気まぐれ徒然なるままに

気まぐれ創作ストーリー、日記、イラスト

たしかなこと 2 (19) 最終話

2020-10-08 00:23:00 | ストーリー
たしかなこと 2 (19) 最終話






目が醒めてから2ヶ月

今日まで笹山君は献身的に毎日見舞いに訪れた
日々この人は僕の妻なんだと実感する





何故 僕は再婚を決めたのだろう

今まで僕は人間関係は一定距離を取ってきた

それでも人恋しいと思うこともなくそれなりに充実していた



晴れた日は釣りに出掛け

雨の日は雨音を聴きながら文学小説の世界に浸る

たまに行きつけのメンズ服のセレクトショップへ出向き、30代後半の男性オーナーと服の話や映画の話をし

お気に入りの飲み屋で旨いつまみとビールで一日の疲れを癒す


恋や愛は本の中の世界だけで十分で
僕自身の人生にはもう無縁のものだ

誰かを愛するなんてもうないと思っていた



それが孤独とすら感じなくなっていた僕はそれだけ独りの時間が長過ぎたのだろう

こんな僕が再婚をしたということがわからない…

笹山君だから だろうか…



今日はずっと雨
遠雷の音が微かに聞こえる


笹山君は窓の外に視線を移した

「そういえば君は雷が苦手でしたね。」

知らないはずのことが咄嗟に口から出てきた



「宣隆さんは雷平気ですよね(苦笑) あっ、ごめんなさい、“部長” でした(苦笑)」

笹山君 は時々僕のことを“宣隆さん” と口走る
そしてすぐに “部長” と言い直す

別に宣隆でいいよと言うと微笑んだ






そして笹山君も“夫婦なんだから笹山じゃなく “香” と呼んで欲しい”と言い出した

女性の名で呼ぶのは慣れない…



「か… 香さん… 」


「名前で呼んでくれるの久しぶりで照れますね… エヘヘ(笑)」

彼女は照れくさそうにはにかんで
僕はフッと心が温かくなった


会社で見てきた笹山君とは明らかに違う

僕を想う笹山君の瞳はいつもキラキラと輝いていて

彼女が照れると僕も照れくさくなったり
彼女が楽しそうに笑うとつられて笑った

自然と親近感が湧いてくるのを感じる



「か、香さん… あの」

「ふふっ(笑)早く言い慣れてくださいね?」


まぁ、うん、、
それはどうしても照れくさいんですよ 、、



「何故、半年なのでしょうか。それまでに思い出せる気がしません。」


彼女は困った表情で微笑んだ

「半年という理由は秘密です(笑) もし思い出せないとしてもまた前みたいな仲になれれば一緒に生きられるんですけどね(苦笑)」


また前みたいな仲… か


人を愛することは決意して想えることじゃないし、離婚も簡単に決められることじゃない

僕は離婚経験があるから知っている



「前みたいに想えなくても離婚はしたくないと拒否したら?」

「愛してもいないのにどうして拒否するんですか?」


“愛してもいないのに” …

その言葉が僕の胸を突いた


窓の外は雨が強くなっていった


「君はどうしてそんな簡単に割りきれるのですか?それに、」

「簡単に決めた事じゃないですよ?」
彼女は静かに微笑んで窓の外に視線を移した

半年間なんて時間はあっという間に過ぎ去ってしまう

失った記憶は未だひと欠片すら取り戻せていない


この人と別れたくないという想いだけははっきりしている

その気持ちが僕を焦らせていた ーー




ーーー



「あ、宣隆さん、写真見ます?(笑)」
彼女が僕にスマホを差し出した



僕がキッチンで料理をしている横顔
僕が寝ている顔
僕が草木に水やりをしている後ろ姿


「これ、僕ばかりですけど、君が写ったものは無いのですか?」

「それは宣隆さんのスマホには沢山ありましたけど、そのスマホは事故で壊れちゃったので(笑)」

そう言いながら自分のスマホのアルバムをまた僕に見せてくれた


「じゃ~これとか、」

見せてくれたのは見知らぬ家の前で撮った笑顔の二人の画像だった

「これは二人でこの家に引っ越した日の記念写真なんですよ(笑)」

引っ越し業者のスタッフさんに撮ってもらったと嬉しそうに話してくれた

そこに写っている僕は幸せいっぱいの笑みで彼女の肩を抱き寄せ彼女も幸せそうに笑っていた


あぁ…
僕は本当にこの人を愛していたんだな

独りで生きてきた時は こんな風に笑うことはなかったよ


「幸せそうだ(笑)」

「夢みたいに幸せな時間でしたよ(笑)」


彼女のその過去形の言葉に
何故だか胸がギュッと締め付けられた


僕の中にいる“過去の僕”はまだ君を愛しているのだろう



水面に太陽の光があたり 宝石のようにキラキラと耀き眩しく感じる

彼女はそんな優しいのに強く光る煌めきのようで
僕の目にはとても眩しく映っている


そんな女性が 何故僕みたいな男を…



「君は僕みたいな男の何処が良いんですか?僕はもう初老の域に入った男ですよ。それに知っての通り愛想も良くはない。一緒に働いていたからよく知っているでしょう。」

「本当は私にはこんな風にとてもよく笑って、とても優しい人だってこと、知ってますから(笑)」


優しい… 僕が?



そうか…

「… フッ (笑)」

それは君が僕をそういう男に変えたんだろうな…



「なんです??(笑)」

「いえ… 君といる時の僕はそういう男なんですね(笑)」

「そうです♪優し過ぎて、尽くしてくれて、困っちゃうくらいでした(笑) 私は何をあなたに返せばいいのかわからなくて(笑)」

君になら何でもしてあげたくなるその気持ちは今ならわかる

「好きでやっていたんだろうから君が気にすることはないだろう?(笑)」


少し笑顔に陰りが見えた

「だから今はお世話させてもらって嬉しいんですよ(笑)」

「なら、もうひとつ頼みがあるんですが。」




僕は壊れてしまったスマホの代わりに新しいスマホを用意して欲しいと頼んだ


「電話番号やメールアドレスも新しいスマホに引き継ぎができるだろうから。仕事のこともどうなっているか同僚に聞いてみたいし、君に用事を頼みたい時にも連絡が取れると助かります。」


