浅間山 天明の大噴火
天明3年(1783年)に浅間山はくり返して噴火、溶岩・火山灰が泥流となり、吾妻川をせき止めた。吾妻川は天然のダムとなり、流域の集落を水没させた。このダムが崩壊して泥流が利根川に流入、利根川流域に、大きな洪水被害を与えた。
浅間山の噴火は、富士山ほどの脚光を浴びないが、過去の噴火では富士山よりも大きな被害を与えた。旧利根川が現在の江戸川であり、万一、浅間山が噴火すれば、東京都の低地が非常に危険である。2011年3月11日の東日本大震災が、日本国内の火山活動を誘発すると、警告を発する専門家がいる。
吾妻川流域の酸性河川の中和事業が進んでいるが、もし、[浅間山の大噴火]と[吾妻川の堰止湖]という[天明の噴火]のような事態になれば、強酸性水の大洪水が首都圏を襲い、都市機能に甚大な被害を与えることになる。
吾妻川に八ツ場ダムを建設すれば、浅間山の大噴火と酸性水を一時的に食い止め、首都圏にできる限りの防備体制をつくり出すことができるのかもしれない。
利根川本流を堰き止める壮大な沼田ダム計画の行き先が怪しくなると、利根川支流に次々とダムが建設され、首都圏に生活用水・工業用水が送られた。利根川最大の支流吾妻川(群馬県)に計画された八ツ場ダムの建設は激しい建設反対運動のために工事着工が遅れ、工事中途において、しばしば「八ツ場ダム不要論」が飛び出した。八ツ場ダムの建設計画は1965年には総額2,000億円であったが、周辺関連工事だけでも2012年までに5,000億円が使われた。ダム本体工事や鉄道(吾妻線)の移転などに、さらに2,000~3,000億円が必要と見積もられ、他のダムの2倍以上の建設費用になる。

八ツ場ダム建設のための理由のまとめ
(1)吾妻川から利根川に強酸性水の流入を防ぐ
(2)浅間山の噴火による吾妻川・利根川の洪水を防ぐ
(3)生活用水・工業用水の確保
(4)水力発電
このうち、(1)(2)の建設理由が、他のダムと異なる理由である。
吾妻川の酸性水を中和

pH2の河川
活火山草津白根山(2160m)は山頂の湯釜はpH1.2の死の火口湖である。この火口湖から沢水・地下水として、硫黄を含む水が大量に流出する。吾妻川支流の湯川・大沢川・谷沢川などはpH2前後の強酸性の水が流れ、生物は生息できなかった。
名湯草津温泉の源泉には、湯温80~90℃の硫酸が流れて来る。吾妻川には、支流から酸性水が流入し、吾妻川の中・下流に生物は生息しなかった。鉄板・釘・コンクリートなどを数日で劣化させるほどであったから、吾妻川流域の酸性水を早急に除去しなくては、吾妻川に八ツ場ダムを建設することは不可能であった。
実験室段階では、酸性水に石灰を投入すれば、中和される。しかし、現実的には中和後、泥水となった石灰を回収しなくては、八ツ場ダムのダム湖が石灰で埋もれてしまった。石灰の汚泥を回収するためには、品木ダムだけでは不足で、もう一つの沈殿回収用ダムとしての八ツ場が必要であった。
八ツ場ダムを建設するためには、酸性水の中和施設と石灰汚泥回収用のダムも必要であった。品木ダムが洪水であふれたり、中和事業所の停電や機械の故郷のために、品木ダムだけでは、利根川流域の安全を保障できなかった。
品木ダム湖の堆砂は石灰汚泥が流入するのでいつも堆砂量が限界に近く、汚泥の浚渫廃棄が不可欠であった。
湯川
草津温泉を流れる湯川の中和施設として、草津温泉街の下流に草津中和工場が建設された(1963年完成)。大沢川と谷沢川の中和施設としては香草中和工場が建設された(1986年完成)。中和作業には毎日60トンの石灰が使われた。その石灰汚泥は、草津市街のは品木ダムの灰汚泥の沈殿回収ダムとして品木ダムが建設された(1965年完成)。品木ダムは、湯川・大沢川・谷沢川の3川が流れ込み、1988年からダム湖に沈殿した汚泥の浚渫が始まった。
品木ダムから下流は、白砂川と名前が変わり、白砂川の吾妻川に流入する時は、pH5~6であった。ほぼ中性であり、吾妻川には生物が戻った。
草津中和工場
草津温泉から流れ出る、湯川の酸性水を、石灰岩で中和する。1日の石灰投入量は50トンである。

石灰を微粉末にして水で溶き、石灰ミルクとし、湯川に投入する。投入前の流れは、強酸性水で生物は生息しないからきれいであるが、死の川でもある。石灰ミルクを投入された湯川は、白濁した流れから土色の汚染水となるが、生物が生息できる環境になる。

香草中和工場
南牧村から毎日60トンの石灰中和工場に運ばれている。50トンは草津中和工場へ運ばれ、10トンは香草中和事業所に運ばれて谷沢川と大沢川の水を中和す。中和作業は24時間継続し、河川を水が流れている限り、止めることができない。
建設は群馬県企業局だが、中和事業は建設省(現在の国土交通省)の業務となっている。

