09.4.12(日)14:00 ザ・シンフォニーホール
京都市交響楽団 大阪特別公演
指揮/広上淳一
ピアノ/山下洋輔
コンマス/泉原隆志
曲目:
ビゼー/歌劇「カルメン」第1組曲
ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー
コスマ/枯葉~ストレイホーン?/スイングしなけりゃ意味ないね〔メドレー〕(ソロ・アンコール)
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」ロ短調op.74
リャードフ/8つのロシア民謡op.58より第3曲「悲歌」(アンコール)
1月定期、スプリング・コンサートとソリストをかえつつ3度目のラプソディ・イン・ブルーが聴きたいじゃないですか。その足で真野ちゃんイベという落差も含めて面白い一日にするんだ。
というわけで行ってきました。7割ぐらいですかね。2階サイドとセンターが結構空いております。今日は兵庫でバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイとかやってるから割れたんじゃないかな。
ビゼー。広上さんの指揮は京響定期だとお席の都合であんまり横から見ないんですよ。だからね、2階サイドの席にしたの。ハフンハフン鼻息がうるさくて萌える。ザ・シンフォニーホールってすごいね!一昨日聴いたよりも音が柔らかく瑞々しく聴こえる。広上さんの強めのリズムがちょうどいい感じに丸みを帯びて、きびきびとしつつも豊かに響きます。清水さんのフルートを再度堪能した。ニコリンと続けてフルート日和だ。
ガーシュウィン。10年ほど前だったか、佐渡さんと大フィル・京響で山下さんの弾くラプソディ・イン・ブルーを聴いた気がする。この人の売りであったフリージャズっちうのがクセモノで、とにかくデタラメにしか聴こえない。歌が無い。聴いてて苦痛。このラプソディ・イン・ブルーのソロも無調風の上下行を繰り返し、肘まで使って鍵盤をぶったたき・・・。いやーしんどいっ。というのが普通の反応だと思うんですが。実際客席の中には「これのどこがいいの?」と囁き合う人々もおりましたよ。悲しいかなおぢさんの収蔵品にはジャズの録音物も多数あるわけで、この演奏が面白く聴けちゃう。ピカソのように細切れに分断された歌が、大事なところだけをしっかりと刻んだリズムの奔流に乗って舞い踊る様が見える見える。オケはというと、清水和音さんや小曽根さんとは異なる激しいソロに合わせたのでしょう、リズムは強くテンポは遅く派手になってました。3人とも聴いた人は広上さんのフレキシブルなオケ扱いが分かって面白かったんじゃないかな。個人的には山下さんのソロは昔とあんま変わらなかったし、何度も聴くものでもないのかも。
アンコールはジャズ・スタンダードを山下流に調理したものを。
休憩挟んで悲愴。
昨年のシェエラザードで客演指揮者としての振り方から常任指揮者としての振り方にスイッチしたと見ましたが、今回は完全にオレのオケだという信頼感と期待感が見える振り方。とりわけ第3楽章は細かいことはリハで伝えてるからと、タクトを置いて表現の彫琢だけに注力する。少々音を外そうが、自分の表現に喰らい付いてきた事実を讃えると言わんばかりにアイコンタクトとサムアップを連発する。
終楽章の作りは弟分の幸夫に似ているというか、大いに歌いつつも旋律に溺れ過ぎず、生死をさまよいつつも生に傾くように寂光が射して終わる感じになっております。今思うと前半2楽章の印象がちょっと薄いか・・・。
しかし名演で、京響の今をかなりアピール出来たのではないですか。
アンコール前に「京都にも是非おいでください(笑)・・・今の曲はさみしい終わり方だったので、静かな曲ですが癒しになる曲を演奏します」と一言。
朝比奈御大が稀にアンコールに使っていたリャードフの小品(つってもリャードフは小品しかないし)。いい曲だよね。
帰宅してレコード棚探したら6種類ぐらい出てきて、そうだそうだオレはクラヲタだったとなんかすっごくガッカリした。
京都市交響楽団 大阪特別公演
指揮/広上淳一
