余桃之罪、もしくは電光朝露

関西フィル、日本センチュリー、京都市交響楽団、大阪フィルの定期会員です。アイドルやら声優やら。妄想8割、信憑性皆無。

大阪交響楽団 第146回定期演奏会「忘れられた作曲家 "タニェエフ" 」

2010年06月18日 | 大阪交響楽団
10.6.18(金)19:00 ザ・シンフォニーホール
大阪交響楽団 第146回定期演奏会「忘れられた作曲家 "タニェエフ" 」
指揮/児玉 宏(大阪交響楽団音楽監督・首席指揮者)
ヴァイオリン/竹澤恭子
コンマス/森下幸路(大阪交響楽団首席ソロコンサートマスター)
曲目:
バーバー/管弦楽のためのエッセイ第1番op.12
バーバー/ヴァイオリン協奏曲op.14
タニェエフ/交響曲第4番ハ短調op.12

あいにくの天気。梅雨とはいえちと降り方が尋常ではない。
しかもNHK教育の収録ありだというのでおぢさんの手元には普段より多めの招待券がどこからともなく。
オケ名変更したばかり、せっかくの桧舞台を台無しには出来ないので頑張って人集めた。1枚余ったけど。
そんなわけで普段は客を入れぬクワイア席まで客を入れての8割5分。曲がマイナーで天候悪いことを思えばよく集まった。これ、収録無しだということで動員かけなかったら7割届かなかったんじゃないか。

エッセイ。
あまりにも地味っちうか誰も気にしてないけども、今年はバーバー生誕100年だ。そこでシンフォニカーさん(抜けきらないねえこの呼称が)はバーバーを2曲組んできた。普通どうなの?バーバーって弦楽のためのアダージョだけの一発屋的なイメージだと思うんだけど。おぢさんはバトルがプレヴィンと録音した「ノックスヴィル、1915年夏」を聴いて素晴らしいなと思ったけどそこで留まったまま。
実際は抒情的な旋律に激しい表現も併せ持った作曲家らしく、このエッセイもなかなかパンチの効いたところもある作品。うわあつまんねえな、と思わせないだけの演奏にもなってた。これ1曲だけだと聴衆の多くが明日の朝にはバーバーの名前も忘れそうだが、今日はもう1曲あるわけ。
協奏曲。
竹澤さんはスラットキンの伴奏でこの曲をRCAに録音していて、同曲のリファレンスと化している名盤。朗々とした美しい旋律から始まる第1楽章、ヴァイオリンから流れる肉厚の音が素晴らしいじゃない。第3楽章は無窮動かつ無調からなる音楽。ワイルドな耳あたりの内容を高いテンションで体を反らして弾きまくる。痛快。

休憩挟んでタニェエフ。
ずっとタネーエフだと思っていたが最近はこの表記らしい。セルゲイとアレクサンドルの二人がいて、セルゲイが無名でもまだ有名な方で今夜聴く方。良く解らん。
重心を低くとったカリンニコフみたいな第1楽章、管楽器が交わす歌を低弦楽器が遮るいかにもロシアの国民楽派風の第2楽章、飛び跳ねる木管に先導されて躍動してゆく第3楽章、ちょっとだけバロック風味の対位法が駆使される華麗な舞曲が終曲。
児玉さんは相変わらず淀みなく迷いなく作品の内容を明らかにする指揮ぶりで良かった。
先だって聴かせていただいたグラズノフの5番を少し優しくしたような内容の作品となったし、アッテルベリのCDも出ちゃって聴きまくっているので思うのだが。今のオケの諸条件(練習場だとか練習時間だとか楽員個々人の技量)を考慮するに、同じ環境・条件であれば児玉&シンフォニカーは常にこれぐらいは聞かせる演奏が出来る状態になってしまった気がする。要は階段の踊り場に差し掛かったと。ここからしばらくはこれまでのような演奏するたびに長足の進歩を感ずることは無くなるように思う。3年だからね。伸び代がなくなるとか限界だとかということではなくて、これからはやや微妙で繊細な変化が数回は続くだろうから「あんま代わり映えしないな」と結論を急いではいかんし、過大に期待しないでおこうと思う。
次はお祭り的な意味合いでやる英雄の生涯ですので、その次のブル2が楽しみ。
タニェエフの録音をコンサート前にあえて聴かずに今回は挑んだ。なぜなら所有しているスヴェトラーノフとロジェストヴェンスキーなんぞの録音を聴いてしまっては何聴いたってモヤモヤするでしょう。
今聴いてみてるが豪快で強烈すぎる。おそ露西亜。

次回のキンボー行こうっと。

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