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元杜重工

*あつめたりつくったり* 過去資料整理中
鉄道・船・マンホールの写真と艦船プラモデル・電子工作も少々

歴代の南極観測船 -マリンフェスタ in FUNABSHI-

2017年08月31日 | イベント
8月19・20日に船橋市で「マリンフェスタ」というイベントがあり、新旧2代の南極観測船が並びました。
せっかくなので歴代の南極観測船についてまとめてみました。


南極へ物資、人員の輸送を行う船が南極観測船。日本にはこれまでに4隻の南極観測船が造られ、南極調査に活躍し、引退後も多くの人に親しまれています。

初代「宗谷」1956~1962

東京お台場の船の科学館

1957、1958年は国際地球観測年とされ、日本は南極観測に参加することを決めました。そこで北半球の日本から赤道を越え南極まで向かう船が必要になり、当時は船を新造する予算がなく既存の船を改造することになりそれに抜擢されたのが宗谷でした。

かなり変わった経歴の持ち主だったりします。
宗谷はもともとソ連向けの貨物船として1938年に長崎で生まれたのですが、第二次世界大戦前という情勢の下、国内で「地領丸」として活躍することになりました。
その後戦争がはじまり、海軍の特務艦「宗谷」となりました。魚雷が命中するも不発に終わるエピソードは有名で強運の持ち主と言われています。
終戦後は引揚船「宗谷丸」として大連や樺太へ赴き、その後は海上保安庁の灯台補給船「宗谷」として1955年まで全国を回りました。
そして1956年11月~の第1次南極観測へ初代観測船として参加。1957年1月24日、オングル島に接岸し昭和基地を開設しました。
あのタロとジロが乗ったのも宗谷。1962年の第6次観測まで南極観測船として南極への輸送に従事しました。
その後は海上保安庁船として海難救助など15年間務めを果たし、1979年から船の科学館で公開されるようになりました。

2代「ふじ」1965~1983

水族館も近い、名古屋港ガーデンふ頭

1965年に初めての本格的砕氷艦として竣工しました。全長83mの「宗谷」から100mに大型化。「ふじ」からは南極観測船は海上保安庁から防衛庁によって運用されることになりました。そのため「ふじ」以降は観測船のほか砕氷艦とも呼ばれます。
1921年の「大泊」以来の砕氷艦建造となり設計には多くの力がそそがれました。チャージングでは頻繁に前後進を切り替えるため、電力でスクリューを回すディーゼル電気推進を採用しています。
第7次から第24次観測で使用され1984年に引退。翌1985年から現在の場所で展示されています。


「ふじ」のスクリュー

3代「(初代)しらせ」1983~2008

船橋港で余生を過ごす。「マリンフェスタ」にて。

全長134mと竣工当時、自衛隊の最大の艦船として誕生。名前の由来は日本初の南極探検隊隊長の白瀬矗(しらせのぶ)。当時、山の名前を付けることがルールだったため人名はつけられなかったのですが、「白瀬氷河」を理由に「山または氷河」とルールを変えることでこのをつけることができたそうな。
引退後は「宗谷」や「ふじ」のように残そうという声があったものの過去最大の観測船は維持に費用がかかりすぎるため、保存を断念し解体が一旦は決定しました。
しかし予算がないから価値があるものを処分するなんてお金でしか物が測れないのか、日本の恥だと考えた民間気象情報会社「ウェザーニューズ」の当時社長が購入を決意。交渉の末、成立。「SHIRASE」として第二の人生を送ることになりました。


横須賀基地にて現役当時の様子

4代「2代・しらせ」2009~

横須賀基地一般公開にて。上の「初代しらせ」とほぼ同じアングル。

全長138mと一回り大きくなりました。「初代しらせ」引退後、2008年の50次観測隊ではオーストラリアの民間砕氷船「オーロラ・オーストラリス」をチャーターしました。その後に登場したのが2代目の「しらせ」です。
現役の船と同じ名前の船をつけることは原則できないのですが、白瀬矗の出身地であるにかほ市などからの多くの声をうけ「しらせ」となりました。統合電気推進という推進力と艦内電力の両方を同じ発電機によってまかなう方式が採用されています。
同じアングルから撮影した2枚の写真を見比べると艦首の形状が丸くなったのが分かります。また新たに取り付けられた散水用の穴が見えます。約20年間の研究の成果なのでしょうか。


というわけで歴代の南極観測船についてまとめてみました。幸運にもすべての船が現存しており、今日も海に浮かんでいるというのは嬉しいことです。
氷の世界で目立つオレンジ色の船は、これからも新たな世界を切り開いていくことでしょう。


