散歩中、ふと先日訪れた米内光政のお墓がある円光寺さんのシダレザクラがどのように咲いているのか
気になって、きれいだろうなとのんきに歩く。
円光寺さんに着いて、ハッと息をのむ。
たまらず深く礼をし、自然に手を合わせていた。
なんと、なんと、美しいことでしょうか。
山門から儚くも優雅にのぞくシダレザクラに、
日本の美とはこういうものなんだと無言で説かれているようだった。
到着前のんきに思っていたきれいだなんて言葉では足りなく、厳かで儚く美しい。
深く深く感動。
シダレザクラの中に入ってみる。
こんなにも美しい景色があるなんて。
零れそうになる涙を、ゆらぐシダレザクラが蒸発させる。
思わず手を合わせ
『こんな景色を見せてくれてありがとうございます。ありがとうございます。』と言っていた。
近所で生まれ育ったのに、円光寺さんの桜の時期の美しさを知らなかった。
昔は幼すぎてこの美しさを理解できず、ただただ通り過ぎていたのかもしれない。
年を重ねたからこそ導かれ、見ることができた景色、覚えることができた感動なのかもしれない。
本来なら今日は違う場所の写真を載せようと歩いていたら、
ふと先日訪れた円光寺さんが気になり寄ってみたら、
こんなにも美しい景色が広がり深い深い感動が待っていた。
さんぽには不思議な力がはたらいているのかもしれない。
残したい言葉
道草によってこそ『道』の味がわかる 河合隼雄