泣き虫ダイバーのひとりごと

海大好きダイバーが、肺ガンになりました、日々の生活をぽつぼつ書いていきます

2011年9月8日天国の海へ

10年目のありがとう

2011-06-02 14:58:14 | 日記
今から11年前
社内試験を受けて合格し1年間研修生活を送った

全国から集まった仲間
個性豊かな人達
独身もいれば家族を置いてきた人もいる
年齢も様々
私はグループで二番目の年寄りだった

当時の私は研修所まで往復3時間かけて通っていた
上の子は小1、下の子は保育園
子供達のことは夫にお願いした

毎日大量の課題をこなすために遅くまで残った
でも寮生みたいに時間が潤沢にあるわけじゃない
電車の時間だってある
早く帰って家族の顔も見たい
時々早く帰ったがその時は課題を持ち帰り翌日には仕上げてみんなに配った

もう一人女性の研修生がいた
彼女も通行生で私と同じような家庭環境
でもご主人がとても忙しいのでお子さんの面倒はなかなか難しい
早く帰らないといけない

彼女のグループに大阪から来ている年長者がいた
「だから女はダメなんだ」とかいう意味の言葉を彼女に浴びせた

私は「仕方ないでしょ。子供が小さいしご主人忙しいんだから」と言った
するとヤツは「早く帰りたいんならなんで試験受けてここへ来たんや!俺らは覚悟して来てるんやぞ!」と言った

研修生活もあとわずかになったころ誰かが「みんなで土日使って旅行しよう」と言い出した
私は「普段子供達に寂しい思いをさせてるから土日は家にいたい。どうしても行かないといけないなら子供達を連れて行きたい。」と言った

するとまたヤツが「俺らは家族を置いて来てんねん!会えないけど我慢してるんや。旅行だって仕事のうちや。家族連れて行きたいなんて我が儘や!」と言った

家族を置いてきた人
家族の元から通学する人
どっちも我慢してるじゃないか
みんな頑張ってるんだ
あんたはそんなにエライのか
あんたこそこんなとこ来なければよかったじゃないか

と言いたかったけど言葉を選んで遠回しに反論した
年長者をたてたのだ
(最後はバトルになったけどね)

その後旅行の件はグループ最大の検討課題になった
気まずい空気が流れた
打開策はなかった
結局最後は東京対大阪みたいになってしまった

グループには教授と呼ばれる上司が一人ついていたがひとごとみたいで一切関知しない
これが職場の雰囲気だったらあんたは放っておくのか?

なんだかね
行きたくなくなったよ
研修なんてどうでもよくなった
頭がおかしくなりそうだった
布団に入ると涙が出た
朝家を出るのがイヤだった
職場も辞めたいとまで思うようになった


でも
名古屋から来ていた後輩の男の子が私を気遣ってくれた
毎日声をかけてくれた

結局、旅行は一部のメンバーだけで行くことになり私は子供達を連れて行った



研修は将来の幹部候補生を養成することが目的だと説明された

研修生達はそれはつまり仕事に直結する知識を身につけることだと考えていた

違うよ



いかにして部下を育てられる上司になるか

その術を学ぶんだ


だからこそ年齢や性別や育った環境が違う者同士を集めて切磋琢磨するんだよ
私は当時そう思っていた


女性だから甘えているのではない
家族を置いてきたからエライのじゃない
寮生だから通行生だからの区別があるわけじゃない

互いを理解して思いやり協力していい仕事を成し遂げる

人は前進する
人は育つ
そんなことを学び合うんだよ



あれ以来私はあの大阪の年長者を許せない
二度と会いたくないと思っている
まぁ我が儘だけどね

教授も嫌い
あんな上司になるもんかとずっと思ってる
成長できない私


今日名古屋の後輩がお見舞いに来てくれた
午後本店に用事があって上京したのだという
嬉しかった


あの時はありがとうと言った
あなたのおかげで仕事も辞めないで済んだと言った


にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へにほんブログ村