UW-御安航を祈る-を掲げる初代しらせ(左)と艦首に日の丸をはためかせる2代しらせ(右)。「マリンフェスタ」にて再会を果たしました。

JR最高地点と飯盛山登山その5

2017年08月30日 | JR最高地点と飯盛山登山
JR最高地点と飯盛山、電波望遠鏡を満喫した野辺山を離れ、再び小海線で小淵沢へ戻ってきました。
旅行客や登山客でホームはごった返していました。

小海線が小淵沢に着いたのが16:12。この日はダイヤが乱れていたためまずこちらがやってきました。

定時では小淵沢16:10発の臨時特急「はまかいじ」。朝、小淵沢駅で下り列車を見かけましたが、思わず帰りの上り列車も見ることができました。

つづいて臨時快速「ホリデー快速ビュー山梨号」がやってきました。こちらの列車は定時では16:17発のため小海線と乗り継ぎができます。

オール2階建ての215系です。指定席のほか自由席も連結のため特に手続きが無くても乗車可能です。

そして乗車したのはこちら

小淵沢16:22>>普通441M長野行き>>塩尻17:13
おまけ旅としてもう少し進みます。


塩尻に到着。


左の線路が今走ってきた東京方面の中央東線。左が名古屋方面の中央西線。そして手前が長野方面の篠ノ井線。
線路が3方向に伸びる駅です。

塩尻はワインで有名。駅前のベンチには木陰を造るためにブドウ。なんと駅ホームにはブドウ園があります。

沢山立派に実っていました。

塩尻駅と言えばやたら入口の狭い駅そばなんかも有名ですが今回は立ち寄らず、次を目指します。

実は塩尻駅、線路が3方向に伸びるというのは正確ではなくて…


乗換としては4方向に線路が伸びています。
左は長野へ向かう篠ノ井線、右は一番上が小淵沢からここまで利用してきた中央東線。一番下は名古屋方面の中央西線。では残る一つはというと俗に「大八まわり」と呼ばれる中央東線の一部です。一つだけオレンジなのはJR東海の管轄だからですね。

この「大八まわり」は中央線の塩尻と岡谷を結ぶ遠周りルート。現在の特急をはじめ多くの中央線列車はみどり湖経由の塩嶺トンネルをくぐる直線的なルートを走りますが、中央線開業時は長大トンネルを掘削する技術が無かったため辰野へ一度南下してから塩尻へ向かう「大八まわり」でした。
大八とは中央線敷設時の鉄道局長伊藤大八に由来します。このひと伊那谷出身で伊奈の入り口辰野に線路を引こうとした「我田引鉄」だったともいわれます。

というわけで、

塩尻17:40>>普通辰野行き164M>>辰野18:01


車内はこんな配置、ちどり配置。E127系100番台はもともと大糸線で運用されていましたがミニエコーこと123系が引退して代わりに大八まわりでも活躍しています。


塩尻を出てしばらく走るとみどり湖経由の線路と別れます。この先、急カーブがつづき一気に高度を増します。
昼間はよく晴れていたのに急に雨が降ってきました。夕立か山の変わりやすい天気か。


【辰野駅】18:01着
終点辰野に着くころにはほとんど雨はやんでいました。
向かいのホームには辰野駅から飯田方面平岡行きの飯田線列車が停まっていました。この列車は中央線岡谷方面からやってきて飯田線へ抜けるために大八まわりで辰野までやってきたものです。このような飯田線の乗り入れがある分、岡谷―辰野間は多少本数は多いかもしれません。


左が飯田線、右が中央線。


辰野駅には0番線があります。岡谷方面が閉じた行き止まりホーム。



辰野18:20>>普通上諏訪行き233M>>上諏訪18:43
再び中央線に乗って岡谷方面へ。この電車は飯田線の飯田駅始発です。


【上諏訪駅】18:43着
上諏訪駅と言えばもちろん


駅ホームの足湯。
かつては本格的な浴場だったそうですが現在はこのようなホームの一部を利用した足湯になっています。無料で自由に入ることができます。この日も電車の待ち時間を過ごすお客さんで賑わっていました(写真は列車到着前で無人になったところ)。
すわってのんびりは諏訪とかけているのかな…


上諏訪19:14>>普通大月行き446M>>甲府20:26
上りの中央線で帰ります。車内はお疲れムード。行きの特急待ちののろのろとは違ってサクサク甲府まで着きました。

