義太夫の改名披露宴の扇子のようである
一番左に
昭和之時(?)代 皐月一日日本橋区濱町 夘日本橋倶楽部に於て
猿女改名披露 義太夫大命記念祝賀の為め
と書かれている
祖父が浄瑠璃を趣味にしていた時期があり 浄瑠璃のために離れを作ったほどであり
この世界の方とも交流が深かったと思える
台紙の絵は
明治から昭和前期の日本画家 岡田蘇水氏ではないかと思いましたが
烙印が 他とは違っているので 調べは続けます
右側
豊澤 松太郎氏 明治-昭和時代の浄瑠璃三味線方
初代豊澤松太郎の子で,豊沢芳太郎を名のり、
昭和30年2代を襲名し(僕が生まれた年です)37年義太夫協会初代会長となったそうです
中央
豊澤 猿之助氏
江戸時代後期の浄瑠璃三味線方 義太夫節3代目 豊澤広助の弟子で初名は「豊澤猿之助」元治2年死去
五代目くらいかとも思えますが 「師」と書かれているので
父親の 俳句を入れたのではと推測
左側
豊澤 末之助 改め 猿女氏
調べても解りませんでした ただ このころは女浄瑠璃氏の人気が高かったようです