それと…

君の画像や思い出すきっかけになるものがクラウドに保存しているかもしれない


彼女に対して恋とか愛とかそういう特別な感情を感じているという訳でもないのに

離婚なんて絶対に駄目だ、したくないと強く思っている




あの写真のように

心から幸せそうに笑って 彼女を愛したい…

愛していた時の気持ちになってみたい…


僕の中で 幸せになりたいという願望が生まれた





ーーー



そして3日後には彼女が新しいスマホを用意してくれた

保存されていた画像データの復元を確認した



画像ファイルを開いた時 思わず声が出た

「なっ、、なんだ!?」


数十枚はあるかもと予想はしていたが
およそ500枚もの彼女の画像があった

これじゃ まるで芸能人の熱狂的なファンのようだ



「ふふふっ、 あははっ!(笑) 」


僕は恋に落ちるとこんな可愛い男になるのか

自分が本当に幸せだったのがよく理解できる




ーーー






事故から4ヶ月経った頃

少しずつ歩けるように回復してきた僕はようやく自宅療養の許可が降りて退院することとなった

まだ完治した訳ではないので毎日リハビリには通うことにはなるが社会復帰の目処もたってきた


ーー そして退院の日の朝


タクシーは自宅の前に着いた

正確には以前から住んでいる自宅ではあるが初めて目にする我が家

以前香さんが見せてくれた引っ越した日の写真を思い出した


内心 少し緊張気味の僕と嬉しそうな彼女
彼女の家に招かれたようで胸が少し高鳴っている

彼女が玄関のドアを開け
支えてもらいながら車から降りて玄関に入った


家にはその家独特の匂いがあるが
ここはどこか懐かしい匂いがする…


「おかえりなさいっ(笑)」

「た、ただいま… (笑)」


長年の独りで暮らしてきた僕には その“おかえりなさい”という温かい言葉が胸を熱くした


ダイニングテーブルの椅子に腰掛けると

彼女は荷物を置いて窓を開け
慣れたようにキッチンに立った


「何か飲みます?お茶?コーヒー?」

「では、久しぶりにコーヒーを…」


見慣れない部屋に僕が長年使っていたソファが置いてあった

やっぱり僕の家なんだ…



珈琲の良い香りが部屋中に立ち込めてきた



「どうです?何か思い出せそうですか?」

「今の所はまだ… ただ、懐かしい気はします。」

「そうですか(笑)」

コーヒーを淹れたカップを僕の前に置いた



「このカップは… 」
二人で食器やこのコーヒーカップを選んだ場面を思い出した


「このカップを買った時のことを思い出しました。」

「えっ!? 本当に!?」

「確かもうひとつ良いのがあって悩んだような… 」

「そう!そうなんです!(笑) 思い出してくれて嬉しい!」


そんな些細なことでも思い出したというだけでこんなにも喜んでくれる彼女から僕への想いを感じる


「そのくらいしか… 本当に申し訳ない。」

「え?」


僕が事故なんかしなければ苦労も心配もかけずに済んだ

そして離婚なんて言葉を言わせずに済んだかもしれない

そう言うと…


「宣隆さん!私のお願い、聞いてくれます?(笑)」

「僕にできることなら、、」

「一緒に写真、撮ってもいいですか?(笑)」



スマホをセルフタイマーにして僕の後ろに立った

記憶を失くしてから初めて二人で撮った写真


一緒に画面を覗いた