甲府で後続の特急の待ち合わせ。もう時間も遅いので

甲府20:30>>特急あずさ34号新宿行き>>立川21:44
特急速い、快適。もう行きもこれでよかったんじゃ。こりゃ増発するわ。

ちなみに乗車したのはE257系のトップナンバー。行きの中央線もそうでしたね、帰りの小海線はキハ111-111でしたしなんかついてる。JR最高地点も訪れて今日は1づくしだ。ブルーリボン賞のバッチも先頭車内に取り付けられていました。


あぁ、行きのE233系もブルーリボン賞のバッチついていたらしいじゃないですか、、、10号車だったんですね。また出会えるでしょうか。

今回のおでかけもこれにて終了。お疲れ様でした。
おしまい。

JR最高地点と飯盛山登山その4

2017年08月28日 | JR最高地点と飯盛山登山
飯盛山から下山します。元来たルートを平沢峠まで戻ります。山頂付近から清里駅方面(山梨県側)へ降りることもできるようですが。
ルートはこんな感じ。



平沢峠まで戻ってきました。

行きに登ってきた道の隣に細い小径がありこちらの方が近道なのでここへ入ります。この道は地理院2万5千分の1地形図に記載がなく若干不安でしたが無事に舗装道へ出られました。


この十字路の場所にも案内。ちなみにこれ↓が目印。


ここまでのコースタイムは
JR最高地点(12:22)→三叉路 約10分
三叉路→平沢峠 約10分
平沢峠(12:55)→飯盛山山頂(13:34) 約40分
飯盛山山頂(13:36)→平沢峠(14:17) 約40分
平沢峠(14:17)→十字路(14:25) 約10分
でした。

十字路を北に進むと右手にこんな看板が見えてきます。


国立天文台野辺山宇宙電波観測所

獅子岩から見えた白いパラボラアンテナはこの施設のもの。じつは一般公開されていて年末年始を除いて毎日自由に無料で見学ができます。またこの日ではなかったのですが年に1度の特別公開日が例年8月にあります。
というわけで潜入。


入り口の守衛所にて名前と出身を記入。携帯の電波をOFFにします。
公式サイトによれば携帯電話を月面に置いた時の電波は観測天体の電波に比べずっと明るく見えるそうです。野辺山に設置されたのも周囲を山に囲まれ電波の侵入を抑えられる、大気中の水蒸気量が少ない高地だからなどの理由があったそうです。


見学コース。所要時間は約1時間。

南米アルマ望遠鏡の礎になったミリ波干渉計

それぞれは直径10mですが、6台で連携することで最大約600mの望遠鏡相当の能力を発揮できます(観測運用終了)。


一番でっかい45m電波望遠鏡。世界最大級の口径を誇り、現在も最新鋭の観測機器を使用しミリ波観測の第一線で活躍しています。世界で最初にブラックホールの存在を確認したのもこの望遠鏡らしいです。


鉄道の日本一、豊かな自然、世界最先端の天文観測、野辺山は実に面白いです。

早歩きで20分、野辺山駅まで戻ってきました。




野辺山15:39>>普通小淵沢行き232D>>小淵沢16:12
小淵沢へ戻ることとします。ちなみに2両目はキハ111形111でした。

つづく

JR最高地点と飯盛山登山その3

2017年08月27日 | JR最高地点と飯盛山登山
JR最高地点で駅弁を食し、つづいては飯盛山を目指します。
飯盛山(めしもりやま)は標高1643mでご飯を盛ったようなきれいな形の山で展望の良さと全体的に緩やかで登りやすく人気の山です。会津の飯盛山(いいもりやま)ではないですよ。小海線パワーで標高1350m以上まですでに来ているので登距離は300m弱です。

ルートはこんな感じ(ルートラボ)

左上の点が現在地、JR最高地点1375m。ここから南東方向へ進みます。


農耕車に注意!

