98歳 文化交流と平和を守る

発明普及振興に勤しんでる現役98歳。「恩返しの人生」を送っています。ブログの原稿は息子に頼んでUPしてもらっています。

79年前の8月…

2024-08-28 01:53:00 | 日記
79年前は8月。
わたしは当時19歳。(現在98歳)
特攻に志願し山口県熊毛郡平生町の特殊潜航艇、回天・蛟龍の訓練基地におりましたが、終戦となり出撃しませんでした。

最近、西澤ロイさんという「イングリッシュ・ドクター」方のYouTubeに出させていただき色々とお話ししました。





98歳 元気です。

2024-03-04 14:05:00 | 日記
久しぶりの投稿です。
去年は何回か病院にお世話になりましたが元気です。
先月の2月5日で98歳になりました。
皆さんにお祝いしてもらいました。





今日は、免許証の更新をしました。
認知症の試験と高齢者講習と運転技能の実技に受かりました。
高齢者講習の前日に脳外科の先生に診てもらい問題無しということでした。

高齢者講習では、わたしより若い80歳代の人も落ちてました。(笑)

高齢者講習の際、受付の事務の人に驚かれました。

「…15年というのは昭和ですよね」

「いいえ、大正です。」

「えっ…!」

と申請書を改めて見直してました。😀
昭和15年と言われても仕方ないですね。






晴れて免許更新‼️
ほとんどペーパードライバーですが…。101歳まで有効だそうです。
101歳になっても免許更新出来るよう目指して頑張ります。


このブログは、代筆。
息子に記してもらってます。


#岩田元吉の日々


96歳になりました。

2022-02-06 03:58:31 | 日記
2月5日、96歳になりました。
この数日間は皆さんからお祝いの連絡を頂戴し本当に感謝です。





今年は寅年ですから、わたしは年男です。
大正15年(寅年)の2月5日。

昨年の9月、70余年苦楽を共にした、家内華津代を見送りました。




戒名は、慈泉華照信女。
華津代らしい素敵な戒名です。


11月には記憶の糸を手繰りながら、大正、昭和、平成、令和を生きてきた自分史「恩返しの人生」を発刊することが出来ました。
自分という人間が、何処から来て、何処に向かっていくかを見つめ直すことが出来ました。






2月5日の誕生日を迎えた訳ですが、
の年になって実現したい夢が出来まし
た。

それは……。

昭和20年8月終戦の日。
わたしは山口県熊毛郡平生町にあった大竹潜水学校柳井分校にいました。
ここには、人間魚雷「回天」と特殊潜航
艇「蛟龍」と「海龍」の訓練基地があり
水中特別攻撃隊・特殊潜航艇「蛟龍」の
訓練を受けていました。
しかし、出撃しないま失意の終戦を迎ました。

あれから70年の月日が経ち、ようやく山
口県熊毛郡の平生町に行くことが出来ま
した。
僅か数ヶ月間しか居なかった平生町の訓練基地でしたが、あの時のことが鮮明に思い出されました。

日本の為にいのちをかけて特別攻撃隊に志願し、残りの人生の時間を仲間達と過ごしていました。

あれから70年。
何かここ(平生町に)やり残したことがある❗️
絶対にある。


わたしは戒名をいただき訓練基地の門をくぐりました。
終戦を告げられ家には戻りましたが、一度は死んだ身です。
今は、いただき直した人生ですから、最後の最後まで生き抜きます。
中途半端には生きれません。

そして、96歳になって「夢」が出来ました。
これは実現したい夢です。

このブログでは「96歳岩田元吉の夢」を綴っていきます。
夢を見たら、実現しないと…。


ささやかな誕生日を息子達としました。
たか子さんからは、素敵な手作りのバックをもらいました。
調子に乗ってちょっと食べ過ぎたようです。(笑)












記 岩田吉樹







zoomにチャレンジ

2021-10-15 04:50:34 | 日記
◎95歳からのzoom

たか子さんからタブレットを貸してもらいました。
理由は、オンラインによるzoomが出来るようになる為です。
タブレットと聞くと、わたしはこちらを思い出してしまいます。(笑)
輪っかとも言うみたいですね。





予科練に入る前の昭和15年頃、昼は鉄道局に勤め、夜は学校に行ってました。
今とは違いコンピューターによる管理ではなく、通行証としてタブレットというのがありました。
事故なく列車の運行をする為にタブレットを運転士に渡し、タブレットを持っている列車が路線を走行することが出来るというものでした。
今は、タブレットというとスマホより大きめのものを言うことを知りました。


一度だけ、とある会のzoomによる懇談会に参加させていただきましたが、あの時も訳も判らずでしたが、何とかやりました。

この先、岩田元吉会(文化交流と平和を守る会)や東久邇宮記念会でもzoomによるオンライン会もやっていくことになるでしょうから、今から練習、練習です。


まず、たか子さんから借りたタブレットでYouTubeを観る練習です。
らくらくホンでもYouTubeは観れますが、やはり画面が小さくて眼が疲れますね。





YouTubeというと、息子達が創ってくれている「岩田元吉チャンネル」というのがあります。
文化交流と平和を守る会という活動の他、このブログでUPしたものがあります。
この歳になっても、自分のものを観ると色々と勉強になります。




亡くなった家内との面会もコロナ禍によってタブレットを使っての面会でした。
亡くなった家内は ? の連続で、二言三言しか会話を交わせませんでした。

zoomは、画面越しに会話をやりとりするのは慣れが必要ですね。
ただ単にカメラに向かって話す方のとは違い、画面の中の数人と話しのやりとりをする…。
画面とカメラの位置が微妙に違うので、目線が下がってしまいますね。
まだ、まだ、慣れが必要ですね。
95歳からのzoom。
さて、さて…どうなりますやら (笑)。






続く




家内 逝去

2021-10-03 01:54:09 | 日記
令和三年、9月6日午前11時45分、家内華津代が帰幽いたしました。
享年93歳でした。

昭和25年に華津代と結婚し約71年連れ添ってきました。
色々ありました。
結婚した時に住んだ思い出深い松江市の石橋町の住所は、今でも本籍地として残してあります。
結婚後に商工省(現経産相)広島に転勤し、その後東京に転勤しました。
特許庁へ配属し、独立して新日本特許という会社を興しました。
わたしは、物事に対してテキパキと躊躇なく進んでいくタイプですが、家内はどちらかというとノンビリ屋です。
そんな家内でしたが、家の内にいて子供2人を育てながら、きちんと家庭を守っていってくれました。
だからこそ、特許の普及振興という仕事を続けてこれました。
感謝です。

子供達が巣立っていった後は、関東の霊場巡りをしたりなど、若い時は仕事に全力を注いでいた為に持てなかった時間を過ごしました。

コロナ禍になる前に検査入院したまま約2年近く病院での生活をしていました。
コロナで満足に面会出来ず、側に居てやれなかったですが、オンライン面会という形で家内の顔が見れ少しは安心していました。

病院から何回か危ないという知らせがある度に、何とか持ちこたえてきましたが、9月6日の午前11時45分にこの世から去っていきました。





華津代、本当にありがとう。
わたしは、もう少し仕事(平和を守る会)をしてから、そちらにいきます。
ノンビリと待っていて下さい。


元吉 95歳