、まくら元に三毛ネコが
座っています。

「今、わしを呼んだのはお前か?」
「はい、わたしです。実は和尚さんに、お話があります」

和尚さんはネコが口をきいたのでびっくりしましたが、
それでも起き上がると三毛ネコの話に耳を傾けました。

「わたしは長い間、和尚さんに可愛がってもらいました。

ご存じかもしれませんが、人間に長く飼われたネコは
知恵と妖力がついて、化けネコになります。
わたしが化けネコになったのは、もう三年も前の事です。

出来れば化けネコになった事は隠して、このまま和尚さん
と一緒に暮らしたかったのですが、正体を知られては
それも出来ません。

わたしは今晩を最後に、ここを出て行きます」

それを聞いた和尚さんの目に、涙がこぼれました。
いくら化けネコでも、今まで自分の子どもの様に
可愛がって来たネコです。

「三毛や、この事は誰にも言わないから、どうかいつまでも
ここにいておくれ」

「ありがとうございます。でも、別れなくてはなりません」
三毛ネコはていねいに頭をさげると、寺を出て行きました。

三毛ネコがいなくなると、和尚さんはさみしくて、
何をする気にもなれません。
ただボンヤリと、一日を過ごす様になりました。

それから十日ばかりが過ぎた頃、村の長者(ちょうじゃ)が
亡くなり、お葬式(そうしき)を出すことになりました。

ところがお葬式を始めようとすると大雨が降って来て、
お葬式が出来ません。

仕方なく日を変えましたが、お葬式を始めようとすると、
またまた嵐になるやら雷が鳴るやらで、お葬式が
出来ません。

明日こそはと思っていたら、その日の夜からどしゃぶり
の大雨です。

「これ以上、お葬式をのばせないし、かといって、
大雨ではお葬式が出来ないし」

家族や親戚たちは、ほとほと困ってしまいました。 

その晩、和尚さんがいろりのそばにションボリ座っていると、
あの三毛ネコが姿を現しました。

「おう、三毛や。よく戻って来てくれた」

和尚さんが喜んで三毛ネコを抱きしめようとすると、
三毛ネコが言いました。

「和尚さん、しばらくです。
わたしが今夜来たのは、長い間可愛がってもらった
お礼をしたいからです。

この間、長者が亡くなったのはご存じでしょう。
ところがいまだに、お葬式が出せなくて困っています。

そこで和尚さんが出かけて行って、『わしに葬式をさせてくれ。
必ず雨を止ませるから』と言うのです」

「でも、わしみたいな貧乏寺の和尚が行ってもな。
それに、必ず雨を止ませる事なんて」

「大丈夫。わたしに任せてください」
三毛ネコはそう言うと、どこかへ行ってしまいました。

次の日は、朝になっても大雨が続いていました。

「さて、どうしたものか」和尚さんは、長者の屋敷に行くの
を迷いましたが、可愛がっていた三毛ネコの言葉を
信じて出かけました。

長者の屋敷につくと、家族や親戚の人たちは、
今日も葬式が出せないと言って困っています。

和尚さんは胸を張って、大きな声で言いました。
「わしに葬式をさせてくれ! 必ず天気にしてみせるから!」

家族や親戚の人たちは、立派な坊さんが来ても葬式を
出せないのに、こんな貧乏寺の和尚さんに何が出来るか
と思いましたが、とにかく早く葬式を済ませたいので、
「なら、やってみてくれ」と、言いました。

「よし、それでは始めよう」

和尚さんは、お棺(かん)の前に座って、ゆっくりお経を
読み始めました。

すると、どうでしょう。さっきまでの大雨が突然止んで、
たちまち太陽が顔をのぞかせたのです。

家族や親戚たちは大喜びです。
こうして長者のお葬式は、無事に終わることが出来ました。

「和尚さま、ありがとうございました」
家族や親戚たちは、和尚さんにたっぷりとお礼をしました。

そしてこの話が遠くまで伝わり、大きな葬式には必ず
和尚さんが呼ばれるようになりました。

おかげで、今にも潰れそうだった貧乏寺は、立派な寺へ
建て直され、弟子や小僧もたくさん増えて、
和尚さんは一生幸せに暮らしたという事です。…














余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア
病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、
彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。
だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙って
お茶を飲んでいた。

すると彼女が、「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。
卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。

9月のことでした。

彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。
でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。
奇跡は起きました。春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を
持って生きている人のほうが、がんと闘ってくれる
ナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も
発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない
3つのシステム、

内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないか
と思います。

さらに不思議なことが起きました。彼女には2人のお子さん
がいます。上の子が高校3年で、下の子が高校2年。
せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと
僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、1年8か月も生きて、
2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。
そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、
びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の
気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると
外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作って
くれました」と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は
立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。

そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ
吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。

立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を
作るんですよ。

その時のことを娘さんはこのように話してくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。

そのおむすびを持って、学校に行きました。
久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。昼の時間になって、
お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて、
なかなか手に取ることができませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。
お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、
大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、希望が生まれてくるし、
その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が
湧いてくるのではないかと思います。…