人生の大半を発明普及振興に務めてきました。
昭和23年、商工省(経産省の前身)広島商工局に入省し、特許庁審査部の認証官を経て、昭和37年特許調査の専門会社(株)新日本特許研究所を開設しました。
終戦後、日本が高度成長していく過程において日本の技術の水準が高まり、企業から出願される発明や実用新案などの数も増えていきましたが、わたしは大企業以外に中小企業の持つ発想力、もっと良くなる為に工夫する力を見てきましたから、それらを無駄にしたくないのです。
努力した証しは、特許・実用新案などの申請の手続きをして、他にはないものを作り出したという権利の確保をして欲しいと思っていました。
表には出てこなくても価値あるもの発明や工夫が沢山あります。もしかしたら時期早かもしれませんが、いつか、どこかで、何かがキッカケになって自分達が努力した発明や工夫が必要になるかはわからないのです。
モノづくりに情熱を傾ける技術者や職人さんの苦悩と喜びが溢れた素晴らしいエネルギー。それらを無駄にしたくないと中小企業の会社などに話し、発明や実用新案や意匠などの重要性を伝えてきました。
いいえ、今も、伝えています。
わたしの人生の前半は戦争でした。
戒名をいただいた後はひたすら発明普及振興の道を歩んできました。
60年にわたる発明普及振興の経験は、まだまだ、人さまのお役に立てると思っています。
明日、95歳の誕生日を迎えます。
感謝です。
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