前項の写真は今から75年前実家の玄関先で撮った写真です。
時は昭和20年の7月下旬。わたしは特攻要員の血書志願をし最後のお別れをする為に両親と家族のもとに帰り(島根県安来市荒島)ました。
その時に戒名をいただきました。
あれからわたしは戒名と共に生きてきました。
色々なことがありましたが、お陰さまで数日後には95歳の誕生日をむかえることが出来ます。
この写真を撮った後、山口県平生町の柳井(特殊潜航艇柳井分校)に帰りました。
そこは、特殊潜航艇「蛟龍」・「海龍」人間魚雷「回天」の訓練基地がありました。
回天は人間魚雷ですが、蛟龍は繰り返し攻撃出来る最小型の動力型の潜水艦です。
いよいよ、数日後大浦半島から沖縄に向けて出撃することになってました。
ところが作戦変更、家に帰れ❗️となりました。
終戦になったことも知りませんでした。広島に原爆が落とされたことも家に戻る途中に知り愕然とした次第です。
コロナ禍によって以前より出歩くことがなくなり足腰も弱くなってしまいました。
しかし、わたしは身体が動く限り「文化交流と平和を守ること」の大切さを伝えて続けていきたいと思っています。
今は、ケイタイの万歩計の歩数を見るのが日課になっています。(笑)
毎日平均五千歩❗️
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