大きな津波被害のあった石巻市の渡波地区の一角に、地元の非営利団体「チームわたほい」の活動拠点となるコンテナハウスが建っています。
ここは震災前まで、代表遠藤の自宅兼「木遊木」の事務所があった場所で、2012年の7月に、そこを更地にし、彦根市の支援団体「UNITE TOGETHRE」の協力を得て、コンテナハウスを設置(写真左)、お祭りやコンサート、交流会や追悼式等のイベントをさせて頂くようになった次第です。運営にも上記団体はじめ、多くの団体や個人の方の支援を受けて、活用しています。
今回3回目の3.11を迎えるにあたり、「UNTE~」より、イベント時だけでなく普段から人の立ち寄れる場所にしてはという提案があり、工事費のご寄付を頂戴して、2月の終わりに木製モニュメントの施工を始めました。まだ雪の残る厳寒の中、まず基礎工事がおこなわれました。
檜の柱が立ちだすと、通りかかった人からは「何を作っているのか」「家を建てるのか」といった質問があり、「楽しみにしているからね」「またここで子どもの遊ぶ姿を見たいね」という声も聞かれました。やがて、晩秋に植えた水仙の球根が蕾を付け、最初の花を咲かせました。石巻にも春の兆しが見え始めました。
目標としていた3月11には、悪天候等の影響で完成させられず、追悼の集まりでは、いらした方たちにお披露目をすることができませんでした。それでも、テレビや新聞で取材して頂いたものを11日以降に見たという人々から励ましの言葉をもらったり、実際に足を運んで見に来てくださった方もいて、忙しくもあり、張合いのある現場仕事となりました。
3月中旬には他の仕事があり、しばらく工期を空けてしまいましたが、3月末に再開、31日に無事完成させることができました。
日差しは春めいてきたものの、当日は嵐のような強風が吹き荒れ、最大で30メートル近い風速の中、懸命に仕上げました。車に乗った方が窓を開け、「もうすぐ完成だね。お互い、がんばろうね。」と嬉しそうに声をかけてくれました。
震災後の混乱で、今どこにいるのかもわからないご近所さんがあるような地区で、地元の人同士が束の間ことばを交わすことも、大事なコミュニケーションであるような気がします。
最終日に完成した階段をお地蔵さん側から上がり、踊り場からさらに上ると、ちょっとした高さです。空き地ばかりが広がるので、視界はひらけます。
海の方に曲がり、「虹の架け橋」の太鼓橋を渡ります。
そこからの景色は、実際に見て頂きたいので、今日はアップしません。
突端まで行ったら、引き返すような向きで、スロープを下ります。
道路側には3本の矢をイメージした木が取り付けられ、天を仰いでいます。
以前、すぐ近所に3つの幼稚園と保育所があり、子どもの声が聞こえた町も、今はしんと静まり返っています。悩んだ末、元あった場所に家やお店を再建した方も、ここに来るのはまだつらいという人々もいます。
それでも今回、この仕事をしたことで、何か少し前に進めたように感じています。このモニュメントが、地域の人と集う際に、大人も子どもも笑って上を見上げられる場所になっていくことを想像しています。
応援してくださった大勢の方たちに、心より感謝いたします。
ありがとうございました。
(住所:宮城県石巻市長浜町1番10号)
こちらも最近賑やかになってきました。
まだまだ仕組みのわからないことも多いのですが、上手に発信していけたら、と思っています。
「チームわたほい」の Facebookページ:
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「チームわたほい」の Twitter:
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「天まで届くおやつ海苔ファンクラブ」 Facebookページ(事務局長 相澤):
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「木遊木(もくゆうぼく)」 Facebookページ(代表 遠藤):
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2013年11月25日、ケネディー大使が東北の被災地訪問の中、石巻市立万石浦小学校を訪れました。本国アメリカで、大使とテイラー先生のご両親が面会したことがきっかけで実現したそうです。ここは、震災から半年後に、テイラー文庫初の寄贈がおこなわれた学校です。
それから少し後の12月5日、彼女が教えていた7つの学校・幼稚園で最後の石巻市の稲井幼稚園で、テイラー文庫の贈呈式を開催して頂きました。
ちょうど震災から1000日の日にあたり、テイラー先生のご両親も来日、最初の万石浦小と同じように同席することができました。
園児も、園長先生、お父さんのアンディーさんの話にじっと耳を傾けます。
通訳の寺田さんが、子どもにも解りやすく訳して伝えます。
遠藤も、この本棚に対する気持ちを語りました。