下り坂を降りて道路との三叉路まで来ると一気に視界が開けます。

正面奥の尾根が目指す飯盛山。


写真右の道が今下ってきた道。標識を確認しまずは獅子岩を目指します。


登ること約10分。平沢峠まできました。駐車場があり、観光バスが何台か停まっていました。建物は商店だったようですがシャッターが下りていました。北西方向が開けており、晴れていれば八ヶ岳の展望スポットなのですが、


山はいまいち見えず。

駐車場から少し歩くと獅子岩にたどり着きます。



ごつごつとした不思議な形の岩で地面が覆われています。
適当に登ってみると結構眺めがよい。八ヶ岳方面のほか、北側も望むことができます。


電波望遠鏡のパラボラたちと山々。

駐車場まで戻ります。


こんな石碑もありました。フォッサマグナ発祥の地らしいです。命名者はナウマン博士なんですね。
ちなみにここ平沢峠は日本海と太平洋の分水嶺でもあります。

駐車場と道路を挟んだ反対側に登山口があります。

案内板を確認して出発。

尾根の北側の木陰道を登っていきます。道沿いに柵があるのですが、放牧地につき牛が出て行かないようにするためのようです。
途中お年寄りの団体さん2組(それぞれ20人くらい?)に会いました。道は途中から視界の良い南側へ移ります。


あの木が生えていない三角山が飯盛山。

途中たくさんの花を見ることができました。


マツムシソウ


シモツケソウ


オニユリ


アザミとタテハチョウ

他にもたくさん(正直名前が良く分からない、誰か教えて)。

ホタルブクロ、ナデシコ、ヤマトラノオ、??、???


もうすぐ山頂。木が無く開けていてすがすがしい。


登頂。標高1643m。360℃視界が開け気持ちいい。まあ八ヶ岳はいまいち拝めなかったけど平野部はかなり遠くまで見渡せました。
そして山頂付近でミヤマカラスアゲハ(で間違いないと思う)を見ることができました。黒い大きな蝶が青く白く光っていました(写真は無し)。

夏山登山いいですね。こんなにいろいろみられるとは思っていなかったので最高でした。

JR最高地点と飯盛山登山その2

2017年08月26日 | JR最高地点と飯盛山登山
5本もの特急に追い抜かされながら3時間かけて普通列車で小淵沢にやってきました。



中央線から小海線に乗り換えます。
ホームには



今年7月1日デビューの観光列車「HIGH RAIL 1375」(ハイ・レール・イチサンナナゴ)が停まっていました。全車指定席。乗客の多くは長野県PRキャラクター「アルクマ」の団扇を持って記念写真をされていました。



今回はこの列車を見送り、次の普通列車に乗車します。



小淵沢1:58>>普通野辺山行き8253D>>野辺山11:30
土休日と8月中運転の八ヶ岳高原列車です。こちらは普通列車なので特に手続きもなく乗車できます。

小海線は小淵沢駅からしなの鉄道(旧信越本線)の小諸駅までを結ぶローカル線です。途中佐久平駅では北陸新幹線に乗り換えできます。八ヶ岳の東側を走り高原をぬけてゆくため「八ヶ岳高原線」の愛称がつけられています。車窓には八ヶ岳をはじめとする山々や高原が広がります。

そして「日本の鉄道の最高地点」が小海線に存在します(トロリーバスやロープウェイではもっと標高の高い駅はありますが、鉄のレールの上を走る普通鉄道の場合)。標高の高いJR駅の1位から9位は小海線(10位は中央線)。観光列車「HIGH RAIL 1375」の1375とは最高地点の標高1375mに由来しています。
おなじみ高尾山が599m、相模湖駅が登山口の石老山が702m、箱根駒ケ岳が1356mですからなかなかの高さです。

小淵沢駅の小海線ホームには売店があり、駅弁を買うことができました。
それでは最高地点をめざし出発。

標高881mの小淵沢駅からぐんぐん坂を上り(30‰以上の勾配標識も見えました)、別荘地や森の中を進んでゆきます。
長野県最初の駅が標高1274mの清里駅。


清里駅にはC56形蒸気機関車が保存されています。

清里駅の次の野辺山駅が標高1345mでJRでもっとも標高が高い駅です。そして清里駅―野辺山駅間に鉄道の最高地点1375m地点が存在します。
清里駅を出てからも上り坂が続き、野辺山駅到着前に車窓にちらりと最高地点を表す碑が見えます。



ここを過ぎると下り坂に入り、左の車窓には高原の平野、右の車窓には電波望遠鏡のパラボラアンテナが見えます。

そして終点野辺山駅に到着。


洋風のかわいい駅舎。じつはSuicaが使える。

駅の周りにはお土産や軽食を扱う店舗やレンタサイクルを扱う観光案内所があり、道路を挟んだ向かいには「銀河公園」という芝生と遊具がある広場があります。この公園で最も目につきやすいのはこれ。


静態保存されているC56 96号機


説明板によれば昭和25年8月に北海道から小海線にやってきて活躍し、昭和48年6月に廃車。解体を免れ、昭和50年8月からSLホテルとして親しまれるも昭和62年3月に廃業。平成元年9月からこの場所で展示されているとのこと。

