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絵唐津茶碗 桃山時代

2015年04月23日 | 茶道具
絵唐津茶碗 桃山時代






九州古陶磁の代表的陶器 「古唐津」

唐津焼とは肥前国唐津藩を中心とした肥前地方で焼成された陶器です。
名称は唐津港から積み出しされた事に由来しています。
「一楽、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野においても高い評価を受けています。
この地は嘗て松浦党領袖であった波多三河守親の支配下にありましたが、
文禄の役における失態を理由として、
1593(文禄2)年に豊臣秀吉から波多氏が改易されると、
尾張国出身の寺沢志摩守広高の領地となって肥前国唐津藩が成立しました。
唐津古窯跡の中でも最も早い創業とされるのが岸岳山麓に点在する諸窯で、
これは朝鮮から移住してきた渡来陶工達によって焼成されたと考えられています。
岸岳は海抜約320mの山麓で波多氏が山城を築いて居城した地でありましたが、
波多氏改易に伴って岸岳陶工達は肥前各地に離散しました(岸岳崩れ)。
波多氏の改易と岸岳諸窯の廃業は、
1593(文禄2)年以前から古唐津が焼成されていた根拠の一つとされています。
唐津焼の創始については発掘調査や研究から天正年間(1573~92)頃と考えられています。
創生期は天正年間頃だとしても唐津焼は文禄・慶長の役に始まったといっても過言でなく、
桃山~江戸初期にかけて優れた作品を多く焼成した隆盛期を迎える事になります。
この桃山~江戸初期までの作品は「古唐津」と呼ばれています。
唐津焼はその殆どが一般庶民の日用品として量産された物ですが、
点茶が流行した桃山~江戸初期頃には茶人間の目に留まって茶陶に見立てられました。
この雑器的な素朴さも唐津焼の大きな魅力の一つです。
中には茶人や茶道具商による注文品もあり、
全体的な総数からすると極めて少ない事から特に高い評価を受けています。
17世紀に入ると唐津焼にとって大きな事件が生じる事になります。
渡来陶工・李参平(和名:金ヶ江三兵衛)による泉山陶石の発見と磁器焼成の成功です。
伊万里焼の生産拡大は唐津焼衰退に大きな影響を与えました。
江戸前期には二彩唐津等に特色が見られるもの古唐津程の魅力は失われ、
以後は僅かに御用窯(御茶碗窯)が残るだけとなりました。

◎主な唐津古窯
1.岸岳系古唐津
飯洞甕上・下窯、帆柱窯、岸岳皿屋窯、小十官者窯、道納屋谷窯、平松窯、大谷窯、
山瀬下・上窯

2.松浦系古唐津
櫨の谷窯、大川原窯、椎の峰窯、田代窯、焼山上・下窯、甕屋の谷窯、市若屋敷窯、善徳窯、
道園窯、阿房谷上・中・下窯、藤の川内窯、勝久窯、中野原窯、岳野窯、金石原広谷窯、
金石原窯、牟田原窯、狼ヶ鞍窯、寺の谷鞍壷窯、寺の谷後家田窯、市ノ瀬高麗神窯、
権現谷窯、牧の欅谷窯、平山上窯、坊主町窯、唐人町窯、泣早山(長葉山)窯、猪ノ古場窯、
本部小川内窯

3.多久系古唐津
高麗谷窯

4.武雄系古唐津
<北武雄系古唐津>
小峠前窯、小峠奥窯、一位ノ樹山窯、葦の谷窯、古屋敷窯、金山谷窯、内田大谷窯、
古那甲ノ辻窯、川古窯の谷下窯、川古窯の谷新窯、山崎御立目窯、黒牟田高麗窯、
黒牟田山(物原)窯、宇土の谷窯、安田原窯、錆谷窯、祥古谷窯、李祥古場窯、見上尾窯、焼峰窯
<南武雄系古唐津>
内田皿屋(小山路)窯、弓野山窯、庭木山窯、小田志山窯、大草野窯、百間窯

5.平戸系古唐津
平戸御茶碗窯、原明窯、南川良原天目窯、清六の辻一・二窯、小森谷窯、小溝山上窯、
山辺田一窯、木原地蔵平窯、木原山窯、葭の元窯、柳の元窯、土師の尾窯、
村木不動佐上窯、永尾山高麗窯、永尾山窯、中尾山窯、牛石窯、江永窯



小十官者窯絵唐津

肥前唐津焼の古窯。
佐賀県唐津市梨川内字小十官者にあります。
神功皇后が三韓征伐の際、高麗の王子を人質に伴って凱陣され、この地に住まわせて名を高麗小次郎冠者と命じました。
小十官者の地名はこれに因んでいます。
小次郎冠者はここに陶窯を開いて製したものを皇后に献納しました。
すなわちこれが唐津焼の起原であると伝えられています。
現在この地の丘上の竹林中に古窯址がありますが、陶器の破片と窯道具とて鍬も用いにくい程であります。
その品種・釉薬・陶技・窯器は岸嶽飯洞甕窯と同様でありますが、著しく焼き締まり古唐津中最も堅い陶器であるようで、灰白色釉の焼成品は一見半磁器の感があります。
皿は多く三、四個の小さな目のある重ね焼で絵唐津もごくれずかに焼かれました。
従来唐津地方においてはこの窯の器物を小次郎焼と呼び、神功皇后時代の製であるかのようにいいますが、その当時のやきものとはまったく趣を異にしており、すべての条件は岸嶽窯と同一であります。
おそらくこの窯は約四百五十年以前の創業によるもので、慶長(1596-1615)初年廃窯したものであるでしょう。