地理講義   

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249.仙台市長袋の枡形  神明神社

2017年07月18日 | 地理講義

宮城県仙台市秋保の長袋神社に枡形がある。仙台から山形方面に向かうと、右に屈曲する。

仙台市と山形市と間の距離は66kmである。JR仙山線快速を利用しても、高速道路経由の直通バスを利用しても、1時間はかかる。関山峠を越えるのが国道48号線、笹谷峠を越えるのが国道286号線である。水平距離で計るなら、山形県・宮城県の最低規格県道である主要地方道路二口街道44kmが最短である。山形県側の二口街道は近世から整備が進み、幅一間の山道を荷物を背に積んだ馬が通ることができる。しかし、宮城県側の二口街道は傾斜がきつく、崖下を縫う道路なので道幅が人のすれ違うほどもないし、崖の崩落が頻発する。馬も通ることができないのである。

長袋の神明神社は、藩政時代に仙台大町から現在地に移転した。

山形には日本海と最上川を利用した水運が発達し、米穀・魚介類・塩油などが大量に運搬され、酒田では運搬してきた物資を売却し、新たにカネになりそうな商品を買い集めて船が出て行った。
仙台商人は城下町の閉鎖経済に安住した。山形商人は全国の商品を酒田から仙台まで売り歩いた。二口街道は藩政時代から、仙台山形間の重要通商路であった。
長袋は地理的には仙台圏だが、経済的には仙台商人と山形商人の利害の一致点である。長袋神社とそこの枡形は、仙台商人と山形商人の勢力圏の境界であった。

長袋神社では、地元仙台商人と、山形商人との利害調整が行われた。
 

仙台商人は仙台城下の殿様商売に安住し、仙台城外の農村における商売に熱意がなかった。山形商人は二口峠の急峻な山道を越えて仙台放免に何でも売りに来た。
今でも仙台西郊は山形商人の進出が目に付く。大はスーパーマーケット、ホームセンター、銀行、食料品店、書店、小は軽トラ食料巡回販売、季節ごとのさくらんぼ・りんご・米・ももなどの行商などが目立つのである。
仙台の定義山西芳寺、秋保の西方寺、いずれも門前の土産などには山形の商品が多い。二口街道は、長袋ー秋保大滝(西芳寺)ー二口峠ー山寺(立石寺)ー山形とつなぐ。慈覚大師が秋保大滝で100日間の荒行をしたあと、山寺へ向かった。西芳寺は立石寺の奥の院である。このつながりが、現在の山形の商圏の拡大と一致する。

秋保郵便局(秋保温泉郵便局とは別)は、山寺郵便局と同じデザインである。

 秋保郵便局と山寺郵便局とは直接のつながりはない。どちらの局舎も屋根の大きな、古い茅葺き農家を改造したような、よく似たデザインである。設計者は同じである。積雪地仕様だから同じなのだろうが、郵便局の勢力が、山寺から長袋に拡大したとも考えることができる。
秋保大滝の土産物も山形産が多い。現在も二口峠の宮城県側は通行不能だから、遠く関山峠か笹谷峠を越えて運んで来たのである。それほどまでに山形の商圏は広く、確固たるものである。

長袋神社前では道路が屈曲し、枡形になっている。

長袋には商店街はないが、商店はある。人口の規模と交通量から、商店街を形づくるほどの需要はない。かつて役場があり、小学校・中学校があり、高等学校分校があったにもかかわらず、経済的発展を見せずに、静かに 終幕を迎える過疎地の村のようである。ここからクルマで40分で仙台市中心部に行くことがウソのようである。長袋の仙台市民は、この長袋の枡形から西を、山形の商圏と体感しているのである。



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