夏原悟朗の日々

当世時代遅れジャズ喫茶店主ものがたり /「写真+小説」形式によるジャズ小説 前田義昭作品

79. スイングできたら

2020-04-20 | ジャズ小説

Dsci0053Swing Session With Edmond Hoii(Commodore)・EDMOND HALL

 

 

 


 静岡県からやって来た初めての客が二時間ほど話し込んで帰って行った。
 静岡と最初聴いたとき、夏原は「あっ」と思った。ヒゲ村とネットオーションで偶然つながった同級生の女の子もたしか静岡だったからだ。東京で再会を約束したはずだが、あの後くらいからヒゲ村は顔を見せなくなっていた。心配だったが、わざわざ電話するのもなんだと思ってうっちゃっていた。しかし、どうも同級生の関係者ではなかったようだった。
「いや」
 ドアの軋んだ音とともに正木が顔をのぞかせた。珍しくレコードを手にしていて、いつものように店内を見回した。
「おや、ヒゲ村先生の顔が見えないな」
 首に下げていたハーフ・カメラをカウンターに置いた。
「おや、珍しいカメラをもってるじゃない」
 可愛いオリンパス・ペンを取り上げて、夏原はしげしげと眺めた。
「そうなんだ。ちょっと気分を変えてみたくてね。プロが使わないハーフをあえて使ってるんだ」
「相変わらずへそ曲がりだな。何か新しいやり方を思いついたのかい。大変だね、写真の世界も。なんか持って来たようだな、かけようか」
 夏原は手を差し出して、レコードを促した。
「昔さあ、水道橋の川っぺりの店でよく聴いたのが出ていたので、つい懐かしくて買っちゃったよ。今時スイングなんて流行らないからワンコインでもおつりきたよ」
「ほう、エドモンド・ホールか。スイングが聴きたくなった時はボクもよく行ったよ。ディッケンソンとかね」
 クラリネットを手にしたホールの写真を使ったジャケットが額に収まった。口もとは微笑んでいるがけっこう鋭い目つきをしている。B面の『アップタウン・カフェ・ブルース』がかかると、いつもとはうってかわって店内は弛緩した空気につつまれてきた。
「あの店で聴いた頃を思い出すよね。まだ二十代だったからなオレたちも」
「もう四十年以上の歳月が流れたってわけだ」
「早いもんだ」
 二人はスイングの心地よいリズムに聴き入った。ドアの開く音がした。ヒゲ村が突っ立っていた。
「なんなのスイングなんかかけちゃって。二人とも年寄りっぽいなぁ」
 カウンターに座るなり憎まれ口をきくところは以前と変わっていなかったが、なんとなく照れ隠しのような口振りでもあった。
「どうしてたんだ。例の再会話の後から顔を見せないので心配してたんだぜ」
 ヒゲ村の表情が微妙に変化した。それを見逃すはずがない夏原はすぐさま察知した。同級生にヒゲ村の気持ちが伝わらなかったに違いない。でなければ、すぐにでも自慢話をしにくるはずだ。事情の知らない正木は傍観していた。
「正木も来ていることだし、昼間だけど一杯やるか。どうだい、ヒゲ村」
 棚からバーボンを掴んで頭上にかざした。
「いいね。そんな気分だ。マスターのおごりだよ」
「なんだか知らないけど、断る理由はないね」
 正木も応えた。早速ぐっと一杯あおったヒゲ村が口火を切った。
「ねえ、マスター。この前の一件聞きたくない」
「そりゃ、聞きたいよ。でもなんだかそんな雰囲気じゃなさそうだなと、さっきから思ってたんだ」
 それには応えずまたグィっと飲み込んで喉を鳴らすヒゲ村だった。
「あの後四、五日経って東京の喫茶店で会ったんだ。店内を見渡しても最初判らなくってね。ドアが開く度そっちを見る女性がいたので、声をかけたらその人だったんだ。昔机を並べていた頃とイメージがまったく違っていたんだ。けっこうケバケバしい化粧でね。後は話さなくても想像してよ」
「太宰治的にいうと、彼女は昔の彼女ならずってことかい」
 ヒゲ村は黙って頷いた。夏原はその気のあったヒゲ村に、彼女の方からやんわりと断りを入れられてショックを受けているのかと思っていた。相変わらず正木はポカーンとした顔のままだった。あごを上げて一息にウイスキーを押し込んだヒゲ村が、翳りのある表情を一瞬浮かべた。
 その動作をずっと見つめていた夏原は、ヒゲ村の話が本当なら翌日店に顔を出していてもいいはずで、やはり強がりを言ってるなという思いをつよくした。
「スイングしなくて残念だったな」
 夏原はヒゲ村を慰めた。

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