ピアノ/山下洋輔
コンマス/泉原隆志
曲目:
ビゼー/歌劇「カルメン」第1組曲
ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー
コスマ/枯葉~ストレイホーン?/スイングしなけりゃ意味ないね〔メドレー〕(ソロ・アンコール)
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」ロ短調op.74
リャードフ/8つのロシア民謡op.58より第3曲「悲歌」(アンコール)
1月定期、スプリング・コンサートとソリストをかえつつ3度目のラプソディ・イン・ブルーが聴きたいじゃないですか。その足で真野ちゃんイベという落差も含めて面白い一日にするんだ。
というわけで行ってきました。7割ぐらいですかね。2階サイドとセンターが結構空いております。今日は兵庫でバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイとかやってるから割れたんじゃないかな。
ビゼー。広上さんの指揮は京響定期だとお席の都合であんまり横から見ないんですよ。だからね、2階サイドの席にしたの。ハフンハフン鼻息がうるさくて萌える。ザ・シンフォニーホールってすごいね!一昨日聴いたよりも音が柔らかく瑞々しく聴こえる。広上さんの強めのリズムがちょうどいい感じに丸みを帯びて、きびきびとしつつも豊かに響きます。清水さんのフルートを再度堪能した。ニコリンと続けてフルート日和だ。
ガーシュウィン。10年ほど前だったか、佐渡さんと大フィル・京響で山下さんの弾くラプソディ・イン・ブルーを聴いた気がする。この人の売りであったフリージャズっちうのがクセモノで、とにかくデタラメにしか聴こえない。歌が無い。聴いてて苦痛。このラプソディ・イン・ブルーのソロも無調風の上下行を繰り返し、肘まで使って鍵盤をぶったたき・・・。いやーしんどいっ。というのが普通の反応だと思うんですが。実際客席の中には「これのどこがいいの?」と囁き合う人々もおりましたよ。悲しいかなおぢさんの収蔵品にはジャズの録音物も多数あるわけで、この演奏が面白く聴けちゃう。ピカソのように細切れに分断された歌が、大事なところだけをしっかりと刻んだリズムの奔流に乗って舞い踊る様が見える見える。オケはというと、清水和音さんや小曽根さんとは異なる激しいソロに合わせたのでしょう、リズムは強くテンポは遅く派手になってました。3人とも聴いた人は広上さんのフレキシブルなオケ扱いが分かって面白かったんじゃないかな。個人的には山下さんのソロは昔とあんま変わらなかったし、何度も聴くものでもないのかも。
アンコールはジャズ・スタンダードを山下流に調理したものを。
休憩挟んで悲愴。
昨年のシェエラザードで客演指揮者としての振り方から常任指揮者としての振り方にスイッチしたと見ましたが、今回は完全にオレのオケだという信頼感と期待感が見える振り方。とりわけ第3楽章は細かいことはリハで伝えてるからと、タクトを置いて表現の彫琢だけに注力する。少々音を外そうが、自分の表現に喰らい付いてきた事実を讃えると言わんばかりにアイコンタクトとサムアップを連発する。
終楽章の作りは弟分の幸夫に似ているというか、大いに歌いつつも旋律に溺れ過ぎず、生死をさまよいつつも生に傾くように寂光が射して終わる感じになっております。今思うと前半2楽章の印象がちょっと薄いか・・・。
しかし名演で、京響の今をかなりアピール出来たのではないですか。
アンコール前に「京都にも是非おいでください(笑)・・・今の曲はさみしい終わり方だったので、静かな曲ですが癒しになる曲を演奏します」と一言。
朝比奈御大が稀にアンコールに使っていたリャードフの小品(つってもリャードフは小品しかないし)。いい曲だよね。
帰宅してレコード棚探したら6種類ぐらい出てきて、そうだそうだオレはクラヲタだったとなんかすっごくガッカリした。
山下洋輔/ピアノ協奏曲(エンカウンター) 山下洋輔のボレロ佐渡裕×山下洋輔エイベックス・エンタテインメントこのアイテムの詳細を見る |