千人同心の碑
家康が 江戸で長柄の槍を持つ中間を武州八王子で新規に五百人ばかり採用し、甲州の下級武士を首領とした
その理由は、八王子は武蔵と甲斐の境界のため
有事の際には小仏峠方面を守備させようとしたからである
同心どもは常々甲斐国の郡内へ往復して
絹や綿の類を始めとして甲斐の産物の行商を行い、江戸で売り歩くことを平常時の仕事にするようにした
八王子の追分にある碑です
八王子空襲と言えば 日出じいが高尾のトンネル前で銃撃を受け
奇跡的に助かった
慰霊祭には 必ず来ていたようです
*下についているおオレンジ色の実は 銀杏
路を走っていると 銀杏の臭いがたち込めています