お礼にと、園児たちの元気な言葉と、歌のプレゼント。
一生懸命練習したのでしょう、英語で「キラキラ星」を大きな声で歌ってくれました。
ご両親のアンディーさんとジーンさんからは「Omiyage」が配られました。テイラー先生が大好きだったきれいな千代紙で手作りした日本人形に、皆「Thanku You!」と受け取ります。
横で見守るのは、「一般社団法人 プロジェクト 結」の中川さん。彼女が学校や教育委員会への仲介役を当初から引き受けて下さったおかげで、円滑に交渉や打ち合わせができたのです。
本棚にさわったり、本を見てもいいですよ、と言われ、興味津々で眺める幼児と、それを嬉しそうに眺める父親たちの眼差しは、アメリカと日本という距離を感じさせぬ、同一のものでした。
「テイラー基金」を立ち上げ、様々な事業をおこなってきたご両親は、さらなる活動のヒントを得るためにも来日して、関係者と話し合いを重ねてきました。
思わぬ形で繋がって、もう一度立ち上がる機会をくださったテイラー先生のご家族には、そこから生まれていき、広がったたくさんの支援の輪を思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
夕方から石巻市門脇町でおこなわれた東日本大震災1000日追悼の灯りにも、アンディーさんたちと参加し、石巻で犠牲になった方々と同じ数の灯りを一緒に眺めました。1000日というのが長かったのか、短かったのか、私たちにはわかりません。ただ、その節目の日に、こういったイベントに参加できたことを光栄に思います。 ありがとうございました。
平成23年3月11日の東日本大震災で、石巻市門脇町5丁目にあった黒澤さんの住居兼店舗は流失・全壊しました。その跡地に津波には負けたくない、そして、元気を出せないでいる地域の皆さんを励ましたいという思いから、彼らが「がんばろう!石巻」の看板を敷地に建てたのは、震災からちょうど一ヶ月のことでした。
今では国内外から訪れる人が絶えない場となり、皆に元気を与え続けてきた大きな看板は、石巻の復興と追悼のシンボルです。
木遊木は、以前から黒澤さんの配管会社にお世話になっており、ショールームにも作品を展示させて頂いたりしていました。被災後すぐ、ご夫婦それぞれに九死に一生を得たにもかかわらず、我々のいる避難所に励ましに来てくださいました。
「頑張ろう!石巻」の周りに、燈火の台や、プレート、小さな椅子等を作ってくれないかと次々と仕事を頼んでくれたのも黒澤さんで、私たちは、復興にたずさわるものを作ることで、前進できたのだと信じています。
先日、ドキュメンタリー映画の上映会場に2階の『K‐BOX』を提供して頂いた南中里の『水まわりのKUROKEN』は、昨年黒澤さんがオープンした新店舗です。エントランスの階段も作らせていただきました。
「頑張ろう石巻の会」 http://gannbarouishinomaki.jimdo.com/
ALT(外国語指導助手)として石巻市内7つの小中学校で英語を教えていた米国出身のテイラー・アンダーソンさん(当時24歳)。2011年3月11日、万石浦小学校で指導していた彼女は、校庭に避難した子どもたちを保護者に引き渡した後、津波に巻き込まれて亡くなりました。
テイラーさんのご家族は、「テーラー・アンダーソンメモリアル基金」を立ち上げ、日本を愛した彼女の遺志を継ぎ、石巻市の学校のために活動されています。そのひとつである『テイラー文庫』は、テイラーさんが愛読していた本を、本棚と一緒に 彼女が授業を受け持っていた7校すべてに寄贈するというものです。
本棚の制作にあたり、テイラーさんの父親のアンディー・アンダーソンさんの代理人となった一般社団法人「プロジェクト結」と、賛同者の高成田 亨さんとの連携で、木遊木に依頼を頂いたのが2011年の6月末のことでした。朝日新聞社で、アメリカ・ワシントン総局長、論説委員等を担当し、「ニュースステーション」キャスターも兼ねた高成田さんは、2008年から震災直前の2月まで石巻支局長に就任しており、木遊木の展覧会にも足を運んでくださっていました。そうしたご縁で、アンディーさんと同じように家族を亡くした我々に、テイラー文庫の本棚を制作してみないかと提案を頂いたのでした。
2011年9月には、万石浦小学校で贈呈式がおこなわれ、アンディーさんとご家族との交流も叶いました。以後、他の仕事と並行して制作した本棚を、ようやく6つの小中学校に寄贈することができました。
万石浦小学校 ↑
渡波小学校 ↑
渡波中学校 ↑
万石浦中学校 ↑
鹿妻小学校 ↑
稲井中学校 ↑ (写真の多くは 高成田さんに続き 震災後の石巻支局長として奮闘された川端さんの撮影です。ありがとうございました。)
テイラー先生を愛した子どもたちのために、と このような仕事を得たことは、ものづくりを再開する大きな力となりました。また、支えてくださったたくさんの方々に感謝しながら、これからも歩いていこうと思います。