「宣隆さんの顔、硬いですよっ(笑)」


香さんと写真を撮るなんてやっぱり緊張します…


「もうひとつ、良いですか?(笑)」

「なんですか?」

「私… 」

両手をモジモジさせた



「なんでしょう?」

「ハグがしたい… です、、良いです…か?」

えっ…

「ええ… (笑)」

夫婦ですしね、、と頭では思いつつ
心臓の鼓動が早くなっているのがわかる…

座っている僕の首に照れくさそうに腕を回して優しくハグをした


香さんの髪が頬に触れ 女性らしい香りが僕の心臓の鼓動を早くした

背中に手を回そうか躊躇している内に彼女はそっと僕から離れてしまった


見上げればその笑顔は今にも泣きだしそうだった


「ここに座る宣隆さんがまた見られる日が来るなんて本当に嬉しい(笑) もしかしたらもうここには戻って来ないんじゃないかって思ったこともあったから(笑)」


ーー いじらしい彼女を愛おしく思えた



君が笑うと一緒に笑ってしまうし

君がこんな風に涙を溢しそうになると僕も自然に目頭が熱くなる

いい歳のオヤジなのに年甲斐もなく偶然君に少し触れただけで胸の鼓動を早くしてしまう

そしてもっと触れあいたいと思う


爽やかな青空の日も
静かな雨の日も

君に会えない日は今頃どうしているだろうと自然と考えている




もう認めるしかない…



これは恋だと

いつ 伝えよう…





ーーー





嬉しいような困ったような…

お風呂の介助をします!という彼女


「じゃ、じゃあ、お願いします… 」


なんとも…
照れくさい


夫婦なんだ
当然お互いの全てを見てきたはずだ


だがそれは今は形だけの夫婦であって
この気持ちを伝えていない僕は香さんの恋人でもない

こんなタイミングで告白なんてしたくはない


風呂に入って身体を洗っているとドアの外から開けますねと声をかけてきた

「お、お願い、します…」

少し後ろを振り向くと香さんは服を着たままだった

もしかしたら、なんて下心を持っていた自分が恥ずかしい…


優しく背中を撫でるように擦り始めた



それが優し過ぎてくすぐったい

「クククククッ(笑) くすぐったいのでもっと強くお願いできませんか(笑)」

「あ、ごめんなさい!(笑) このくらい??」

「ん、それくらい(笑)」


なんだか 新婚のようだ(笑)


「強すぎません?本当はナイロンタオルじゃなくて手だけで洗うといいんですよ?」

「手だけ?それじゃ洗った気になりませんよ(笑)」

「そうですかぁ?こんな風にするんですよ?これで大丈夫なんです(笑)」

香さんの手が肩や背中を撫でていく



うっ、、これは、、

ボディソープで香さんの手が僕の身体を滑っていくその感触がゾクゾクしてきて

勝手に下半身が反応してき、た、、

マズイ、、


「もっ、もう良いですっ、、後は自分でできます!ありがとう、、」

気付かれぬよう振り向かずナイロンタオルを受け取り膝に掛けて隠した


「流しましょうか?」

「だっ、大丈夫ですから、本当に大丈夫ですからっ、、」

「わかりました(笑) じゃあ出る時に声かけれくれれば支えますから(笑)」

「大丈夫です、ほんと、ほんとに、大丈夫、ありがとう、、」


彼女が浴室から出て行って気付かれなかったことにホッとした


本当に焦った…

「ふぅ~っ… 」


あの程度のことでどうしてこうなるんだ?
そんなに欲求不満だったか?

