カースト制度とアパルトヘイト
解答
第5問問5【29】④
解説
①◯:インドにはカースト制度が今なお残り、大きな社会問題となっている。
②◯:インドでは都市への人口流入が続き、都市爆発が起こっている。
③◯:アパルトヘイトは南ア白人政権による黒人の人種差別政策であった。
④×:黒人失業者・貧困労働者があふれて治安が回復せず、都心機能が郊外に移転した。
解説の解説
①インドのカースト制度
カースト制度はインドの社会制度。身分差別のヴァルナと、職業差別のジャーティからなる。
4つの基本ヴァルナとは
バラモン。バラモン教の司祭で、宗教的な支配者階級である(上位カースト)。
クシャトリヤ。武士・貴族などの政治的・軍事的な支配階級である(上位カースト)。
ヴァイシャ。農耕牧畜・手工業などの庶民労働階級(上位カースト)。
シュードラ。隷属民とされた被支配者階級(下位カースト)。
紀元前1500年頃、アーリヤ人がインドに移住して上位カーストを構成した。インド先住民のドラヴィダ人が下位カーストになった。
10~12世紀ごろ、カーストは世襲職業集団ジャーティで細分化された。異なるカースト間では結婚の禁止、生活の細部にわたる規制が作られた。
カーストは「身分」であり、経済的・政治的上下関係とは一致しないことがある。例えば、経済的に貧しいバラモンや、一方で豊かなシュードラも存在するのが現実である。しかし、農村部では今なおカースト制度が強く残っている。
②インドの都市の人口爆発
インドで都市圏人口が1,000万人を越える巨大都市圏は3都市である(2014年)。
デリー首都圏2,173万人(市域人口1,151万人)
ムンバイ都市圏2,075万人(市域人口1,307万人)
コルカタ都市圏1,462万人(市域人口463万人)
農村から流入した労働者には期待したような仕事も収入もなく、スラム街に居住する例が多い。スラムの人口は市域人口の半数と見積もられている。
③南アのアパルトヘイト政策
南アフリカ開拓移民のオランダ人は18世紀から先住民である黒人を差別していた。第2次大戦後、イギリス系白人政権は黒第2次大戦後には、人・混血などの非白人を白人と差別するアパルトヘイトを強めてる政策を次々に施行、白人支配の安定化を図った。国際的批判と国内の黒人労働者の暴動により、アパルトヘイトの維持が困難になり、1993年には面廃止された。
④ヨハネスバーグの都心崩壊
アパルトヘイトの廃止により、人種による居住区指定がなくなった。多くのアフリカ系とカラード住民がヨハネスバーグ市中心へ住して職を求めた。反対に、白人住民は郊外へと脱出してた。主要企業の多くも、都心から撤退・移転したので、アフリカ系(黒人)・カラード(混血)住民は職を失ったり、仕事に就いたりするることが難しくなった。ヨハネスブルグは失業者があふれ、犯罪の多発する治安の悪い地域へと転落した。一度流出した企業は再び市中心部には戻らず、立ち並ぶ高層ビルは無人の廃墟となり、住宅街は不法占拠者の住居となった。ヨハネスバーグ都心には企業が戻らない状況が続いている。