好奇心は猫をも殺す。
もちろんですとも! ジェームズ・マカヴォイ祭り第三弾。
悪名高きウガンダ元大統領イディ・アミンを、新米スコットランド人医師 (架空の人物)の視点から描いた小説がベースのフィクション。
なんて聞くと、アミン大統領が狂気に落ちていく様を丹念に描いた映画かと思うわけですが、どちらかというと主人公は医師のニコラス・ギャリガン。ニコラスとアミンという、どこか似た要素のある2人の人間を通して、人が己のエゴのためにどこまで愚かになれるのか、怖ろしくなれるのかを描いた、シェークスピア劇みたいなお話でした。
「自分は誰よりも偉大で、息子は自分を越えることはできない」と思っていそうな高慢な父親の元で育った青年が医大卒業を機にウガンダの無医村へ渡り、アミン大統領に気に入られてホームドクターに迎え入れられ、さんざんおだてられ、厚遇され、すっかりいい気になっているうちに決して逃げ出せない地獄の一丁目に追い込まれ、絶望から自暴自棄になりさらに深みにはまってしまうという……はてさて、ニコラスはウガンダから生きて脱出することができるのか、というのが大筋。
ドキュメンタリー出身の監督さんがアミン大統領を撮るってことでグロいシーンを警戒していましたが、クライマックスに2シーンくらいあるだけ。それも残虐さを見せつけるというよりは主要人物のリアクションを引き出すために挿入された必要悪ならぬ必要グロ。むしろ、あえて見せないことで怖がらせるのがうまいなーと思いました。で、クライマックスからラストにかけてのシークエンスはものすごい緊張感! ハラハラドキドキ、手に汗握るサスペンスに仕上がっておりますよ。
タイトルの『ラストキング・オブ・スコットランド』は、アミン大統領がメディアに対して語った「我こそはスコットランド最後の王である」からきています。イギリスから独立したウガンダと未だ独立できないスコットランド。アミンとニコラスはアンチ・イングランドという同じ立場にあり、これが二人を引き寄せる。ニコラスにとっては、イングランドは父親の象徴でもあったんやろな。このあたりの設定がしっかりしてるもんだから、ニコラスがアミンに惹かれてしまうのも、何かと助言してくれる腹黒そうなイングリッシュに噛みついてしまうのも、納得してしまう。
このウガンダ&スコットランドVSイングランド&父親に始まり、トップシーンのニコラスとラストシーンのニコラス、ニコラスと同僚の医師、ニコラスを巡り真逆の選択をする無医村の先住医師の妻サラ(なーんかズルい、この人)とアミン大統領第三夫人のケイなど、いちいち対比の利いた脚本が巧いです。
ニコラスという若者は愚か者だけど、まだ二十歳半ばの小僧だと思えばめっちゃノーマル。マカヴォイ君、その辺りをよく理解して冴えた演技を見せていますよ。調子のいい前半はほんとイヤな顔してますし、後半の怯えキャラはこの人の真骨頂じゃあないでしょうか。振れば音がしそうなくらい軽かったニコラスの中に何か重たいものが溜まっていく、心の重力が増していくのが伝わってきました。改めて力のある役者さんやー。よかった、観といて。
ほとんど出ずっぱりのニコラスに対して登場率8割くらいのアミン大統領ですが、フォレスト・ウィティカー、オスカー文句なしの演技です。登場時の背中のアップからして、ものすごいカリスマ・オーラを放ってて圧倒された。アミンさんってさ、サイコ野郎なのかと思っていたら、愛情と憎悪、寛大と尊大、豪胆と臆病などなど、表裏一体の感情が剥き出しで、それをうまくハンドリングできない人だったのね。セリフにもでてくるけど、ひと言で言っちゃうと子供っていうか。そんな人間アミンを、フォレストは、彼から放たれる空気まで見事に演じてはりました。
黙ってるときとか、ほんま怖いで~。
しかし、権力を手にした途端、猜疑心の塊になって誰彼疑い殺していくなんて……孤独すぎる。こういう感情を抱くということは、やっぱりこれはアミン大統領の物語なのかな?
いずれにせよ、主演二人の演技は必見モノです。
ところでさ。見たこともないパスポートに自分の写真が貼ってあるのも怖いけど、自業自得とはいえ世間知らずの若者がえらい事態に陥っているのに、スパッと見捨てる大人ってのも怖いよね。
いろんな人物のいろんな選択・行動に、人間の怖さを見たのでありました。