ほめちぎり映画館

"ほめたい映画"限定! シナリオ練習生の勝手気ままに見たまま、感じたままの映画評。

『ダウト』番外編

2009-03-24 15:30:10 | Weblog


昨日、アカデミー賞の録画をやっと観た。
まだレッドカーペットだけだけど。
(クッキーさん、ありがとう。見終わるまでまた時間かかりそうですが・・・)

えええー
『ダウト』で絶賛したヴィオラ・デイビス、
めっちゃかわいーやん!

映画とは別人ですよ!

ルックスも、年齢も(若い!)。
あの“お母さん”とは思えない。。。

すごいなー。戸田奈津子さんもコメってましたが、
さすが、The女優。

『ダウト』ではシスター役のみなさんはノーメイク風メイクなんですが、メリル・ストリープなんか、あのお年で肌キレーですし。

目もキレーやったな。

演技派なんで表情が消えるような整形はできないやろし。
どんなケアをされておるのでしょう?

知ったところで、女優のスキンケアに手が届くわけはないのですが。

役と晴れ姿のギャップが見られるのも、アカデミー賞の楽しみの一つでありますね

ダウト―あるカトリック学校で

2009-03-22 17:03:20 | 映画(DVD)

裁くのは人か、神か。

トップシーンからあまりのシャレードの巧さに口笛を吹きそうになり(吹けんけど)、観終わって拍手がしたくなった(欧米かっ)。
間違いなく今年度のNo.1……今のところ^_^;

トニー賞&ピューリッツァー賞をW受賞した舞台劇を、脚本家のジョン・パトリック・シャンリィが自ら脚色・監督。映像の代弁を得て一切の贅肉を削ぎ落とした、アンチメタボな心理劇です。

前年にケネディ大統領が暗殺され、公民権運動が広がりを見せる1964年。古い価値観が新しいそれに取って変わろうかという時代に、ニューヨーク・ブロンクスのカトリック学校で校長を務めるシスター・アロイシスは、規律を重んじ、学内のあらゆる人物、あらゆる出来事に目を光らせていた。そんなある日、新米のシスター・ジェイムズから、進歩的で生徒の信頼も厚いフリン神父が、学内唯一の黒人生徒とよからぬ関係にあるかのような密告を受ける。まったく確証のないジェイムズの想像に、アロイシスは「私にだけはわかるんです」的傲慢な確信を抱き、神父を追い詰めていく。

果たして、疑惑は真実なのか? それは最後まで藪の中。神父と少年の関係に関して、疑惑を裏付けるような描写は一切ありません。でも、尊敬を集める神父の中にあるかもしれない情欲や、厳格な校長の中にある慈愛の精神が、印象的なシャレードで描かれていて、観る者にも疑惑を抱かせる仕掛けが見事。

おまけに、真相を語らない神父を批判する校長が実は隠し事をしていたり、革新的な神父が戒律に守られていたり。校長も神父もそれぞれに自己矛盾を抱えていて、どちらが正しい・正しくないでは測れない、人間の存在性についてまで考えさせられてしまう、簡潔にしてものすごーく奥の深いお話になっとります。

授業中、神父が身だしなみについて生徒に説く、
「爪は長くしていてもいい。
大切なのはきれいにしていることだ」
ってなセリフは、「行動と魂」の暗喩のようで意味深。

爪は長くてもきれいな神父か、悪を追放するには神も遠ざける校長か。2人の間で白にも黒にも染まりそうなシスター・ジェイムズは、さしずめ陪審員といったところか。いよいよ裁判員制度が始まる日本人にとっても、ただごとじゃあありません。

大きな事件も起こらず、人間心理をえぐり出すようなこんな映画は、役者が下手では始まらないわけですが、これまたみなさん素晴らしく、主要人物4人全員がアカデミー賞にノミネートされるという完全無欠の演技アンサンブルを見せてくれます。

校長役のメリル・ストリープは言わずもがな。神父役のフィリップ・シーモア・ホフマンには、ファーストシーンの最初のセリフでつかまれた。こんなお説教を聞いたら信奉しないわけにはいかない。カップの持ち方の変化に微かな動揺が出ていたり、ちょっとした動作にも注目ですよ。シスター・ジェイムズ役のエイミー・アダムスも、若さゆえの無垢と無知をまっすぐに演じ、2大オスカー俳優に引けを取りません。

で、少ない出番ながら個人的に最も印象に残ったのが、黒人少年の母親役ヴィオラ・デイビス。一瞬メリル・ストリープが霞んだもんね。またセリフがいいのだ。母の想いが胸に突き刺さりました。

そして、クライマックスのストリープとホフマンの激突は、舞台のそれそのもの。無数の糸で引っ張られるような引力で芝居に引き込まれていく……あー、お腹いっぱい!

