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当世時代遅れジャズ喫茶店主『夏原悟朗の日々』

「写真+小説」形式によるジャズものがたり 前田義昭作品

81. ヒゲ村の一日店主

2025-03-11 | ジャズ小説

  Richard's Almanac (Argo) / RICHARD EVANS   

スミちゃんがドアを開けると、いつも夏原がいるところにヒゲ村がいた。
「あれ、夏原さんは」
「今日はオレが店主なんだ」
ちょっと照れくさそうにヒゲ村は言ったが、それでもまんざらでもないといった態度だった。
「夏原さんのお姉さんが亡くなったんだ。急なもんでこちらにお鉢がまわってきたというわけさ。と言うのもね、連絡を受けた時お香典を持って行ってくださいと言ったんだ。すでに店を開けてしまっているので、それはいらないからその代わり今日だけ店番をやってくれないかと夏原さんは言うんだ。まあ勝手知ったるサマーフィールドだからお安い御用ってわけさ」
スミちゃんが笑った。
「ヒゲ村君が金欠だと判っているので気を使ったのね」
「まあ、そんなとこ。鋭いねスミちゃん、なにか聴きたいのある」
いっぱしの店主気取りだった。ドリップの淹れ方も手馴れたもので香りの良いコーヒーをさっと出した。ほぼ皆勤なので手順は熟知していて急に頼まれたとは思えない手さばきだった。これにはスミちゃんも内心驚いた。
「そうね、それじゃリチャード・エバンスの『リチャーズ・アルマナック』をかけてよ」
ちょっと意地悪して、あまりリクエストのないレコードをわざと頼んでみた。
ヒゲ村は迷いもせず、レコード棚からさっと抜き出した。そして慣れた手つきでプレーヤーにかけ、どんなもんだいという顔をしたのでスミちゃんは少し癪にさわった。そうは思ったもののあまり聴く機会のなかったレコードなので丁度良かった。このレコードはそれほど有名ではないベーシストのリチャード・エバンスのリーダー作だ。ジャケットも地球儀と本なんか置いてジャズっぽくない地味なデザインだ。ピアノのジャック・ウィルソンの方が名前は売れている。
「ところでスミちゃん。オレのレコード買わない。少し処分しようと思ってるんだ。レコード屋よりは安くしとくよ」
「今まで買いすぎたんじゃないの。調子にのって」
「そうなんだ。アパートの床が抜けそうなんだ。夏原さんがいない時に言おうと思ってたからちょうど良かったよ」
「考えとくわ。今度リスト見せて」
「合点だ」
ドアが開いて北見が顔を見せた。驚いたしぐさをした。
「マスターはいないんですか」
「今日はオレをマスターと呼んで」
北見が笑った。状況がわからないながらも、
「じゃマスター、コーヒーお願いします」
ヒゲ村が満更でもない表情をした。スミちゃんと北見が顔を見合わせてくすくすと笑っている。鼻歌まじりにコーヒーを淹れていると女性の靴音がした。ヒゲ村が振り返ると一人の美人が立っていて店内を見ている。「いらっしゃい」という声が少し浮ついた。
「こっちよ」
スミちゃんが手招きするとその美人がニコッとして横に座った。そして紹介した。
「モデルさんなのよ、梨花さん。今度やる雑誌広告の衣装の打ち合わせで来てもらったの」
「どおりでね。一目見た時なんか違うと思ったんだ」
ヒゲ村が相好を崩して言った。モデルの女性が来ただけで店内が一気に華やいだ。仕事の時のような化粧をしていなかったが、よくよく見ると少し前にオンエアーされていた旅行会社の CMに出ていた顔だった。華やいだ衣装をまとって友達の女性とはしゃぎながら旅をする映像が浮かんだ。テレビの顔が目の前にいるのでドギマギした。
その間のヒゲ村のちょっとした慌てぶりを見ていた北見が、
「この曲のテンポは、今のマスターの動悸のようですね」
そう言ったのは、2面 4曲目の『シュド・アイ』がかかった時だった。
「マスターってけっこう態度に出るんですね」
若い北見におちょくられたのでイラついた。
「ここのマスターはお若いんですね」
事情を知らないモデルの言葉に、スミちゃんと北見がまた顔を見合わせて笑った。
「スミちゃん、そろそろ本当のことを言ってあげてよ」
思いもかけない展開になってヒゲ村は焦った。

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