石灰
石灰岩は南牧村で採掘される。石灰粉(タンカル。粒子の大きさ75マイクロメートル)に粉砕され、2か所の中和事業所に運ばれる。河川の酸性の程度と水量に応じて、石灰使用量が決まるが、平均すれば草津中和事業所では湯川に毎日50トンの石灰を、湯川からくみ上げた水に溶かし、濃度15%の石灰ミルクの形で投入している。
香芝中和事業所でも同じ作業を、毎日、くり返している。
中和作業は、河川が流れている限り、休むことができない。このことは、湯川・谷沢川・大沢川の石灰汚泥が、毎日品木ダムに流れ込むことでもある。中和工場が故障・停電した場合には酸性水が品木ダムに流れ込み、短時間でもダム湖が酸性になる恐れがある。品木ダムの汚泥を小形浚渫船で浚渫し続け、石灰質汚泥がダムに堆積しないようにている。

品木ダムから八ツ場ダムへ
品木ダムからは、中性となり、澄んだ水が、白砂川として、吾妻川に流れる。これで、八ツ場ダム建設の障害が一つ取り除かれたことになる。
なお、陸揚げされた堆砂(石灰汚泥)は品木ダム周辺の谷間に廃棄されていたが、量が増えたために乾燥処理された後、専用の堆砂ダムに廃棄されている。

※クリックすると拡大。
石灰を草津中和事業所で湯川に投入、香草中和事業所では谷沢川・大沢川に投入し、下流の吾妻川の酸性化を食い止めている。

※中和作業の理屈は上図のとおり。
天候・流量により、pHは一定ではない。安定的に中和作業を続け、品木ダムの水質を安定維持するのは容易ではない。そして八ツ場ダム建設完成のために、たゆまぬ努力が続けられている。なお、河川水は酸性の水の方が、生物が生息しないからきれいに見える。中和処理後は、泥水が流れ、汚染がひどいように見える。品木ダムのダム湖は汚泥は堆砂が増加している。上澄み水だけが白砂川の放流され、吾妻川へ合流する。
吾妻川流域の中和事業は、八ツ場ダム建設のためには、非常に重要である。
万一、浅間山の噴火、長時間の停電、石灰岩輸送道路の途絶などで中和事業が不可能になった場合、八ツ場ダムが酸性水と泥流を食い止め、利根川の洪水被害を最小限におさえることになる。
天明3年(1783年)に浅間山はくり返して噴火、溶岩・火山灰が泥流となり、吾妻川をせき止めた。吾妻川は天然のダムとなり、流域の集落を水没させた。このダムが崩壊して泥流が利根川に流入、利根川流域に、大きな洪水被害を与えた。
浅間山の噴火は、富士山ほどの脚光を浴びないが、過去の噴火では富士山よりも大きな被害を与えた。旧利根川が現在の江戸川であり、万一、浅間山が噴火すれば、東京都の低地が非常に危険である。2011年3月11日の東日本大震災が、日本国内の火山活動を誘発すると、警告を発する専門家がいる。
吾妻川流域の酸性河川の中和事業が進んでいるが、もし、[浅間山の大噴火]と[吾妻川の堰止湖]という[天明の噴火]のような事態になれば、強酸性水の大洪水が首都圏を襲い、都市機能に甚大な被害を与えることになる。
吾妻川に八ツ場ダムを建設すれば、浅間山の大噴火と酸性水を一時的に食い止め、首都圏にできる限りの防備体制をつくり出すことができるのかもしれない。
利根川本流を堰き止める壮大な沼田ダム計画の行き先が怪しくなると、利根川支流に次々とダムが建設され、首都圏に生活用水・工業用水が送られた。利根川最大の支流吾妻川(群馬県)に計画された八ツ場ダムの建設は激しい建設反対運動のために工事着工が遅れ、工事中途において、しばしば「八ツ場ダム不要論」が飛び出した。八ツ場ダムの建設計画は1965年には総額2,000億円であったが、周辺関連工事だけでも2012年までに5,000億円が使われた。ダム本体工事や鉄道(吾妻線)の移転などに、さらに2,000~3,000億円が必要と見積もられ、他のダムの2倍以上の建設費用になる。

