Mochy's Backgammon Today

プロプレイヤー望月の日々バックギャモン

名古屋のトークイベントの紹介1 トーナメントプロって?

2015年07月15日 | 告知
こんにちは。

7月24日(金)19時からにバックギャモンナイト@名古屋 なんと、「世界チャンピオン」を招いて!というイベントを開催します。
会場は中区錦町1丁目にあるA Live.
http://www.coworking-nagoya.com/access/

◆イベントプログラム

1)世界チャンピオンのトーク 30分
2)バックギャモンってなに? 15分
3)実際に遊んでみよう 60分

1)世界チャンピオン、そして現役プロの経験を、ビジネスパーソンの方にフィードバックできるような内容でお話しいたします。
2)はバックギャモンのルールにとどまらず、世界での位置づけや歴史、ゲームの効用にも触れていきます。
3)では実際に遊んでみます。

バックギャモン知っている人でも楽しめるイベントですので、名古屋の人は是非。
チケット販売ページ
Facebook page

さて、そこではバックギャモンのプロの世界について紹介します。今日は少しそのさわりについて書きます。

私はトーナメントプロとして活動しています。簡単に言うと賞金稼ぎ、をしていることになります。

バックギャモンの大会は毎週(いま、この瞬間も)どこかの国で開催されています。それぐらいポピュラーな競技です。
すべてに出るわけにはいかないので、プロは賞金や参加人数の大きい大会を選んで参加します。
私がこの1年で参加した大会は、世界選手権(モンテカルロ)、ラスベガス、ロンドン、キプロス(3回)、イスタンブール、グルジア、
シカゴ、コペンハーゲン、カンヌ、ニューヨーク、ギリシャ、ミュンヘン、日本選手権、などなどです。年間100日ぐらいは海外で過ごしていることになります。

大会は通常3日から6日でおわります。試合は勝ち進むと1日5試合ぐらいですが、1試合2時間ぐらいかかりますので、10時間ぐらいは試合をしていることになります。
結構体力勝負です。また、時差ボケ調整のため、少し早目に現地入りしていますが、練習して調子をあわせいていくので試合前は忙しいです。
また、試合後はたいていボロボロなので観光はほとんどできません。

賞金は大会の規模によりますが、小さくて100万円、大きいと6000万円まであります。通常は300万-500万ぐらいでしょうか。運のあるゲームなので、毎回勝てるわけではなく、トータルで考えています。当然、月によっては収入がマイナスとかはあり得ます。

先ほどの大会の地名を見て分かる通り、欧米に中東、中央アジアとほぼ世界中で行われているのがわかると思います。なんちゃって英語でしのいでいますが、
アメリカ、イギリスを除いて相手も英語が下手なことがほとんどなので、ブロークンイングリッシュのほうが通じやすかったりします。
国籍も人種も様々な人が集まるので、国際情勢をリアルで知ることができますね。
下記に海外の大会での写真をUPします。大会の雰囲気が少しわかるかもしれません。 

当日はもう少し突っ込んだ話ができると思います。皆様のお越しをお待ちしております。

海外トーナメント

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始まりの日

2015年07月07日 | 日記
7月6日23時59分、世田谷区役所にいって娘の出生届を出してきました。名前は理央奈(りおな)としました。
理はサイエンスの理。ことわりの理。
央は真ん中。両端を知り尽くして中道を行けという仏教の言葉を思い出しました。真ん中は王道でもあります。一番大変な道です。
奈は特に意味はありません。音です。勇吾がひらめいた呼び方なので、それを大切にしました。
6月22日に産み落とされた娘は、名前を授かり今日から人生が始まりました。
母親にとっては産んだ日が誕生日ですが、父親にとっては今日が全ての始まりな日がします。

これからが長い。
いや、今までも長かった。いったいなんなんだろうか。

母の体に10か月間。母は少しずつ大きくなる娘のために少しずつ動けなくなり、
出産直前は階段の上下も大変になる。もちろん、やりたいことはどんどんできなくなる。
10か月は人生から考えれば短期間だけど、そのために夢や仕事をあきらめなければいけない人もいただろう。

そして出産。
昔と比べて出産はリスクが少なくなったとはいえ、それでもやはり死産や難産の可能性は
たくさんある。出産しても障害があるかもしれない。

産まれたばかりの子供は本当になにもできなくて、いつも泣いていて、3時間ごとに授乳して、1日10回おむつを替えて、
目を離してうっかりベッドから落ちてしまうだけで死んでしまうかもしれない。

そうして気が遠くなるほどの時間を経て、ある日突然寝返りを打つ。その瞬間は本当に魔法を見たのかとおもった。
たった15㎝のマジック。

そうしてまた気が遠くなるほどの時間を経て、這いだす。この日からは階段や窓から落ちる可能性があるので
ますます目が離せなくなる。

そうして今度は記憶が溶けていくぐらいの長い時間を経て、子供は立ち上がり、しゃべり始める。
この期間はなにがどの順番で起きたのかはもうあまり覚えていられない。子供は自分と他者との境界が大人よりも
曖昧だというが、大人のほうも自分と子供の境界がどんどん溶けていく。
自分の時間、子供の時間と、仕事のように時間をきちんと切り分けるわけにはなかなかいかない。
自分以外の他者とこれぐらいの長い時間を常に共にすることは今までなかったし、これまでもないだろう。
いや、もちろん本当は自分が子供の時に親にそうしてもらっていたのだが、覚えていることはできない。

ここから先の話は分からない。まだ上の息子は3歳半で、未経験ゾーンだからだ。

でも、さらに気が遠くなる時間を経て、少しずついろいろな能力を獲得していって、少しずつ親から離れていくんだろう。
その間も事故の心配はいつも尽きない。都会には危険なことが多すぎる。
大人になっても人生の罠はたくさんある。鬱になって苦しんでいる人もいるし、癌になるかもしれない。
新興宗教にはまって簒奪される人もいる。心配は終わらない。

それでも僕らは子供たちを所有することはできない。限りの無い愛を注ぎながら、二度と一つに戻ることはない。

しかし、僕にも子供の時があったとふと思い出して、いったい自分にはどれくらいの時間と思いが注がれてきたんだろう、という
単純な事実に驚愕した。子供を育てるのは親だけじゃない。周りの人が助けてくれた。社会のあらゆるサービスが守ってくれた。
病院があり、学校があり、公園があった。

すごいな。

すごいよ。

俺にはどんだけ価値があるんだ。

もう、明日のために今日を生きるのはやめよう。倒れるまで起きていよう。

心を開いて、見てきたもの全てをもう一度見よう。

ありとあらゆるネガティブなエネルギーから離れて、もう一度愛し合おう。


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