ここからは線路沿いを戻ってJR最高地点を目指します。


線路沿いにコスモスが咲いていました。反対側にはサニーレタスとおぼしき高原野菜の畑。道路にはトラクターが行き来していました。

歩くこと30分弱。目的地はもう少し。


踏切の警報音が聞こえてきたのでちょっとあわてていくと…



JR最高地点を行くキハE200型をかろうじて撮影できました。
この車両、小海線に量産先行車が3両投入されただけなのでなかなか見ることができないんですよねぇ。ディーゼルエンジンにる発電機と走行用モータを組み合わせたハイブリット車両です。坂が多い小海線では下り坂で発電して充電し、上り坂で電気を消費することで省エネを狙ったのだとか。しかし量産はされず相変わらず大半は普通のディーゼルカーであるキハ110が走っているということは…。
しかし、この車両の後、長野県内を主に走るリゾートトレインや震災後に開業した仙台と石巻を結ぶ仙石東北ラインに同様の車両が投入されているので小海線の経験は生かされていると信じたい。

最高地点の踏切が最高地点であることを感じさせる勾配標識

小淵沢方が3‰、野辺山方が22‰の下り坂で峠の地点ということが分かります。


記念碑。その隣の鳥居は鉄道最高地点神社。ご神体はレールと車軸でつながれた車輪。
標高1735mなので「ひとみなこうふく」「ひとみなごうかく」に通じるとか。


踏切を渡るとさらに大きい記念碑。

この近くには商店のほか公衆トイレやベンチがありました。ちょうどお昼を過ぎたところで腹ごしらえ。
小淵沢駅の駅弁を開封。


「信州安養寺味噌の鶏弁当」。パッケージに最高地点の碑と小海線の車両が描かれています。

今回のおでかけの目的の一つを達成したところでまた次回。つづく。

JR最高地点と飯盛山登山その1

2017年08月21日 | JR最高地点と飯盛山登山
今年の盆は天候が今一つでなかなか出かける気になりません。しかしせっかくのお休み閉じこもっているのは少々もったいない。
そんな中、長野なら晴れていそうでしたのでお出かけしました。ちなみにこの日の夜の多摩川花火大会は大雨で中止になったそうな。


まずは中央線で高尾へ。高尾山の象徴の天狗がホームでお出迎え。
ここまで乗車した電車はE233系T1編成。栄えある第一編成・長男です。



それでは長野を目指して西へ出発!


高尾7:26>>普通小淵沢行き523M>>小淵沢10:20
ロングシートで3時間…。

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【相模湖駅】 7:35着/7:46発

東京都八王子市の高尾駅から一駅、相模湖駅。ここと隣の藤野駅は神奈川県相模原市に属します。石老山の登山口です。




駅ホームのトイレはかなりきれい。改札外の駅舎にはコインロッカー(400~500円・Suica不可)や更衣室が備えてあり、登山に便利そうです。

ところでなんで相模湖駅のレビューをしているかというと停車時間が11分もありました。


スーパーあずさ1号に追い抜かれました。

つづいて


【塩山駅】 8:44着/9:00発


武田信玄公の坐像。駅構内からズームで撮影。

ここでも特急の通過待ち。


あずさ51号(臨時・松本行き)


あずさ3号(南小谷行き)
毎度あずさ3号と言えば千葉から南小谷まで乗り通す人いるんだろうかと想像してしまいます。一度やってみたいかも。

さすが特急街道中央本線。次々と特急列車がやってきます。そして普通列車はなかなか進まない…。

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【甲府駅】 9:21着/9:32発
山梨県のだいたい真ん中、県庁所在地の駅。それなりに降りる人がいました。


武田信玄公again。こっちの方が有名でしょうか。


そしてお約束の


後続のスーパーあずさ5号を先に行かせます。
高尾からおよそ2時間、さきはまだまだ。

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【日野春駅】 9:59着/10:06発
終点小淵沢の2つ手前。ここでもやっぱり


スーパーあずさ53号(臨時)の通過待ち

周囲に緑も多く、木造平屋の駅舎もいい雰囲気。この日は曇天でダメでしたが、天気が良いと跨線橋からこんな風に八ヶ岳を望めます。


(2014年12月撮影)

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【小淵沢駅】 10:20着
やっと終点。途中休み休みで改札の外に出たりできたのでそこまで苦ではなかったような気がしますが、長かった。特急とは対照的なのんびりした電車でした。
中央線ではお隣の信濃境駅から長野県。つまりここはまだ山梨県。


