98歳 文化交流と平和を守る

発明普及振興に勤しんでる現役98歳。「恩返しの人生」を送っています。ブログの原稿は息子に頼んでUPしてもらっています。

交通安全

2021-02-16 22:06:23 | 日記
※今日は、このブログを記しているわたし(岩田元吉の息子・吉樹)がUPします。

昨日、父から免許更新の連絡を受けました。
ちょうど仕事で奈良県に行っていましたので、少し足を伸ばして京都の木津川市に坐す「恭仁(くに)神社」と「恭仁京(くにきょう)跡」に行きました。
恭仁神社さんに交通安全のステッカーがありましたので購入しました。







息子のわたしとしては、「恭仁神社」と「恭仁京跡」は、父が東久邇宮記念会の幹事長をやっている関係でとても重要なところと位置付けています。
父は今までに東久邇宮記念会の受賞者を何千人と推薦してきました。
東久邇宮(ひがしくにのみや)は、明治時代後期に久邇宮朝彦親王の第9子である稔彦王が創立した宮家。しかしGHQによって皇籍離脱をしました。稔彦王の第一王子の盛厚(もりひろ)殿下の小さな発明を称える意志に基づき1963年に記念会が発足されました。
また社会や公共・文化振興などに貢献した人を東久邇宮記念会は顕彰すると定義しています。故豊沢氏によってNPO法人発明知的財産研究会が設立され2002年に東久邇宮記念会の機能を継承しましたが、あくま民間の団体であり、宮内庁や他の国の機関とは一切関係ありません。


東久邇宮は、久邇宮から。
久邇宮は、伏見宮から、、。
久邇の宮の久邇は、上記の恭仁京(くにきょう)の恭仁から来ていると言われています。
万葉集には恭仁京のことを久邇都、久邇(くに)の京(みやこ)と記しています。

東久邇宮さまに限らずですが、特に久邇の名前をいただいた「恭仁京」。
東久邇宮記念会を通してご縁をいただいたと思っています。
恭仁京跡、とても意味深い場所の一つと思っており私(息子・吉樹)は度々訪れています。





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