僕だって触れたくなるじゃないか…

明日からは介助を断ろう…




… 抜いておくか


シャワーのノブを回した





ーーー




香さんは僕の身体を気遣って同じ布団では寝られないと言ったけれど 流石に床で寝かせるにはそれは申し訳ない

「ダブルベッドだから大丈夫ですよ、一緒に寝ましょう。」


気を遣い僕の身体に触れないようベッドの端に横たわった

「幾らなんでもそんなに端っこじゃ落ちてしまいますからもっとこっちに寄ってきてください。」

「まだ脚もあばらも痛いでしょ?寝てる間に当たったらいけないから(笑)」


「大丈夫ですから(笑)」

香さんの身体に触れて引き寄せた


んっ?

一瞬手が胸の膨らみに触れてしまった

「あっ、すみません… 」

「いえ… 」


ちょっと胸に当たった程度のことなのにドギマギしてしまう


眼鏡も外しているから彼女の表情が見えない


「ふぅ… 」 どうも眠れない

「… 眠れませんか」と彼女が呟いた

「そうですね (笑)」

「ずっと一人病室で寝ていたのに慣れちゃったんでしょうか(笑) 」



そうじゃなくて

君が隣にいるから落ち着かないからなんですけどね…


でもそれを口にすると床に布団を敷いてしまいそうだから

「もう少しこっちに寄って来て欲しい。本当に落っこちそうで気になりますから。」


手を伸ばすとモソモソと僕の方に近寄ってきて僕の手を取り猫のように自分の頬にスリスリしてた

そんな彼女にグッときた


「この大きな手… やっぱり安心します…」


くぅっ、、可愛いじゃないか
さっき抜いてて良かったと心底思った

香さんは確かに会社でも明るい女性ではあったけれど

仕事から離れ一人の女性として接する香さんはとても献身的で思いやりと芯の強さを持った女性だと知った

そして素直でとても可愛い女性だということも


実年齢よりも随分若く感じる
大人の女の色気は感じないけれどね(笑)


でも一緒にいると温かい気持ちになれるし
ずっと一緒にいたいと思う


恋という感情を忘れた僕には
この感情の意味はまだ理解できないが

たしかなことは香さんと夫婦になれたことは僕にとって幸せなことということだ


香さんの寝息が聞こえてきた
君は寝られるんだな(笑)


「僕は本当に眠れそうにないよ… (笑)」





ーーー




彼女が出勤した後

車の運転ができそうだったので車でリハビリに向かった

日常生活で無茶をしない程度で意識的に動くようにするともっと回復も早くなるとアドバイスをもらって帰宅をした

ずっと気になっていた会社のことを聞きたくて同僚の部長、寺西に電話をしたことで自宅に訪ねてくることになった

寺西はプライベートでもたまに一緒に釣りに出掛けることもある近しい関係だ



「なに!?どこからの記憶が無いんだ。」


仕事復帰は大丈夫なのかと不安視した寺西は記憶に無いこれまでの動向をこと細かく説明してくれた


そして会社が大規模なリストラをおこなうために僕も人選に悩んだこと

今は概ね順調良く会社は回っているようだがやはり上層部の覇権争いは残っていること

そんな状況の会社がよく僕を解雇にせず休職扱いしてくれたもんだ


休職中の僕のポストに部長臨時代行として浜課長が選任されていた

何故 他の部署の浜が抜擢されたのか
しかもあの浜は問題のあるいわく付きの男…


寺西もそこを懸念していた

情報が外部に漏れたのは浜が極秘資料を社外に不正に持ち出したからではと疑惑が上がっていた

ほぼ黒だとされていた浜だったが何のおとがめもなく部長代行に任命されていることにも違和感を感じる

それに浜自身の人格も高慢な物言いで周囲からは煙たがられている


寺西は 『派閥だよ、派閥。』と疲れた声で眉間を寄せた

浜を選任した次長は自分の派閥から一人でも上のポストにつかせたいという考えなのだろう


僕はまた同じ部署、同じポストに戻れるのだろうかと不安になってきた


寺西は『浜の肩書きは今の所、“臨時”の部長代行となってる。臨時だから今の所は大丈夫だろうさ。ただ、白川がいない間をチャンスと見て白川よりも高い実績を上げてお前のポストを奪おうと狙ってるように見える 』と険しい表情をした