八ツ場ダム建設のための理由のまとめ
(1)吾妻川から利根川に強酸性水の流入を防ぐ
(2)浅間山の噴火による吾妻川・利根川の洪水を防ぐ
(3)生活用水・工業用水の確保
(4)水力発電
このうち、(1)(2)の建設理由が、他のダムと異なる理由である。
吾妻川の酸性水を中和

pH2の河川
活火山草津白根山(2160m)は山頂の湯釜はpH1.2の死の火口湖である。この火口湖から沢水・地下水として、硫黄を含む水が大量に流出する。吾妻川支流の湯川・大沢川・谷沢川などはpH2前後の強酸性の水が流れ、生物は生息できなかった。
名湯草津温泉の源泉には、湯温80~90℃の硫酸が流れて来る。吾妻川には、支流から酸性水が流入し、吾妻川の中・下流に生物は生息しなかった。鉄板・釘・コンクリートなどを数日で劣化させるほどであったから、吾妻川流域の酸性水を早急に除去しなくては、吾妻川に八ツ場ダムを建設することは不可能であった。
実験室段階では、酸性水に石灰を投入すれば、中和される。しかし、現実的には中和後、泥水となった石灰を回収しなくては、八ツ場ダムのダム湖が石灰で埋もれてしまった。石灰の汚泥を回収するためには、品木ダムだけでは不足で、もう一つの沈殿回収用ダムとしての八ツ場が必要であった。
八ツ場ダムを建設するためには、酸性水の中和施設と石灰汚泥回収用のダムも必要であった。品木ダムが洪水であふれたり、中和事業所の停電や機械の故郷のために、品木ダムだけでは、利根川流域の安全を保障できなかった。
品木ダム湖の堆砂は石灰汚泥が流入するのでいつも堆砂量が限界に近く、汚泥の浚渫廃棄が不可欠であった。
湯川
草津温泉を流れる湯川の中和施設として、草津温泉街の下流に草津中和工場が建設された(1963年完成)。大沢川と谷沢川の中和施設としては香草中和工場が建設された(1986年完成)。中和作業には毎日60トンの石灰が使われた。その石灰汚泥は、草津市街のは品木ダムの灰汚泥の沈殿回収ダムとして品木ダムが建設された(1965年完成)。品木ダムは、湯川・大沢川・谷沢川の3川が流れ込み、1988年からダム湖に沈殿した汚泥の浚渫が始まった。
品木ダムから下流は、白砂川と名前が変わり、白砂川の吾妻川に流入する時は、pH5~6であった。ほぼ中性であり、吾妻川には生物が戻った。
草津中和工場
草津温泉から流れ出る、湯川の酸性水を、石灰岩で中和する。1日の石灰投入量は50トンである。

石灰を微粉末にして水で溶き、石灰ミルクとし、湯川に投入する。投入前の流れは、強酸性水で生物は生息しないからきれいであるが、死の川でもある。石灰ミルクを投入された湯川は、白濁した流れから土色の汚染水となるが、生物が生息できる環境になる。

香草中和工場
南牧村から毎日60トンの石灰中和工場に運ばれている。50トンは草津中和工場へ運ばれ、10トンは香草中和事業所に運ばれて谷沢川と大沢川の水を中和す。中和作業は24時間継続し、河川を水が流れている限り、止めることができない。
建設は群馬県企業局だが、中和事業は建設省(現在の国土交通省)の業務となっている。

石灰
石灰岩は南牧村で採掘される。石灰粉(タンカル。粒子の大きさ75マイクロメートル)に粉砕され、2か所の中和事業所に運ばれる。河川の酸性の程度と水量に応じて、石灰使用量が決まるが、平均すれば草津中和事業所では湯川に毎日50トンの石灰を、湯川からくみ上げた水に溶かし、濃度15%の石灰ミルクの形で投入している。
香芝中和事業所でも同じ作業を、毎日、くり返している。
中和作業は、河川が流れている限り、休むことができない。このことは、湯川・谷沢川・大沢川の石灰汚泥が、毎日品木ダムに流れ込むことでもある。中和工場が故障・停電した場合には酸性水が品木ダムに流れ込み、短時間でもダム湖が酸性になる恐れがある。品木ダムの汚泥を小形浚渫船で浚渫し続け、石灰質汚泥がダムに堆積しないようにている。

品木ダムから八ツ場ダムへ
品木ダムからは、中性となり、澄んだ水が、白砂川として、吾妻川に流れる。これで、八ツ場ダム建設の障害が一つ取り除かれたことになる。
なお、陸揚げされた堆砂(石灰汚泥)は品木ダム周辺の谷間に廃棄されていたが、量が増えたために乾燥処理された後、専用の堆砂ダムに廃棄されている。

※クリックすると拡大。
石灰を草津中和事業所で湯川に投入、香草中和事業所では谷沢川・大沢川に投入し、下流の吾妻川の酸性化を食い止めている。

※中和作業の理屈は上図のとおり。
天候・流量により、pHは一定ではない。安定的に中和作業を続け、品木ダムの水質を安定維持するのは容易ではない。そして八ツ場ダム建設完成のために、たゆまぬ努力が続けられている。なお、河川水は酸性の水の方が、生物が生息しないからきれいに見える。中和処理後は、泥水が流れ、汚染がひどいように見える。品木ダムのダム湖は汚泥は堆砂が増加している。上澄み水だけが白砂川の放流され、吾妻川へ合流する。
吾妻川流域の中和事業は、八ツ場ダム建設のためには、非常に重要である。
万一、浅間山の噴火、長時間の停電、石灰岩輸送道路の途絶などで中和事業が不可能になった場合、八ツ場ダムが酸性水と泥流を食い止め、利根川の洪水被害を最小限におさえることになる。