7月開業、ピカピカの新駅舎と


解体中の旧駅舎。
駅前は絶賛工事中。新駅舎内のレンタカーや売店、そば屋は営業していました。


10:30には横浜発松本行きの臨時特急はまかいじ号が後からやってきました。

まだ長野県にすら入っていませんが、今回はここまで。

ちなみに特急スーパーあずさなら小淵沢まで新宿から約2時間、八王子から1時間半弱ですので臆せずお出かけしましょう。
それから注意点として松本までSuicaが導入されたのをきっかけに中央(東)線内のみの普通乗車券では途中下車ができなくなりました。今回はフリーきっぷでしたのでこのように停車時間に駅の外に出られましたが、ご利用の際はよく確かめましょう。

四国周遊その4 高知→高松・帰路編

2017年08月02日 | 四国周遊旅行記
夜が明けて3日目、最終日。
高知で観光と言えば桂浜?高知城?


…とりあえず高知出ます。


高知6:03>>普通土佐山田行き4216D>>後免6:21


名前がユニークなこの駅には高知ゆかりのやなせたかしによる「ごめん駅でごめん」の詞と同氏デザインのキャラクターが建っています。


後免6:22>>普通奈半利行き5856D>>奈半利7:28
列車は海沿いの高架線を南下。各駅にやなせたかしのキャラクターが。後免駅の隣の後免町駅には「ありがとう駅」の愛称がつけられています。
阪神タイガースのキャンプ地が沿線にあることからタイガースカラーの車両もありました(拡大すると元々描かれていた各駅のキャラクターが虎に飲まれた痕跡が)。



【3日目 7時30分】


終点、奈半利駅到着。ここにもキャラクター。
ここでバスを待ちます。


高知東部交通バス。海沿いの国道55号をひた走ります。

【3日目 8時43分】
バスに揺られて約1時間。こんなに長く路線バスに乗ったのは初めてかもしれません。1200円。最後の10分くらいは貸切状態。


着きました!室戸岬!


久々の太平洋。瀬戸内海と違う荒々しさ、島もなければ対岸も見えない大海原。
ジオパークに登録されており様々な興味深い地形と植物を見ることができます。室戸岬はもともと海底、タービタイトなどの深海地形が地上に現れ、その過程で90度近く傾いてできた巨岩には圧倒されます。
アコウやサボテン、バナナの仲間など南国の植物も面白いですね。




弘法大師が修行を行ったとされる御厨人窟(みくろど)も近くにあります。安全のため中には入れませんが。弘法大師が目を洗ったとされる池や行水をした池といった場所もあります。八十八か所のお寺も近くにあります。


高知東部交通バス。立像は中岡新太郎。さらに海沿いを東へ。高知県最東端の駅を目指します。

【3日目 10時42分】


阿佐海岸鉄道甲浦駅(かんのうら)につきました。ここまでのバスには私ともう一人の男性のみ。この方はお遍路を切り上げて帰るところだそう。駅前は空き地・田んぼ。駅舎の小さな売店にはおばちゃんがいてきっぷを売ってくれました。



甲浦11:11>>普通海部行き5548D>>海部11:22


トンネルの多い路線なのでLEDによる天の川をイメージしたライトアップがされていました。山側の窓にはすだれと地元の小学生による俳句が掲げられていました。

海部駅。次の列車まで1時間強。お昼ご飯を探しに駅前を探索。
地元の人御用達の定食屋に運よく入れたので鰺フライ定食をいただきました。どの定食にもたっぷりマヨネーズがついているのは高知仕様でしょうか。ご馳走様でした@ももや食堂。
海部駅北すぐにはトンネル。もともと山があったのに気づけば宅地開発で山が削られトンネルだけ残ったとか。



海部12:33>>普通牟岐行き4552D>>牟岐12:47


牟岐12:52>>特急むろと4号5054D>>徳島14:01
日和佐城の模擬天守や駅前海水浴場を車窓に見つつ徳島へ。




阿波踊りも見てみたい。


徳島14:26>>特急うずしお18号3018D>>高松15:32
振り子式のディーゼル特急に(文字通り)揺られながらあっという間に高松へ。

高松駅構内には連絡船うどんという立ち食いうどん屋さんがあります。瀬戸大橋ができる前に本州四国を結んでいた宇高連絡船の名物うどんがここに引き継がれています。期間限定のすだちぶっかけをいただきました。