ただでさえ今の僕は以前と違って記憶が消えている

だから早く仕事復帰しないと、という焦りが沸々と湧いてきた





ーーー




事故からもう直ぐ半年
この家で香さんと暮らし始めて2ヶ月

僕の仕事復帰も5日後となった

リハビリももう通わなくてもよくなり
普通に日常生活をおくれるようになっている


そして…
約束の日まであと一週間と迫ってきた


明日は彼女の店は休業日

彼女と車で出掛けることにした


「宣隆さんと行きたい所があるんです(笑)」





彼女が僕を案内した場所は埠頭だった


昨夜まで強い風が吹いていたけれど
今日は穏やかな初秋の晴れ空が広がっていた

車から降りた彼女は久しぶりのデートだと嬉しそうだ


「実はね、ここは私達の記念の場所なんです!」

この場所で僕は香さんにプロポーズをしたと僕に教えてくれた

「返事は直ぐじゃなくてもいいから考えてくれないかって(笑) 私の答えは決まってたんですけどねぇ♪ふふっ(笑)」


ーーー 僕の心も もう決まっている


「香さん。もう直ぐ約束の日ですね。結婚を口にしたこの場所で… 」


サラサラと冷たい風が頬を撫でた

「君に返事をするという約束を果たそうと思います。」

それまで幸せそうに微笑んでいた香さんの表情が真剣な表情に変わった


「… わかりました。」

「その前に、君に感謝を… 」
僕は彼女に頭を下げた

身体がボロボロにり記憶まで失くしたこんな惨めな男をずっと献身的に笑顔で寄り添い支えてくれた君がいたから僕は心折れずに今日まで来られたと思っていること

本当に感謝しきれないことを伝えた



「そして僕の内側から君を求める想いが自然に湧いてくるんです。手放したくない、君の傍にいたいと。

やっぱり僕は香さんを愛しているようです(笑)」


僕の言葉を泣きそうな表情で黙って聞いている


「結局僕は何度記憶を失くしても君に惹かれてしまうんですね(笑)

香さん。これから今の僕ともう一度、恋愛から始めてもらえませんか?」


密かに購入していた新しい結婚指輪をジャケットのポケットから取り出しリングケースを開いた


「どうか、受け取って欲しい… 」


香さんは嬉しそうな表情で大粒の涙をポロポロと溢しながら

「もちろんです!(笑)」と涙を拭って受け取ってくれた


指輪を左手の薬指にはめると
少しぽっちゃりしてきた香さんの指には少々窮屈そうに見え、彼女は笑った


僕の指にも新しい指輪をはめてもらった

僕の前の結婚指輪は家の引き出しに大事にしまってあり、事故の日から一度も指にはめてはいない

記憶が戻ったらもう一度はめるつもりだったからだ



「キス… しても構いませんか、、」


正式に返事をする日まではと
僕からは彼女に手さえ触れずに今日この日まできた

それだけ僕にとって香さんは大切な存在になっていたからだ


「そんな風に律儀に聞いてくれる所があなたらしい(笑) もう聞かなくてもいいんですよ… 」


彼女の方からキスをしてきて
僕はドキドキしながらも唇に想いを込めた





ーーー





それから2年の月日が流れ ーー



「パァ、パァ、」
両手を広げ 僕に抱っこをせがむ可愛い娘

「もう疲れちゃったのかな?(笑)」
抱っこをするとキャッキャッと喜ん



満開の桜がある公園に散歩に来ている

「ほら、見てごらん? このお花はね、“さくら”って言うんだよ(笑)」


時々吹く風に流される桜の花びらの中に
静かに微笑む香さんがいる




そして この2年で僕の記憶は随分と戻ってきた



電車の中で偶然香さんと出会い声をかけたことから

橋の上で一緒に見たあの満月の夜のことや
流星群を見ながら告白をしたこと

僕のふらついた気持ちで香さんを傷つけ 家を飛び出してしまい迎えに行ったことや

日が暮れるまで駅でずっと香さんの帰りを待ったことも

全てが懐かしい…



「貴女とこうして春を迎えるのは何度目だろう(笑)」

「8度… 9度目?(笑)」

「まだそんなものなのか(笑)」


香さんの髪に桜の花びらが落ちてきた


「これからも変わらずよろしく、香さん… (笑)」


花びらをそっと取って
彼女の頬にキスをした












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