九州の大叔母
「小平 郁」 祖母の兄 真平の奥さん
真平は門司に住み 博多と唐津で外人向けホテル共進亭経営と
*祖父が年末働いていたホテルである*
鹿児島本線の食堂車等も経営していた
この記述について少し調べました
1.列車食堂は
みかどの他に精養軒、伯養軒、東松軒(後の水了軒)、東洋軒(後の日本食堂)、
共進亭(後の日本食堂)が
戦前からあり、戦後には1953年に帝国ホテル、
1956年に都ホテル、新大阪ホテルの参入などがありましたが、
1972年、北陸トンネル内の食堂車失火事故などから衰退し続け、
1993年には東海道の夜行特急からも姿を消しました。
食堂部門から祖父にあてた封筒の1つ
手紙の中は 他の機会に 大臣の名が書かれている書簡や
良叔母さんのことがかかれていたりします
確か 価格表もあったと思うので探してみます
2、共進亭ホテル
ニュ-ヨ-ク~パリ間の大西洋無着陸横断飛行に
33時間30分の記録で成功したチャ-ルズAリンドバーグという名前は
、知らない人がいないくらい有名なパイロットですが、
この空の英雄が、名島飛行場が開場した翌年の昭和6年9月17日に、
婦人を伴ってこのシリウス号で名島飛行場に飛来した。
夫妻はその夜、呉服町(現・博多区店屋町)の片倉ビルの共進亭ホテルに泊まり
博多っ子の大歓迎を受けた。
リンドバーグには 驚きました
左に写っているのが 共進亭ホテルだそうです
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