妄想か、真実か。そもそも真実とは、疑念がつくり出す妄想にすぎないのか。ただひとつ確かなことは、疑念は返り血を伴い、自らをも罪の色に染めていくということ。

エンドロールで流れる荘厳な歌声を聴きながら、人であることがちょっと辛くなった映画でもありました。
アーメン。

ラストキング・オブ・スコットランド

2009-03-16 17:50:14 | 映画(DVD)

好奇心は猫をも殺す。

もちろんですとも! ジェームズ・マカヴォイ祭り第三弾。

悪名高きウガンダ元大統領イディ・アミンを、新米スコットランド人医師 (架空の人物)の視点から描いた小説がベースのフィクション。

なんて聞くと、アミン大統領が狂気に落ちていく様を丹念に描いた映画かと思うわけですが、どちらかというと主人公は医師のニコラス・ギャリガン。ニコラスとアミンという、どこか似た要素のある2人の人間を通して、人が己のエゴのためにどこまで愚かになれるのか、怖ろしくなれるのかを描いた、シェークスピア劇みたいなお話でした。

「自分は誰よりも偉大で、息子は自分を越えることはできない」と思っていそうな高慢な父親の元で育った青年が医大卒業を機にウガンダの無医村へ渡り、アミン大統領に気に入られてホームドクターに迎え入れられ、さんざんおだてられ、厚遇され、すっかりいい気になっているうちに決して逃げ出せない地獄の一丁目に追い込まれ、絶望から自暴自棄になりさらに深みにはまってしまうという……はてさて、ニコラスはウガンダから生きて脱出することができるのか、というのが大筋。

ドキュメンタリー出身の監督さんがアミン大統領を撮るってことでグロいシーンを警戒していましたが、クライマックスに2シーンくらいあるだけ。それも残虐さを見せつけるというよりは主要人物のリアクションを引き出すために挿入された必要悪ならぬ必要グロ。むしろ、あえて見せないことで怖がらせるのがうまいなーと思いました。で、クライマックスからラストにかけてのシークエンスはものすごい緊張感! ハラハラドキドキ、手に汗握るサスペンスに仕上がっておりますよ。

タイトルの『ラストキング・オブ・スコットランド』は、アミン大統領がメディアに対して語った「我こそはスコットランド最後の王である」からきています。イギリスから独立したウガンダと未だ独立できないスコットランド。アミンとニコラスはアンチ・イングランドという同じ立場にあり、これが二人を引き寄せる。ニコラスにとっては、イングランドは父親の象徴でもあったんやろな。このあたりの設定がしっかりしてるもんだから、ニコラスがアミンに惹かれてしまうのも、何かと助言してくれる腹黒そうなイングリッシュに噛みついてしまうのも、納得してしまう。

このウガンダ&スコットランドVSイングランド&父親に始まり、トップシーンのニコラスとラストシーンのニコラス、ニコラスと同僚の医師、ニコラスを巡り真逆の選択をする無医村の先住医師の妻サラ(なーんかズルい、この人)とアミン大統領第三夫人のケイなど、いちいち対比の利いた脚本が巧いです。

ニコラスという若者は愚か者だけど、まだ二十歳半ばの小僧だと思えばめっちゃノーマル。マカヴォイ君、その辺りをよく理解して冴えた演技を見せていますよ。調子のいい前半はほんとイヤな顔してますし、後半の怯えキャラはこの人の真骨頂じゃあないでしょうか。振れば音がしそうなくらい軽かったニコラスの中に何か重たいものが溜まっていく、心の重力が増していくのが伝わってきました。改めて力のある役者さんやー。よかった、観といて。

ほとんど出ずっぱりのニコラスに対して登場率8割くらいのアミン大統領ですが、フォレスト・ウィティカー、オスカー文句なしの演技です。登場時の背中のアップからして、ものすごいカリスマ・オーラを放ってて圧倒された。アミンさんってさ、サイコ野郎なのかと思っていたら、愛情と憎悪、寛大と尊大、豪胆と臆病などなど、表裏一体の感情が剥き出しで、それをうまくハンドリングできない人だったのね。セリフにもでてくるけど、ひと言で言っちゃうと子供っていうか。そんな人間アミンを、フォレストは、彼から放たれる空気まで見事に演じてはりました。
黙ってるときとか、ほんま怖いで~。

しかし、権力を手にした途端、猜疑心の塊になって誰彼疑い殺していくなんて……孤独すぎる。こういう感情を抱くということは、やっぱりこれはアミン大統領の物語なのかな?
いずれにせよ、主演二人の演技は必見モノです。

ところでさ。見たこともないパスポートに自分の写真が貼ってあるのも怖いけど、自業自得とはいえ世間知らずの若者がえらい事態に陥っているのに、スパッと見捨てる大人ってのも怖いよね。

いろんな人物のいろんな選択・行動に、人間の怖さを見たのでありました。