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▲文化・文政時代の仕置人、仕事人I

2008-02-28 15:10:00 | 文化・文政
▼文化・文政時代の仕置人、仕事人・その壱(『新必殺仕置人』、『必殺仕事人2007』、『必殺!Ⅲ裏か表か』)
続いて、文化・文政時代(1804~1830)に入る。

『新必殺仕置人』は作品解説などで「文化・文政時代」が舞台とされているが、個人的に作品の中でそれが示された場面は覚えていない。
この作品で、南町奉行所定町廻り同心・中村主水(~もんど)が按摩・骨接ぎ師の念仏の鉄、鋳掛屋(いかけや)の巳代松らの「仕置人」グループに参加していた。「念仏」は本来、「念佛」のはずだが、作品で「念仏」になっているところを見ると、江戸時代にも「仏」は使われていたのだろう。現代中国では「念佛」と書く。また、「巳代松」の読みは「みよまつ」だったと想う。
主水が鉄と「仕置人」として組んだのはこれが二度目で、前回、主水は北町奉行所の同心だった。
『新仕置人』で記録されている江戸の仕置人は「虎」と飛ばれる大元締めの傘下にあり、会合「寅の会」で、仕事をセリにかけていた。
虎の用心棒・死神は北東アジアのギリヤーク(Gilyak→Nivkh)民族出身だったらしい。「寅の会」は俳句の会を装っていたが、もし、事情を知らない俳句好きの一般人が入会を申請したらどうなったのだろうか。
松は奉行所に捕まり、拷問で植物人間になった。また、鉄は裏切り者と刺し違えて死亡。江戸では「寅の会」は壊滅し、文政から幕末まで「闇の会」が受け継いだ。虎の元締めは大坂(=大阪)で「寅の会」を存続させていたが、おそらく天保時代に大阪で殉職。仕置人の存在を証明する記録はないので、あくまで推測である。

さらに、20世紀末から21世紀にかけての日本でも、『〝殺医〟ドクター蘭丸』で同様の闇組織のセリがあったことが記録されている。現実の世界で「闇サイト」が問題化しており、時代劇の主役のやっていることは犯罪行為であることの証明である。ネットやゲームの危険性が指摘されるが、テレビの現代ドラマや映画の暴力、殺人の氾濫もすさまじいものだ。

仕事人・中村主水と同世代の人物
ここで、中村主水の生没年が謎である。

『必殺忠臣蔵』元禄時代に主水が出てきたが、同名の祖先と考えられる。また、『仕事人vs秘拳三日殺し軍団』で主水は長谷川平蔵と会っており、『鬼平犯科帳』で有名な長谷平蔵は寛政の改革の時代の人物だが、ここでは深く考えない。

中村主水は文化・文政から天保(1830~1844)を経て幕末まで、同心(警察官、刑事)として仕事をしていた。おおよそ、1819年(文政2年)から1868年(慶應4年)までである。この時期、成人だったとすると、おおよそ、西暦1800年前後に生まれた人物になる。

例えば、1800年丁度の生まれだと文政年間で年齢が20代から30代、天保時代で30代から40代、幕末で50代から60代になる。

西暦1800年前後に生まれた主な人の名を列挙してみると、時代劇の常連、仕事人たちと縁のある名前が並ぶ。

大塩平八郎(←大鹽~、おほしほへいはちらう、1793~1837)
遠山景元、遠山金四郎(1793?~1855)→『広辞苑』では生年不詳だが、吉川弘文館『國史大辭典』で1793年生まれとある。Wikipediaでも同様。
水野忠邦(1794~1851)
千葉周作(1794~1855)
ペリー(Perry、1794~1858)
鳥居耀蔵(1796~1841南町奉行着任~1844罷免?~1873没?)
シーボルト(Siebold、1796~1866)
安藤廣重、歌川廣重(1797~1858)
高野長英(1804~1850)
ハリス(Harris、1804~1878)
●島津斉彬(1809~1858)

中村主水は複数いた?
ただ、中村主水の生年を西暦1800年丁度とすると、無理が生じる。
主水が『必殺仕置人』第1話で念仏の鉄、棺桶の錠(琉球出身の棺桶職人)、鉄砲玉のおきん、おひろめの半次(瓦版屋)と組んだときの台詞「男30すぎていいかっこしようなんざ、落ち目んなったしょうこよ」から、主水は30代以降に仕置人になったことがわかる。

