「ペンは剣よりも強し」と言います。
報道の自由は守らなければ、いけないとは思いますが、
「新聞(等報道メディア)は、ウソをつかない」と、信じ込んでしまっている世人に、警鐘を鳴らしておきたい。
(余談:「民主主義至上」にも、警鐘。クタバレ民主主義)
今回、苦言を提したいのは、
「報道に「私見」が入り過ぎている。」ということです。
1.メディアは、純粋な事実だけを報道してくれればよい。
判断は、個人、個人ですればよい。
2.さらに「事実」には、ある事件、事態に関して、「ある人がこう言った」だけでなく、「また、ある人は、こう言った」と、異なる意見を追加するべきだ。
3.さらに、さらに言えば、「報道すべきことを報道しない」のも、よろしくない。
報道なんて、何とでも、編集(ボツにすることも含めて)できるので、編集者の意思で、脚色されてしまう。
「私見」を述べたければ、討論番組や、バラエティ番組、あるいはブログで(私みたいに)、述べればよい。
某民放TV局の、ニュースキャスターで、Kさん というのがいた。
彼には、多くのファン(?)がいたようだが、私は、上述の理由で、好ましくないと思う。
(最近のNHKも、その気配が出てきたので、やゝ心配)
剣より強いペンを持つ者は、公平でないと、「扇動者」になってしまう。
報道の自由は守らなければ、いけないとは思いますが、
「新聞(等報道メディア)は、ウソをつかない」と、信じ込んでしまっている世人に、警鐘を鳴らしておきたい。
(余談:「民主主義至上」にも、警鐘。クタバレ民主主義)
今回、苦言を提したいのは、
「報道に「私見」が入り過ぎている。」ということです。
1.メディアは、純粋な事実だけを報道してくれればよい。
判断は、個人、個人ですればよい。
2.さらに「事実」には、ある事件、事態に関して、「ある人がこう言った」だけでなく、「また、ある人は、こう言った」と、異なる意見を追加するべきだ。
3.さらに、さらに言えば、「報道すべきことを報道しない」のも、よろしくない。
報道なんて、何とでも、編集(ボツにすることも含めて)できるので、編集者の意思で、脚色されてしまう。
「私見」を述べたければ、討論番組や、バラエティ番組、あるいはブログで(私みたいに)、述べればよい。
某民放TV局の、ニュースキャスターで、Kさん というのがいた。
彼には、多くのファン(?)がいたようだが、私は、上述の理由で、好ましくないと思う。
(最近のNHKも、その気配が出てきたので、やゝ心配)
剣より強いペンを持つ者は、公平でないと、「扇動者」になってしまう。