緑の窓口向かいのお店で駅弁を購入。
続いて高松城へ。

【3日目 15時48分】


天守こそないものの天守台には当時の柱が発掘され観ることができます。海を見下ろすことができます。
また場内の庭園も美しい。

 


高松16:13>>快速サンポート南風リレー号137M>>宇多津16:36
この電車すごく揺れる。

ついに四国周遊も最後です。


宇多津駅から高松方面を見ると高松へ向かう予讃線と岡山へ向かう瀬戸大橋線の分岐があります。四国とのお別れも近い。
ちなみに橋からは宇多津と坂出の両方に線路が伸びるデルタ線になっています。行きのサンライズ瀬戸は橋から坂出へ抜けたため宇多津側は未乗区間です。


宇多津17:04>>特急南風20号50D>>岡山17:41


ありがとう四国、さようなら四国。
そういえば瀬戸大橋の線路の外側のスペースは新幹線用に空けてあるんですよね。北海道、北陸、長崎が着工していますのでできるとすればその後か…。フェリーや淡路島経由のバスでの上陸もやってみたいですね。


ただいま本州。

1つじゃ足りないと思い、駅コンコース内でまた駅弁を購入。

新幹線ホームへ上がるとアイツがいました。


500系こだま
もう山陽新幹線でしか走っておらず、編成も短くなって最高速度は270キロ。でもかっこいいなあ。


岡山17:53>>新幹線のぞみ48号>>品川21:06
車内で駅弁タイム。「山陽新幹線40年旅物語せとうち日和」と「栗おこわ」。山陽新幹線は1972年に岡山開業、1975年に博多開業ですね。高松駅の駅弁は四国の業者撤退により岡山の業者が製造しているそうです。




品川着。名古屋の次が新横浜ってのはすごいなあ。ついつい新横浜の乗り換えが不便すぎて品川まで来てしまいました。

四国周遊3日間これにて終了。お疲れ様でした。
おしまい。

四国周遊その3 松山→高知編

2017年08月01日 | 四国周遊旅行記
1日目を振り返って…
車中泊からのハイスピード金毘羅さん参り、市電との競争、松山城侵攻と数多くのダメージを受けたが、道後温泉のお湯があまりにもよかったことから今度は松丸駅でゆっくり温泉にでもつかろうやというお気楽湯煙路線へと旅程を大きく方向転換する考えを打ち出した。

ところがこれに異を唱えたのがまだ○十台に突入したばかりの血気盛んな元杜重工幹部。
彼は2日目の要望として次のような驚くべき発言をしたのである。
「もっとさぁ、こう、荒々しい、男らしいやつ。「牛追い祭り」とかあるじゃん」
スペイン牛追い祭りにおける荒ぶる牛を素手で取り押さえる「素人闘牛」を想像しているのであろうか。
この熱い思いに打たれ、自らの弱気な態度を改めスタッフは地図、時刻表を見直したのである。

それでは2日目の旅のタイトル発表!

★激闘★
トップは俺だッ!
「○○○○祭り」

残りは少しずつめくっていきますよ~

ジャン
「うし○○祭り」

うおおおおぉぉぉ!!!

ジャン
「うしお○祭り」

やっぱり「お」だっ、おもった通りだっ!

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「うしおに祭り」


……。うしおに…?

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★激闘★
トップは俺だッ!
「うしおに祭り」
in 宇和島

How do you like wednesday?


もう10年以上も前のネタ(むしおい祭り)ですみません。動画サイトで無料公開されていたので見てしまいました。ミスター若いな…。

【2日目 5時30分】
起床。宇和島をめざし出発。


早朝の駅は昨日と異なり静かであった。しかし改札入ってすぐの場所の駅弁スタンドは営業中。18きっぱーと思われる方々が購入していました(私も買いました)。

松山から宇和島へ向かう予讃線は海沿いを進む伊予長浜経由と内陸部を走りショートカットする内子線経由が存在する。
どうせなら景色のよい長浜経由をチョイス。


松山6:04>>普通宇和島行き913D>>伊予大洲7:44
車両は特急型。しかし内装はリクライニングなしの4列シート。途中高校生がたくさん乗ってきました。
松山で購入した駅弁「穴子寿司」を早くも消化。18きっぷのポスターにも採用された海の見える駅「下灘」にも停車。
伊予白滝駅はその名の通り白滝の最寄駅で紅葉の美しい滝まですぐらしい。日本一駅から近い滝の看板が見えたが、どうなのでしょう(仙山線面白山高原駅-藤花の滝とかも近い)。
現存最古の跳ね橋(船の通行に合わせ橋が開閉する)である大洲大橋も見ることができました。




