創立は明治6年、和平観音堂を仮校舎に当て開校。現校舎は大正14年竣工の平屋建て、寄棟造り、赤色トタン葺、外壁は下見板張りである。愛川町半原地区は、絹織物と宮大工の里として有名である。特に宮大工の功績は大きく、あの江戸城の城門を造ったことで一気に名を馳せたという。この木造校舎も半原の宮大工たちが建設したものである。
その後半原の歴史を伝える郷土資料館として移築保存され、町民に愛され続けてきたが、数年前、愛川町教育委員会から新しい資料館建設の話を聞いた。反対住民と今後慎重に検討していくとのことだったが、今どうなっているのか気になるところである。
所在地 神奈川県愛甲郡愛川町大字半原2201
撮影年月日 平成15年2月22日(土)
できれば、旧半原校舎でやれれば、ちょ~盛り上がったと思います。
・・・
あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
集まった人たちの多くは、「半原大工」を熱心に調査している地元の方だったのだ。
そのおっちゃんたち、横浜国大の教授、郷土館の学芸員さん、
それぞれいろんな意見ばぁ持ってる人たちで、閉校した(含む現役)校舎を徘徊する
自分らにとっては、むんずかしい話だったのだ。
・・・でもまぁ役には立ったのだつるみん