『必殺仕事人2007』によると、文政3年(1820年)2月14日、中村主水は長年勤めた南町奉行所の定町廻りから書庫番に移っており、奉行所ではベテランに入るようで、とても、まだ、数え年20歳とは考えにくい。
『必殺!Ⅲ裏か表か』は1820年ごろが舞台で、やはり、主水は同心としても仕事人としてもベテランに見える。
また、次に詳しく述べるシーボルト事件(1828~1829)を扱ったスペシャル版では主水は天文学者・高橋景保(~かげやす、1785~1829)の獄死を見届けており、景保は獄死当時、数え年45歳だったが、主水はどう見ても、この景保より年下には見えない。主水は千葉周作よりも年上に見えた。

『必殺!主水死す』では葛飾北斎(1760~)が死んだ1849年から始まり、主水は小屋ごと爆死したように見えたが、『暗闇仕留人(くらやみしとめにん)』などで主水は1853年の黒船来航以降も登場している。
すると、文化・文政の主水、天保時代の主水、幕末の主水は「別人」と考えたほうがいい。また、主水の子孫は20世紀にも出現している。

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2008年2/28(同心暁蘭之介~蛮社の獄)

▲同心暁蘭之介

2008-02-28 04:59:00 | 文化・文政


『同心暁蘭之介』によると、江戸時代、偽の僧侶が依頼人の寿命を月日まで言い当てる占いをやっており、実は寿命が尽きると言った日に刺客を放って依頼者を暗殺していた。奉行所の同心・暁蘭之介が捨て身の覚悟でトリックを見破り、最後の依頼者を救助。、蘭之介は霊感商法の親玉だった僧侶のいる寺に踏み込み、相手が「町方の入れる場所か」と叫ぶのも無視し、「偽坊主のくせしやがって…」と言い返して逮捕したらしい。
占いや霊視を安易に信じる傾向は、21世紀になっても変わっていない。

桶なおし職人が同じ手口で連続殺人事件を犯したとき(ネットの情報によるとこの回は再放送不能らしい)、蘭之介は「殺しの本職なら、毎回、手口を変えるはず」と推理。しかし、のちの「仕置人」と「仕事人」は同じ下手人の仕業だと自己申告しているような一本調子だった。

最終回「同心哀話」では、八王子代官が配下に命じて天領の樹木を切らせ、口封じに現地の千人同心を殺していた。また、代官の配下は鬼の面をつけていた。
蘭之介の説明によると、八王子千人同心とは家康が幕府を開いたときに、西の守りを固めるために配置した武士の集団らしい。太平の世が続き、仙人同心など「百姓と同じ」と見なされた。しかし、武士自体が武装した農民から派生したものなので、原点回帰と言うべきであろう。
蘭之介は激怒して代官所に踏み込み、代官の配下を斬りまくり、代官を殴り倒した。斬らなかったのは証人として残すためか。暁は切腹を覚悟するが、北町奉行・小田切土佐守は老中に対し、暁の助命を願い出る。

1792年から1811年まで、小田切土佐守直年が北町奉行。蘭之介の上司はこの人物か。
土佐守は「北町奉行として小田切土佐守、配下の同心・暁蘭之介に切腹せよとは断じて申せません。不正をあばき、悪人を斬った者が切腹では、徳川の世も終わりにございましょう」と言い、老中はこれに対し、八王子代官の所業についても幕府で(おそらく大目付が)調査中であることを知らせ、「喧嘩両成敗」を強調した。この「喧嘩両成敗」は赤穗浪士の吉良邸討ち入りで赤穗の側が求め、認められないと自ら私刑として実行し、大衆もそれを支持した考えである。

結局、暁蘭之介がどうなったか不明。

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2008年2/28 4:52~4:59(大黒屋光太夫~同心暁蘭之介) 
2008年2/28 4:59~15:40(同心暁蘭之介~蛮社の獄)

関連語句暁蘭之介 

参照
【時代劇の時代設定】同心暁蘭之介