【2日目 7時45分】

伊予大洲駅で長浜経由と内子線経由が合流します。このまま普通列車に乗っていてもよいのですが、ここでおよそ1時間後の特急まで待ちます。15分だけ宇和島に早く着けます。

せっかくなので大洲城までダッシュ。


天守は復元されたものですが、木造。建築基準法に引っかかるところを見逃してもらったとか。9時開城のため今回は外から見るだけ。
4棟の櫓は江戸時代のもので重要文化財。
車窓や駅の跨線橋からも見入ることができるシンボル的存在。





伊予大洲8:46>>特急宇和海5号宇和島行き1055D>>宇和島9:30
またアンパンマン…。

【2日目 9時30分】

宇和島駅につきました。
この特急3両編成で前後2両だけアンパンマン仕様。予土線ホームには海洋堂ホビートレイン「かっぱうようよ号」がいました。



そして宇和島駅前には



牛。しかも闘牛の銅像が。ミスター!盛り上がってきましたよ!


まずは宇和島城を目指します。途上口付近の歩道橋には「闘牛場」の案内が。
森の中の石段を登ると本丸、そして天守に到着。石垣と門が1つ残っているのみですが天守は現存12天守の一つ。江戸時代に入り戦うことが無くなった太平の世に建てられたため、内装は書院造りで障子張りという独特のスタイルを現代に残しています。
宇和海を望む景色は絶景。





ん…。わっしょいわっしょいの掛け声が聞こえます。その方角を見下ろすと。


こ、これが、、、うしおに?


一旦、駅まで戻ると闘牛場行きのバスが出でいます。乗車。



着きました。小高い丘の上に建つ闘牛場。入るとすぐモニュメントが歓迎してくれます。
うぉぉぉ!コロッセオ!!





【2日目 12時】
闘牛が始まりました。封切戦から前頭、小結、関脇、大関そして横綱戦と約2時間の予定で10戦繰り広げられました。


名前が面白い。



前頭、小結戦では闘牛に慣れていない牛が角を突き合わせることなく戦意喪失してしまったりもありましたが、関脇、大関となってくると白熱した戦いで会場を盛り上げます。
牛が突っ込んで柵の竹が割れたり、終盤巻き返して勝負をひっくり返したりの大迫力。


そして千秋楽。横綱対決は20分を超える今日一番の長い対決となりました。頭部は血で赤く染まり、暑い中、最後には舌を出して必死に戦ってくれました。

いや~★激闘★でした。
帰りのバスがなかなか来ないので歩いて下山。途中、宇和島城がよく見えました。



駅前まで戻るとそこには


牛鬼(うしおに)

牛鬼の行列は和霊神社を目指して進んでいきます。





神社の境内に入ったところで時間切れ。駅へ戻ります。



宇和島15:35>>普通窪川行き4822D>>江川崎16:47
鉄道ホビートレイン、JR四国の本気、四国新幹線?です!

車内にはプラレールの展示や0系新幹線の転換クロスシート、運賃表示器には開業時の東海道新幹線の駅名が入っています。
海洋堂ホビートレインも出発直前にやってきました。0系新幹線の警笛を鳴らして出発。



川沿いを進み、途中でしまんトロッコとすれ違い。こんな観光列車のような車両でも普通列車。地域の足として高校生が大勢乗っていました(大半は近永まで)。

ところがここでアクシデント発生。大雨のため江川崎より先は運休とのこと。
代行バスに乗り換えです。


バスというかタクシー。必要十分。
こういうことがあるとローカル線のバス転換を想像してしまいます。鉄道の広い車内、大きい窓、急坂、急カーブを造りにくい鉄道路線からの車窓はどれも独特。


しばらく走ると土砂降り。車内も冷えてきました。
途中2か所でお客さんをおろしつつ終点窪川へ。降車がない駅はすべて通過したこともあり定刻通り窪川に到着。そのころには雨もだいぶ弱まっていました。
このところ、久大線や函館本線、秋田新幹線で大雨による線路被害が発生していたので心配でしたが、今回のは何ともなかったようでなにより。


お隣の若井と窪川間は土佐くろしお鉄道線。ここはJR・くろしお鉄道の起点駅。


窪川18:24>>特急あしずり10号高知行き2080D>>高知19:28
本日最後の乗車。

【2日目 19時30分】



高知につきました。
激闘の2日目、終了。さすがに疲れました。ホテルの大浴場でリラックス。
つづく。